フィンランド オウル大学 交換留学 (西嶋 新着2017)

ヨーロッパ

オウル大学留学体験記
経済学部経営学科4年 西嶋諒

留学先

フィンランド オウル大学(University of Oulu)

期間

2017年8月末~12月末(3年次後期)

留学動機

・得意な(と当時は勘違いしていた)英語を更に伸ばしたかったから
・大学4年間を同じ場所で過ごしたくなかったから
・日本語に似ていると言われるフィンランド語に興味があったから
・ゼミの先輩と先生に感化されたから
・就活に活かせるエピソードが欲しかったから

費用

留学前にかかった費用

・飛行機…約20万<JAL(成田⇔ヘルシンキ)、Norwegian air(ヘルシンキ⇔オウル)>
・ビザ…2万
・保険…1万くらい

留学中にかかった費用

・住宅費…270ユーロ/月
・食費…約300ユーロ/月
etc

※当時は1ユーロ=130~133円でした。

ある1週間のスケジュール

  土日
午前 GE I18n, GE I18n GE, I18n 寝てる 寝てる
午後 図書館 SF 図書館 SF Tandem 散歩
パブ飲み Café lingua 宅飲み ダウンタウンへお出かけ

(GE: Global Economics, SF: Survival Finnish, I18n: Internationalization)

履修した授業

Period A

・Global Economics, 5ECTS
・Internationalization, 5ECTS
・Survival Finnish, 2ECTS

Period B

・Entrepreneurial Finance, 6ECTS
・Intermedial Macroeconomics, 6ECTS 0ECTS
・Beginners’ Finnish 1, 3ECTS

Period A-B

・Tandem, 2ECTS
・Café lingua, 0ECTS

29ECTS 23ECTS

※オウル大では1年度が4つのピリオドに分かれているため、僕はピリオドAとBの期間に在籍していたことになります。
※オウル大ではECTSで単位を計算します。2つのピリオド(=1セメスター)で25~30ECTSを取得することが望ましいとされています。

留学前後のスケジュール

~2016年 漠然と留学に行きたいと思いつつ毎日を過ごす
2017年1月 IELTS受験(overall 6.0)
2月 ゼミの先輩方による留学報告会→本格的に留学を意識し始める
3月 オウル大学を選択、応募
4月 学内面接→通過
7月 留学支援英語、HSIを受講
7月下旬 TOEIC受験(745)
8月下旬 成田空港より出国

12月下旬 成田空港に帰国
2018年1月 TOEIC受験(945)
就活頑張ります

詳細

ここからは、より詳細なことを時系列順に書いていこうと思います。

留学前

僕は昔から(科目としての)英語が得意で、それが高じて文学部で開講されている英語学系統の授業を他学部受講するほどでした。しかし、2年次の終わりに、僕が得意な英語はそれがアカデミックな内容のときに限られるということに気付き、将来僕が必要になる英語はあくまでコミュニケーションツールとしての英語だということを悟ったとき、英語でコミュニケーションを円滑に取れるようになりたいという思いが芽生えました。すると、ちょうどその時にゼミの留学報告会(僕の所属する高井ゼミは、毎年ゼミ生の過半数が留学します)が行われ、楽しそうに自らの留学経験を語る先輩方に感動したため、自分も留学をしようと決断しました。
しかしながら、既に何回目かの学内選考締め切りが終わっていたことと、僕のIELTSスコアの内訳が芳しくなかったこと(L:6.5, R:6.5, W:5.5, S:5.0)と、ヨーロッパに行きたいという理由のない熱意だけは強かったことにより、僕が留学可能な協定校は北欧か東欧のいくつかの大学に限られました。高井先生にそれぞれの選択肢について詳しく教えてもらい、オウル大学とベルゲン大学(ノルウェー)の2校に絞った後、年間の2/3が雨天であるという理由でベルゲン大学を諦め、消去法でオウル大学に決定しました。
学内面接は、TOEFLスコアを一番の志望動機に挙げたことを理由に危うく落とされかけたゼミの某先輩が言うほど厳しくなく、すんなりと通りましたが、出国までのスピーキングスキルの向上をアドバイスされたので、新渡戸カレッジにて開講されている留学支援英語およびHSIの「Principles of Regional Economy and Business」を3年次前期に受講しました。

<留学準備>

1. ビザ
・大使館に伺う前に電子申請の審査を受けなければならないことを前日に知り、大使館に同審査を早めてほしい旨を電話で伝えたところ、怒られました。
・僕のずさんな日程管理のせいで、某証券会社のインターンシップの面接の日と大使館へ伺う日がバッティングし、インターンシップの面接を泣く泣く断りました。
2. 保険
学内オリエンテーションにて案内があったものに加入しました。
3. お金
・フィンランドはクレジットカードでの決済が主流なので、JTB(楽天カード)しか持っていなかった僕はVISA(三井住友カードDebut plus)を作りました。
※申請が遅く、カードの到着が出国直前になったため、母にだらしないと怒られました。
・現地で口座を開設するのが煩雑だったので、新生銀行の国際キャッシュカード(これを用いて現地のATMからお金を引き出せば、円建ての預金から現地通貨で現金を入手できるという代物。しかしレートが高い)を作りました。
・もちろん奨学金の手続きも行いましたが、僕は新渡戸カレッジ生ではないので奨学金は月額8万円でした。
4. 住居
オウル市内の学生向けに住宅を斡旋しているPSOASという団体が提供するものを借りました。物価が法外に高い北欧において、200ユーロ弱のデポジット(退去時に返金される敷金礼金)と月270ユーロを払うだけで、共用のバス・トイレとキッチン・リビングが付いたシェアハウスを享受できることは助かりました。
5. 携帯電話とwifi
・出国前に携帯電話のSIMロックを解除し、到着後現地で購入したSIMカードを挿入することで、1つの携帯電話で4Gもwifiも使えるようにするというのが主流だと思いますが、僕はSIMロック解除が認められていない古い携帯を使っていたので、SIMカード用に日本で安いSIMフリー携帯を購入してSIM用とし、普段の携帯をwifi用にする2台体制を採用しました。
・フィンランドはIT先進国ということもあり、良質なSIMカードがどこでも安価で購入できます。saunalahti社(青)とDNA社製(赤)のものがありますが、特段違いはありません。僕は、saunalahti社製の30日間用のものを定期的に購入していました。(後から聞くと専用サイトでデポジットの追加ができるため逐一新しいものを追加購入する必要はなかったらしいですが)。
6. 荷物
JALでは23kgまでの荷物を2つまで受託することが認められているので、大きなキャリーバッグとボストンバッグに上限ギリギリまで詰めて持っていきました。寮に到着するまでの持ち運びに苦労しました。

最初の1週間

ヘルシンキ行きの機内では、3回の機内食と最新の映画と隣に座る外国人と窓から見える見慣れない風景に終始興奮していたことを鮮明に覚えています。その興奮が冷めたのは、9時間半のフライトの後、その日に泊まるはずだった宿の予約が昨日付けになっていることに気付いたときでした。高いお金を払って新しい宿を取り直すと、偶然にも学内オリエンテーションで知り合った北大からのオウル大留学生と同じ宿だったので、2人でフィンランドのマクドナルドと呼ばれる「HESBURGER」に行きフィンランド初の食事を取りました。
翌日オウルに到着すると、「kummi」と呼ばれる留学生サポーターが空港まで迎えに来てくれていました。シェアハウスに着くまでの道中、金髪碧眼の美しさと、英語が早すぎて相槌しか打てなかったことが忘れられません。家に着いた後に出会った、ルームメイトである2人のアメリカ人と1人の中国人にも同様に相槌を打つのが精一杯で、泣きそうになったこともよく覚えています。
PSOASによって留学生に貸し出されるアパートは、大学から徒歩5分のところにある10階建てのもので、2人部屋と4人部屋がありました。ぼくが住んでいた4人部屋は、玄関を抜けると10畳ほどの共有リビングがあり、その各隅にそれぞれの個人スペースがある構造でした。初めの一週間は、知らない土地で知らない人と過ごすストレスにより、頭を洗うたびに髪がごっそり抜け落ちました(スーパーで1ユーロで購入した、洗剤のような粘度と色をしたシャンプーがぼくに合わなかったのかもしれませんが)。
その後の1週間は、毎日どこかの団体のウェルカムイベントが開催されており、ルームメイトやオリエンテーションで仲良くなった友達に誘われて参加しました。ウェルカムイベントは決まって近くのパブで行われることになっており、そこで飲む1杯8ユーロほど(=1000円)のビールと爆音で流れるEDMには終始驚きを隠せませんでした。この1週間を通して、同じ学部に在籍する僕以外の唯一のアジア人であったシンガポール人の仲良し3人組と意気投合し、以後は授業を一緒に受講したり休日にダウンタウンを散策したりしました。散歩中はいつも、カラッとした気候と白樺を初めとする冷帯のバイオームに、札幌を重ね合わせて常にホームシックを感じていました。
オウル大では、正規学生が選択する第二外国語の中で最も受講者数が多いものが日本語であり(これは驚きました)、日本語や日本文化に関心を持つ学生が多かった印象があります。そのような現地の学生と日本人留学生の交流を目的とした「フィン日協会」とコンタクトを取ったのもこの時期でした。フィン日協会が主催する日本人留学生向けのウェルカムパーティーでは、久しぶりに日本語を耳にして泣きそうになったことを覚えています。

中心部で撮った写真です。白樺の横に広がる芝生は、中央ローンを彷彿とさせます。

 

近くのスーパーで撮った写真です。このようにそこら中にムーミンがいます。

その後のピリオドA

その後は徐々に新しい環境にも慣れ、毎日授業内容をキャッチアップすることに必死になっていました。この頃の1日のルーティンとしては、授業→友達と食堂でランチ(2.90ユーロと破格)→授業→Tellus(おしゃれな自習室みたいなところ)か図書館で勉強→夜ご飯も食堂で済ませる→帰宅してルームメイトとゆっくりする、というものでした。
以下に、授業ごとにその内容を振り返っていきます。

・Global Economics
一般的な座学の授業でした。ミクロ経済学・マクロ経済学・ゲーム理論等様々なアプローチを用いる点が印象的でした。授業自体の難易度はそこまで高くなく、上に挙げた分野の基礎知識が身についており、授業で扱う定理の概要や運用方法を理解していれば、毎週課される課題もそこまで苦ではありませんでした。しかし、この教授が話す英語のフィンランド語訛りがかなり重かったので、ノンネイティブにとって授業内容を聞き取ることはかなり難しく、上述のシンガポール人の友人のノートをいつも見せてもらっていました。他方で、期末テストはムーミンでも解けるくらい簡単な問題しか出題されず、試験後教室の周りには不満を垂れる学生で溢れかえっていました。前日徹夜をした僕ももちろんその中の一人でした。国や文化が違っても、テストを通じた教師と学生のせめぎ合いは同じなんだなあと感慨深くもなりました。

・Internationalization
今までいろいろな会社を興してきた中国人経営者とフィンランド人の経営学者による、アントレプレナーシップについての講義でした。講義と少しのグループワークと期末のエッセイのみで単位が来るいわゆる「楽単」であったためか、現地のあまりやる気のない学生も多数受講していました。その事実を知らなかった僕は、初めはMacbook Airを広げた意識の学生の多さに圧倒されていましたが、授業中おしゃべりに夢中になっていたり、Youtubeでアイスホッケーの名シュート集を見たりしているのを知った後は、日本と変わらないなあとしみじみとしていました。

・Survival Finnish
留学生向けのフィンランド語初級コースの授業でした。アルファベットの読み方から、挨拶の仕方、簡単な活用を学びました。フィンランド語は、南アジアからヨーロッパにかけて多くの言語が所属するインドヨーロッパ語族ではなくウラル語族に属し、その中でもバルト・フィン諸語(フィンランド語とエストニア語のみにより構成されます)というグループに分類されるため、英語にもフランス語にもスウェーデン語にも全く似ておらず、多くの留学生を苦しませていました。しかし、偶然日本語には発音体系や文法(日本語における助詞にあたる言葉を、前置詞を用いず名詞の後ろに接続させる点など)が似ていたため、僕はいつも先生に褒められていました。したがってこの授業は、英語の発音の悪さや誤用でほかの留学生に馬鹿にされる日々の中で、ほぼ唯一自己肯定感を得られる時間でした。

・Café Lingua
毎週水曜日の17時から19時の時間帯に、Café Linguaと呼ばれるイベントが開催されており、そこにも毎回足を運びました。このイベントは、ある言語を話せる学生と、その言語を話せるようになりたい学生の交流を促すことが目的で、例によって日本語を話せるよう学生の需要が非常に高かったので、ぼくは毎週嬉々として会場に向かったものです。
彼らに日本語を教える過程で、いかに日本語が他の言語と比較して特異かを改めて実感するとともに、日本の文化に興味を持っている学生が時差にして7時間も離れた土地に一定数いることに嬉しさを感じました。また、consonant, syllable等、文学部の授業で得た文法用語と文法知識が真価を発揮するのもこのイベントであり、ぼくにとってCafé Linguaの存在は非常に大きかったです。

・Tandem
ピリオドAとBを通して、タンデムというプログラムにも参加していました。これも上述のCafé Linguaと似ていて、ある言語話者とその言語を話したい学生とが2人1組になり、規定回数面会することで一定の単位が貰えるというものでした。ぼくのパートナーは、運良く以前北大に留学していたフィンランド人の学生だったので、お互いにとって身近な話題を通じて、ぼくは英語とフィンランド語を、彼は日本語を学びました。

短期休暇

ピリオドAとBの間には、2週間ほどの短期休暇があり、ぼくはその期間を利用して、サンクトペテルブルク(ロシア)、ストックホルム(スウェーデン)、コペンハーゲン(デンマーク)を友達と旅行しました。深夜バスを乗り継ぐ等、学生らしいチープな旅でしたが、実際に足を踏み入れないと分からない各国の雰囲気を肌で感じることができてとても有意義でした。個人的には、ロシアが寒すぎてまあまあ酷い風邪を引いたことが忘れられません。

ピリオドB

10月下旬ころからピリオドBが始まりますが、この頃から北欧の寒さがその片鱗を見せ出してきます。日を増すごとに昼の長さは露骨に短くなっていき、徐々に誰も起きられない世界と化していきます。ピーク時には、極夜とまでは行きませんが、午前11時に日が昇り午後1時に日が沈むという日もあり、暗闇の中を登校し暗闇の中を下校する奇妙さに友達と笑うしかありませんでした。ぼくは、このエセ極夜のせいで、午前8時30分から始まるフィンランド語の授業を計5回寝坊したので、ペアの友達と少し仲が悪くなりました。
また、この時期に、一度だけオーロラを見ました。フィンランドのどこかの団体が毎日オーロラ予報なるものを発表していて、見られる可能性が高い日の夜は友達と近くの湖畔まで出かけて何も見えずに泣きながら帰宅する、というのがもはやルーティンとなっていたのですが、遂に一度だけ見ることができました。異国の寒空の下で初めて目にするオーロラは、本当に綺麗でした。それも、規模の大きなオーロラだったようで、緑、黄色、赤と色を変化させながら、眼前から天頂を通って背後まで伸びていて、本当に神秘的でした。余談ですが、雪さえ生涯見たことがなかったシンガポール人の友達は、オーロラを目にして本当に泣いていました。
独立記念日には、凍った湖(フィンランドには1000の湖があります)に穴を開けてみんなで飛び込むことでフィンランドの独立を祝うという最高にクレイジーなイベントがあり、もちろんぼくも友達を誘い参加しました。しかしながら、予想の10分の1ほどしかいないギャラリーと、簡易的な作りのため保温性が全くない更衣所のおかげで、湖に入った後はみんなで泣きそうになりながら帰りました。その後にダウンタウンで行われた記念式典と花火をみんなで髪の毛を凍らせて鑑賞したのは良い思い出です。

100周年独立記念日の写真です。見ているだけで鳥肌が立ちますね。

 

同時期にほぼ同じ場所で撮られたオーロラの写真です。
ぼくのカメラではスペックが足りず撮れませんでした。

以下に、この期間に履修した授業を詳述します。

・Entrepreneurial Finance
この授業は、スタートアップやベンチャー企業がどのように資金調達をしているかに焦点を当てたものですが、3回ほど授業を受けた後でこれが大学院生向けの科目であることを知りました。したがって、学部卒業レベルの知識を平然と用いるため、財務諸表の読み方はもちろん、回帰分析についての知識や、モラルハザードや逆淘汰に関する知識等、今まで習ったありとあらゆる知識が求められました。今まで習った全てを完璧に理解しているわけではないぼくは、当然毎授業手も足も出ず、グループが同じになった会計専攻の中国人の友達に文字通り手取り足取り教えてもらいながらなんとか単位を取れました。二度と受けたくない授業の一つです。

・Intermedial Macroeconomics
この授業は、ピリオドAで履修したGlobal Economicsの発展版で、教授も同じ人が担当していました。とはいえ、北大で習ったことがベースとなっていたので、かつ教授の英語にも慣れていたので、そこまで苦労せず授業を受けることができました。しかし、学期末の旅行の予定が友達と合わず、早くオウルを発つ必要があったため、期末テストを受けられず単位は認定されませんでした。

・Beginners’ Finnish
この授業は、ピリオドAで履修したフィンランド語の授業の上級編と位置付けられおり、学習内容は実践的なフレーズ暗記より体系的な文法の習得が主でした。フィンランド語は14の格変化をもつ「悪魔の言語」と呼ばれているだけあって、予習・復習は相当の量が求められました。したがって、ピリオドBでは、本業の専門科目よりこのフィンランド語に労力と時間を割きました。

別れ

ぼくは、プラハとウィーンへ旅行するために授業を早く切り上げたため、最初にオウルを去るグループの中の一人でした。ルームメイト3人を始めとして、同じ棟に住む十数人あまりの人がぼくを見送りに来てくれ、とても嬉しかったです。別れ際にルームメイトとしたハグは一生忘れられそうにありません。細身に見えたソロモンが、抱きしめると実は筋骨隆々で、着やせするタイプだったことも忘れられそうにありません…。

留学を振り返って

たった4か月ほどの交換留学でしたが、留学中のすべての瞬間がぼくの人間性を深めてくれました。留学中には、ここには到底書き切れないほどの楽しさと、喜びと、屈辱と、不甲斐なさを味わい、留学後には大きな達成感と自信を得ました。もしあの時留学しない選択をし、井の中しか知らないまま社会人になっていたらと考えると、本当に恐ろしいです。と言い切れるくらいには心の底から留学して良かったと感じています。
留学を少しでも考えている人には、本当に留学を勧めたいです。それも、語学留学でなく交換留学、名が知れて日本人で溢れ返っている場所ではなく鄙びた変な場所をおすすめします。語学留学では、そもそも全ての留学生の目的が英語の習得でそれ以上ではないし、日本人に人気な有名都市では、日本人がいることに甘んじてしまう可能性があるからです。
末筆ながら、留学前・留学中のぼくを支えてくれた高井先生、家族、友達、先輩、後輩の皆さんには感謝してもし切れません。そして、そもそもぼくに留学を考えるキッカケを与えてくれたという点で、高井ゼミに入ったことは英断だったと感じています。経済学部の皆さん、高井ゼミでお待ちしています。(宣伝)


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