スウェーデン ヨーテボリ大学 交換留学 & 英国 私費英語留学 (丹羽 Vol.1)

ヨーロッパ

名前  丹羽 文子(日本)
留学先  スウェーデン国立ヨーテボリ大学 経済・商法学科
期間 1年間、2001年3月~2002年3月
留学の種類  北大経済学部 交換留学

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留学の動機
スウェーデンの民主的なところに魅力を感じ、福祉国家の試行錯誤を実際に生活の中で発見したり感じたりしたいと思ったこと。英語(+スウェーデン語)を使って他国の人々とのコミュニケーションすることを通し、異文化を体験したいと思ったこと。トラブルなどにも自分の力で対処する行動力を身につけたいと思ったこと。
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留学までのスケジュール
2000年8月  交換留学枠に応募
10月  正式認定
11月~ 大学の事務手続き・寮入居手続き、情報収集、パスポート取得
2001年2月  航空券を買う
入学許可書が届く→ビザ申請(許可書が届くのは例年ギリギリだそうです。通常ならビザ申請はもっと早めにする必要があるはずだけど、なぜか間に合う)
3月  荷物の準備
    ビザ到着(出発の10日程前だったような気がする)
3月末 出発
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費用(概算)
学費 500,000円(北大へ納入)
渡航費(往復) 150,000円
生活費 
寮費 32,000円×11ヶ月(光熱費・インターネット代込み、夏休み中1ヶ月分の寮費は無料)
  食費+交通・本などの雑費 35,000円×12ヶ月
 (→1ヶ月7-8万円以内で収まるようにしていた。)
旅行費 コペンハーゲン(バス 日帰り)5,000円
    フランス(飛行機 4泊5日)38,000円
    ストックホルム(電車 3泊4日)17,000円
    チェコ(飛行機 5泊7日)36,000円
計  1,518,000円
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国の事情(ガイドブックに載ってないようなの)
・トラムに乗ると、車両の真ん中や前後に乳母車用のスペースがあるが、そこに犬がいたりもする。車両が新型の「低床車」でない場合は入り口に段差があるので、例えばお母さんが一人で乳母車を押していてトラムに乗る時には、周りの誰かがさっと快く手伝う(ことになっているらしい)。実は結構重くて大変。
・スーパーは合理的。袋は有料なので、自分のバッグが大きい時は無駄に袋をとらない方が良い。商品は自分でカゴから出してベルトコンベアに並べなければならない。入り口にペットボトル・缶の回収機械があり、機械に入れた分、お金(実際はそのスーパーで使えるお買い物券のようなもの)が出てくる。
・3月頃、全ての本屋が大セールをする。でも英語のペーパーバックは安くならない。
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留学先での生活(どんな一日を過ごすか)
<例えば午前と午後に授業がある日>
トラムで大学へ
10:00-12:00 授業(授業によって9:00からの時も。たいてい始まるのは15分遅い)
12:00-13:00 学食または近くのカフェで昼食
13:00-15:00 授業
(スウェーデン語の授業がある時は16:00過ぎ~)
放課後はパソコンルームや図書館に行くか、友人とカフェに行ったりする。
週に1、2回スーパーで買い物をして家に帰り、夕食はほとんど寮の共同キッチンで自炊。
<週末>
金曜・土曜の夜はたまにパーティーに行くか、パーティー帰りの友人が部屋に来て過ごすことが多い。休日の昼前にはよく洗濯をしていた(予約制で、平日の夜はいっぱいになっていることが多いので)。たまに映画を観に行ったり、街を散策したり、知り合いとテニスをしたり。
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それぞれの国の評価(5段階 1=最悪  5=大満足)
・ 物価 ☆☆☆(食料は高率の消費税が入っても安いと思えるが、本やお酒などが非常に高い)。
・ 治安  ☆☆☆☆☆(日本以上に良いかもしれない)。
・ 国民性 ☆☆☆☆(基本的に親切な人が多いが、シャイでクールな人も多い気がした)。
・ 食 ☆☆☆☆(パンや種類の豊富な乳製品が安くて美味しい。野菜は輸入ものが多い)。
・ 空気  ☆☆☆☆(森と湖にかこまれた田舎の方は☆☆☆☆☆)。
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学校のカリキュラム
 ヨーテボリ大学の経済・商法学科で開講されている英語での授業の中から、4半期に最大2コースまで選択。加えて、希望すると留学生向けのスウェーデン語入門クラスも履修できる。
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語学情報(検定、進学への必要スコアなど、難しさ、努力)
 大学と日常生活の両方のために英語は必須(スウェーデンでは英語を話せればほぼ支障なく生活できる)。授業について行くには最低でもTOEIC750点くらいは必要なのではないかという実感。でも一概にスコアだけでは英語力は測れないと思うので、なるべく英語を話すことに慣れておくと良いかもしれない。
 英語力をつけるために努力したことは私の場合、渡航前はラジオの英会話、英語学習のメールマガジン、言語文化部や留学生センターの授業に参加するなど意識的に英語に触れる機会を増やしたこと。渡航後は夏休みにイギリスで語学研修をしたこと。
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検索ツール(ごく一般的なものしか使っていない)
Yahoo!JAPAN:大使館やスウェーデン関係の機関、誰かのHP等を探す。
http://www.yahoo.co.jp/
Yahoo!Sverige: 参考までに。
http://se.yahoo.com/
Amazon.co.jp:スウェーデン関係の本や英語の勉強本を探す。
http://www.amazon.co.jp/
Radio Sweden International: スウェーデンのニュースが英語で読めて聴ける、記事の検索も。
http://www.sr.se/rs/  
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推薦する本
・『ヨーロッパ・カルチャーガイド⑭北欧』トラベルジャーナル、1998年。
・・・ちょっと詳しく北欧の事を知りたい人でも、旅行者でも、絶対おすすめ。
・岡沢憲芙・奥島孝康(編)『スウェーデンの経済』早稲田大学出版部、1994年。
・・・経済学部生ならば。
・曽根田憲三『海外で生活する英語表現集』ベレ出版、2000年。
・・・日常会話習得のためにある程度参考になる。
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スウェーデン留学体験記
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 スウェーデンへの航空券は手配するのが遅れたこともあって、東京からロンドン経由のコペンハーゲン行だった。ロンドンで乗り換えた後、コペンハーゲン行きの機内には私以外には日本人がいなかったため心細くなった。とうとう日本から遠く異国へ来てしまったという思いだった。コペンハーゲン駅前のホテルに泊まり、次の日そこから列車でヨーテボリへ向かった。右も左もわからず、耳慣れない言葉を聞き、目一杯緊張しながらの移動。この渡航が私にとっては初めての海外旅行であり、留学のスタートでもあった。
 2001年3月末から1年間、私はスウェーデンのヨーテボリ大学経済商法学科に交換留学生として留学した。今回、体験報告記を執筆するにあたって、書き残しておきたいことは多くあるのだが、時間と字数の関係上、3つのことに焦点を絞ろうと思う。
(1)スウェーデンの国立大学、新築されて間もない充実したキャンパスでの大学生活、
(2)普段は平和な地方都市で起こった事件「ブッシュが来る」、
(3)自分の研究課題である社会福祉制度、
について、経験したことや考えたことを記したい。
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1.学校生活: ヨーテボリ大学経済商法学科
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1-1.3月末の履修登録
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 到着後最初の月曜日、初めて大学へ向かった。留学コーディネーターの方に、学校を案内していただき、図書館とパソコンルームのカードを作り、履修登録を行う。図書館の貸し出しカードは図書館で、パソコンのカードはレセプションで、履修は留学生オフィスでと、異なる場所で手続きをすることになっていた。各オフィスは開室時間が違い、週に2日、半日のみという所もあったので、初回に限らず、時間外に行ってしまって無駄足を踏んだということも何度かあった。
 通常は学期初めに新しく来た留学生のためにガイダンスが開かれるのだが、私の渡航は3月末でイレギュラーだったため、専ら日本の大学との交換留学コーディネーターの方にフォローしていただくことになった。スウェーデンの大学では、1年が大きく秋学期と春学期の2期に分かれ、各学期はそれぞれ前半と後半に分かれる。大抵のコースは四半期ごとだが中には1学期通してのものもある。私はちょうど、春学期の前半と後半の間にスタートしたことになる。
 この時期にガイダンスは行われないことは渡航前から知ってはいたが、このために情報不足で、早々から苦労することになってしまった。履修登録は、学校のHP上のシステムによって行う。履修登録日は前もって送られるEメールで知らされ、その時間帯にシステムが開放されている。本当ならば私もこのシステムで登録するべきだったが、初めの学期のスタート時にはメーリングリストに名前がなかったので情報が無く、履修する予定のコースの初回を逃してしまったのである。システムに乗っ取って手続きするなら、もっと早く渡航するべきだったことを後で知り、ショックを受けた。しかしこのことから、手続きやその日程といったことは人任せにせず自分で全て確認するべきだ、と肝に銘じたのは、後々のための教訓になった。
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1-2.大学の環境
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 ヨーテボリ大学の経済・商法学科(通称Handels)は、とても綺麗でお洒落な建物を構えており、それだけでわくわくした。ロの字型をしていて傾斜した土地に建つ、とても複雑な作りのために、最初の頃は度々自分がどこにいるのかわからなくなったが。
 カフェテリア(つまり学食)までもがお洒落だった。お昼時は早めに行かなければ混雑していて席が無いのは北大の学食と同じだ。メニューが少なくて(日本を基準にするから少ないのだろう)、北大の学食に比べれば高めの料金なので、たまには自分でサンドウィッチを持って行った。そういう学生のために電子レンジが置いてある(有料)。
 Handelsの図書館はすごい。シャンデリアがあるような自習スペースは吹き抜けになっており、周囲は4階まで図書スペースだ。さらに学部の建物の向かいには古くて大きな別館があり、授業で使った英語の専門書の多くはそちらにあったため、私は別館を利用することが多かった。それらは学部の図書館であり、もっと充実した全学の図書館が、Humanistan(人間学科と訳すのだろうか)の傍の小高い丘の上に建つ。ヨーテボリ大学は、学部の建物がそれぞれ街のあちこちに散在している。私は秋学期からスウェーデン語を履修したのだが、スウェーデン語クラスはHumanistanで行われた。
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1-3.学生生活の物価
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 大学の設備には感激することが多かったが、勉強する上で困ったこともあった。それは、この国では本が非常に高いことである。授業で使う本はもちろん、雑誌や英語のペーパーバックも高くて驚いた。
 昔は、北欧の物価は高いと言われていたが、現在のスウェーデンでは日本と大差がない。品物別に見ると、ブランドの衣類などは高く、食べ物は安い。またお酒は非常に高く、映画のチケットは安い。消費税率は最高で25%と高いイメージがあるが、食べ物に対しては低く、衣類などには高い率の消費税をかけている。平均しても日本より高率な消費税がかかっているのだから、もともとの物価は日本の方が高いはずだ。
 スウェーデンの物価の1つの分け方として、「娯楽品は高く、必需品は安い」ということが挙げられる。だが、娯楽の中でも「文化的な」(というのは私の意見だが)映画のチケットが安いのだ!いつも1000円前後で観ることができるのだから、これは日本人の私にとってはラッキーである。しかし本が高いのはアンラッキーだった。ちなみに本屋が一斉にバーゲンをする時期が年に1回あって、この時ばかりは本をまとめ買いする人でごった返していた。
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1-4.授業:経済地理学
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 1年間に履修したコースの中でもっとも興味深かったのは、Trade and Business in Western Europe”。経済地理学の分野である。主に取り上げた国々はドイツ、フランス、イギリス、スペイン、イタリアで、各国の(また西ヨーロッパ全体の)自然条件と環境政策、政治、地理を歴史的経緯を踏まえて学び、EUの成立を考察することによってヨーロッパという地域を把握するものだった。広く浅く扱い、細かい部分をもっと知りたい気もしたが、ゼミで経済史を学ぶ私にとって、ヨーロッパの歴史的経緯や地理条件、国々の相互関係、さらに地域統合への流れを知るのは非常に面白かった。
 コースによってはスウェーデン人学生が多いものもあるのだが、このコースは履修者が多かったためか、留学生クラスとスウェーデン人クラスは別になっていた。ゆえにクラスは全員が留学生で、さらにヨーロッパ出身者が殆どだった。
 5人の先生がそれぞれの分野の講義を担当していたが、そのうち何人かの先生は、積極的に学生とコミュニケーションをとっていた。例えばフランスの電力状況について話している時にフランス人学生に地名を確認したり意見を聞いたりといった具合だ。時には講義から逸れた雑談の方が面白いこともあった。

1-5.ヨーロッパの学生と”ブランク”

 一般的にヨーロッパの学生は、日本の大学生に比べると勉強熱心だ。周りの留学生やスウェーデン人学生は20才以上の学生が多く、その時4年目だった私と同じ22才でも、まだ2年生だったりした。高校を卒業するのが大体18、19才くらいなので、大学入学までにブランクがあることになる。そのブランクの間に何をするかは人それぞれだが、多くの人は働いたり、軍役を経験したり、留学したり、海外放浪をしたり・・・といった具合に、一時、学問から離れている。私にはそれがとても羨ましく思える。高校入学と同時に大学受験を意識し、何のために大学へ行くのかはっきりとわからずに受験して大学生になってしまう、そんな日本人大学生の大部分(だと思うが違うだろうか)の1人として、日本でも、大学入学がもっとフレキシブルなものであったら、と願ってしまう。
 寮のキッチンシェア仲間に、仲良くしていたスウェーデン人の女の子がいた(寮はユニットバス付きの一人部屋で、キッチンを4人で共同利用していた)。彼女にその“ブランク”について聞いてみたことがある。ヨーテボリにある工科大学で化学を学んでいる彼女のクラスで、高校卒業後すぐに大学に入った学生は1人か2人。他はみんな“ブランク”経験のある学生ということだ。“ブランク”のない人たちは、大学で勉強したいことがはっきり決まっていたからすぐに進学したのだろう。彼女も“ブランク”経験者だが、「大学に入って何を勉強するかはっきり決めていなかったから」と言う。それで、1年間のブランクの半分は働き、もう半分はフランスでベビーシッターとしてホームステイしながらフランス語を学んだ。スウェーデンでは、高校の成績によって希望の大学に入れるかどうかが決まるが、それに加えて“ブランク”中の社会経験も考慮されるということだ。私があまりに感心して羨ましがったためか、彼女自身も「いいシステムだと思う」と嬉しそうに言っていた。目的があって大学で勉強しているからこそ、勉強も熱心にできる。
 冒頭のコースのことに話を戻すが、一緒に授業を受けていた留学生たちは、出席率は良くも悪くもなかったが、確かに授業に熱心に参加し、よく発言もしていた。英語のレベルも全体的に高く、経済学の基本的な知識はきちんと押さえているという印象を受けた。しかしそれに加えて、彼らは要領がいいということに気が付いた。同じコースをとっていた友人は地理学が専門で努力家だった。学期の途中でボーイフレンドと旅行に行くからと言って4コマほど休み、それでも(私のノートを借りたにもかかわらず)期末試験では優秀な成績だった。遊ぶときは遊ぶが勉強もちゃんとするという時間の使い分けが上手いのだろう。
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2.ブッシュが来る
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 1ヶ月以上も前からその噂を聞いてはいたが、当日の混乱は私には予想のつかないものだった。6月にヨーテボリでEUサミットが開催され、EU各国の首脳陣が集まった。サミットに合わせ、アメリカからブッシュ大統領もがヨーテボリを訪れたのである。その前日、私は友人と会い、街のメインストリートにあるカフェでコーヒーを飲んだ。すでに数団体の人々が、それぞれ「“ブッシュ=グローバリゼーション”反対!」などといった主張をプラカードに掲げてデモンストレーションをしており、私たちはカフェのテラス席からそれを眺めた。「明日はブッシュ大統領が来るから、会議場付近では、交通を封鎖するらしい。デモ隊ももっと多くなるのかな」。「外国人はパスポートを持ち歩いた方がいいみたいだよ」などという話で盛り上がった。
 次の日たまたま知人の家を訪れていた私は、テレビでそのニュースを知った。やはり会議場の近くは交通規制されていたのだが、街中心部では数多くのデモ隊が繰り出し、その一部が暴動化したのである。黒っぽい服装と黒い覆面の男たちで、見たところ数十人はいたようだった。何か叫びながら、石畳の道路脇にあるブロックを取り外してメインストリート沿いの店々に投げつけ、棒のようなものも振り回し、店の商品やカフェの椅子などに火を放った。中でも、マクドナルドや銀行の建物などが主なターゲットとなり、集中的に破壊されたようだ。警察では騎馬隊も出動されたが、石のブロックが飛んでくる中を馬が突き進めるわけがないので右往左往し、警察官が覆面男たちを取り押さえようとして、あちこちで乱闘が繰り広げられた。しばらくして暴動は静められたが、多くの店が被害を受け、綺麗に整備されていたメインストリートはめちゃくちゃになった。
 覆面男たちの殆どは南方のデンマークやドイツからこの暴動を起こすためにやってきたという。おそらくドイツ辺りで有名な、過激な右派だったと思われる。EUサミット開催に合わせて、ブッシュ大統領がいわば口を出しにやって来た、そのことに対しての抗議なのか、またはこれに乗じて自分たちの主張をアピールする機会としたのだろうか。
 このような流れで大規模なデモが起こるということ自体が日本では考えられないので、それだけで興味深い出来事だった。さらにデモの一部が暴動化するという事件を目の当たりにしたことは、それほど大きくない地方都市のヨーテボリではビッグ・ニュースになったのである。この時私は、反グローバル化の動きの、また、ヨーロッパで若者の極右化が問題となっていることの一例を垣間見たといっていいだろう。反グローバル化については、日本ではこれだけの抗議行動が起こるほど、この問題(グローバリゼーションへの対応)が議論されているだろうか、と疑問に思った。
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3.福祉施設訪問
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3-1.スウェーデンの福祉制度
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私が留学することを決心した大きなきっかけの1つは、社会福祉への興味である。私が所属するゼミでは、大学3年目の夏休みにBibliographical Essayと呼ばれる文献整理論文を執筆することが課題となっている。その時点で私は、主にイギリス、アメリカ、スウェーデン、日本の高齢者福祉政策についての文献を選択した。いくつかの文献の中で予想通りだったのは、「小さな政府」路線とは反対の志向を通してきたスウェーデンの福祉制度が、非常に充実していると書かれている文献が多かったことである。これについては、日本政府に対する不満から単純に「大きな政府」が理想だと考えていた私には、スウェーデンの福祉制度が自分の理想に近い、素晴らしいものだと思えた。
 しかし、新たに知ったこと、考えたことが2つあった。
 1つ目は、当然のこととも言えるが、スウェーデンの福祉制度が決して完璧ではないことである。スウェーデンにおいて福祉制度は、労働者が税金を支払うことによって成り立つため、経済状況が悪いと失業率が上昇し、福祉の財源が賄われなくなる。ここにシステムの危うさがある。さらに、人々のニーズや社会状況は変化していくものであり、それに対して制度自体が柔軟性を持つものでなくてはならないということも重要だと気づいた。 2つ目はスウェーデンのシステムの概念をそのまま日本に導入したからといって、日本でうまく行くわけではないことである。それぞれの国の歴史的経緯や、国民性つまり人々の考え方の根本となる文化の違いが、システムに影響しているからである。一番大きなことは、家族関係の捉え方の違いである。
 スウェーデンでは、高齢者とその子どもとの同居率はほぼ0%であり(1989年)、65歳以上の老人の約3人に1人が1人暮しである。ゆえに、高齢者は自立心が強い。日本でも核家族化は進む傾向にあるが、介護の問題になると、やはり子どもやその配偶者に頼るケースが多く、子どもとの同居率は1997年で約54%と高い(現在、減る傾向にはあるだろう。資料が見つかれば卒論に載せたい)。
 これは言い古されていることではあるが、だからといってスウェーデンでは家族関係が希薄だということではなく、意識の違いの問題なのだ。スウェーデン人にとってみれば、親は親、子は子、というようにそれぞれが自立して家庭を持つのが当たり前のことであり、住む場所は違っても、互いに訪ねたりする。日本では,都市部においては同居率が低いようだが、その他の地域では高い。親子3世代の大家族で家庭を持つ歴史の名残がまだまだ残っているためだろう。どちらを選ぶかは個人の問題だが、一律的な福祉制度を導入したからといって最大幸福が満たされるわけではないということになる。
 したがって、ヨーテボリ滞在中に施設を訪問する目的は、次の2つのことであった。第1に、今現在の制度はどのようであるのか、経済状況と重ねて観察すること。第2に、スウェーデンの福祉制度で基本的に変わらない理念、すべての国民が、社会の構成員として可能な限り「普通の」生活を送ることを保証されなければならないというノーマライゼーションの理念が、実際にはどのような形で反映されているのかを観察すること。
 第1点については調査・研究が至らなかったため、更に進展させて次のゼミ課題である卒業論文に繋げたい。第2点については、高齢者の施設入居生活の一例を知ったことによって確認・発見したことがあったため、以下ではそれについて記述・考察する。
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3-2.福祉施設の訪問
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 3月の帰国直前に、隣のコミューンにある福祉施設を訪問した。大学の留学コーディネーターの方が、老人ホームで長年働いている日本人のTさんを紹介して下さり、案内していただくことになった。
 日曜の夕方だと、職員は少ないが比較的時間もとれるという都合上、日曜日の午後4時にその施設を訪問した。ユニークな形の建物で、6つの棟が斜線状になり真ん中でつながっている。介護士や看護士は各自の受け持ちの棟に勤務し、食事や団欒の場となる部屋やキッチン・休憩室も各棟にある。つまりこの棟は、入居者と彼らを専属にフォローする職員の共同生活の単位である。各棟には入居者が大体15~17人ほどいて、Tさんの受け持ちの棟では、介護福祉士7人、準看護士4人、看護士1人というチームで入居者のお世話をしている。
 夕食を5時に食べるため、それまでの時間は入居者とコミュニケーションをとったりするという。最初にTさんの受け持ちの棟にあるダイニング・キッチンへ。この時間、この棟ではTさんの他に介護士と準看護士の人がいて、職員は計3人。部屋は20畳くらいの広さで、大きなテーブルの周りに10数人のお年寄りが集まっていた。Tさんが私のことを日本からの留学生だと紹介してくださったが、半分くらいの人は痴呆が進んでいるのか興味がない様子。残りの人は、びっくりしたり、英語で話しかけてくれたりする人もいた。全員が車椅子に座っていたのでなぜかと思ってTさんに聞くと、この棟は比較的、介護必要度の高い人が多いという。可能な人は歩行器につかまって歩くようだ。
 入居者の一人のおじいさんが、部屋を見せてくれると言うので、案内していただいた。彼の部屋はここでは小さい方だというが、それでも6畳以上の広さがあり、それとは別にトイレとシャワーのついたバスルームがある。部屋は、娘や孫の写真、風景画、昔あったことを録音しているというカセットレコーダ、テレビなどの私物でいっぱいだ。コミューン(日本での市、または県にあたる)から支給される車椅子とベッドの足だけが“病院・施設らしさ”を思い出させるが、立派な棚には私物が詰め込まれ、ベッドの上にはカラフルな布団やひざ掛けがあった。Tさんを挟んで通訳をしていただきながら、お孫さんの話などを聞いた。
 この施設では90年代初めに、コミューンの方針によって入居者の部屋は全て個室に作りかえられ、現在のように入居者全員がトイレ・シャワー、時にはキッチン付きの個室に住むようになったという。
 別のおばあさんの部屋には、娘さん家族が遊びにきていた。その家族は近くに住んでいるらしく、週に1度は訪れるそうだ。Tさんに聞いたのだが、遠くにいても顔を見せに来る家族もいれば、近くにいてもめったに訪問しない家族もいるということだ。
 5時前になって、施設全体の食事を作る、地下の厨房へ、夕食を取りに行く。Tさんの後にくっついて行き、施設の中心部を案内していただいた。受け付け前のホールは青やレンガ色が目につく、カラフルなイメージだ。レクリエーションの大部屋、図書室、床屋などがならぶ他は、診察室や器具室、看護士の部屋などがある。
 棟に戻り、夕食の時間だ。皆が食堂に集まり、3人の職員が盛り付けて運ぶ。メニューのミルク粥は、お年寄りに限らずスウェーデン人がよく食べる庶民的な食べ物で、消化に良いものである。ジャムやシナモンを好みで混ぜて食べるのだが、私は、スウェーデンで暮らし始めた当初はこれが苦手だった。米に牛乳という組み合わせには慣れない気がしたのだが、帰国前には美味しいと思えるようになった。
 夕食の後片付けの後は職員の方々が各部屋を行き来し、忙しくなってきたため、おいとますることにした。忙しい中、見学したいという外国人留学生を親切に迎え入れてくださったので、非常に感謝している。
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3-3.ノーマライゼーションの徹底
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 今回の見学で一番良かったことは、最大関心のひとつであったノーマライゼーションの徹底を、自分の目で見られたことである。施設は十分に広く、図書室などの“公共”の部屋や、各個室のギャッチアップや車椅子など必要な設備も充実している。バスルーム付きの個室はプライベートを保障するだけでなく、入居前から使っていた私物などを好きなように部屋に置くことで、生活感を失わないようにすることへの気配りも感じられた。また、15人程度の棟ごとに一緒に食事をしたり団欒したりすることで、一種のコミュニティのような雰囲気があった。職員も含めたそこにいる人々との関わり合いは、社会からの疎外感を感じさせない役割も持つだろう。
 日本でもいくつかの施設に行く機会があったのだが、どうしても病院のようなイメージが強かった。そういうイメージを拭い、“家”で生活しているという意識が持てるような場所ならば、ノーマライゼーションの理念が浸透している施設、ということになるだろう。卒論の展望としては、財源面でのアプローチを考えているので、見学してきたことを財源の理論にどう生かすのかが、今後の課題である。
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