アメリカ オクラホマ大学 交換留学(西村 新着2017)

アメリカ・オセアニア

オクラホマ交換留学体験記
経済学部経営学科3年 西村優里奈

留学先

アメリカ、オクラホマ大学(University of Oklahoma)

OUのシンボルとされる図書館

OUのシンボルとされる図書館

期間

2017年8月~12月(1セメスター)

志望理由

多種多様な人と仲良くなってみたかった。学生にしかできない経験がしたかった。

費用(1セメスター分)

航空費 32万円
住宅費 25万円
生活費 38万円くらい
保険料 14万円
教科書代 6万円
オリエンテーション費 4万円
合計 120万くらい(うち奨学金で60万)
※ レート:1ドル=113円~115円

一週間のスケジュール

 

留学前後のスケジュール

留学前

2016年
8月 カナダ・ブリティッシュコロンビア大学に短期語学研修
9月 TOEFL-iBT受験
10月 交換留学応募(第一希望 オレゴン大学)

2017年
2月上旬 面接、オレゴン大学落選
中旬 TOEFL-iBT再受験 ポートランド州立大学を目指すもスコア上がらず
下旬 オクラホマ大学に変更、再度応募
3月 オクラホマ大学(OU)に決定
4月 OUに申請、書類提出
5月 OUのオンラインフォーム入力、アパートの申し込み、授業選択
6月 OU から正式な許可書が届く
7月 VISA申請、面接 TOEIC受験
8月 出国

留学後

12月 帰国
2018年
1月 TOEIC受験
2月 TOEFL-iBT受験
3月 就活予定

留学するまで

大学2年の夏にバンクーバーでの短期語学研修に参加した後、もっと長い期間、現地の学生と同じような生活をしたいと思ったため、急いで交換留学の一次募集に応募した。人種文化の坩堝と呼ばれており、かつ専攻の経営学が発展しているアメリカに決め、バンクーバーから帰ってすぐ受験したTOEFLの点数で行ける大学を探した。私のスコアではアメリカ本土はオレゴン大学とオクラホマ大学しか選択肢がなく、KKKや共和党のイメージがあるオクラホマ州より、民主党支持者のオレゴン州を選んだ。10月に応募したが、国際本部が忙しかったため、普通よりも遅い翌年2月の面接になった。その年のオレゴン大学は人気が高く(直前まで知らなかった)、見事面接で落選し、しかもすでに三次募集の時期になっていて急いで考え直さなければならなくなった。アメリカの授業のためには、もう少しスコアがほしいというゼミの先生のアドバイスのもと、ちょうど2月のTOEFLに申し込んでいたため、オレゴンに近いポートランド州立大学を目指し、(国際本部の方には待ってもらい)再度受験した。しかしスコアは上がらず、やはり私が行けるのはオクラホマ大学だけであった。オクラホマ州=共和党=トランプ支持者=白人主義という先入観をぬぐえず(実際は全くそんなことないです)、北欧などあらゆる選択肢をバタバタと探したが、先生と相談してもやはり自分はアメリカが向いているのだと気づき、結局(わりと仕方なく)オクラホマ大学にした。その後調べて分かったが、オクラホマ大学は留学生に対するプログラムが充実していて、ゴシック調のきれいなキャンパスを持ち、かつ大学自体はアメリカの大学トップ100に入り、さらにBusiness majorのレベルがかなり高いという素晴らしい大学だった。田舎だからか北大ではあまり人気がなかったが、穴場だったと思う。

留学準備

① ビザ

OUからDS-2019が届いた後、札幌でJ-1ビザを取得した。また、学生はSEVISというのも必要だった。

② 保険

基本的にOUの保険に入るのだが、アメリカは保険料がかなり高く、それに代わる保険を証明すればOKとのことだったため、国際本部から教えられた日本の保険2つに入った。アメリカの他の地域では大丈夫だったと聞いた保険だった。しかし、現地に着いていざ手続きを行ったところ、私の保険は認められなかった。というのも、アメリカは州ごとで保険の法律が異なり、オクラホマ州の法律はかなり厳しかったため、認められない留学生が続出していた。日本の保険に加えて、さらにその3倍の値段の保険にも加入することはどうしても避けたかったため、直接交渉に行った。しかし日本の保険は絶対条件を満たしておらず、あっけなく断られた。そのため、たとえ1セメスターでもかなり保険料がかかった。ちなみに一度も病院にかからなかった。
オクラホマに行く方、日本の保険に入らずOUの保険のみに入ることを強く勧めます。(ただ、行き帰りのtravel分はカバーされていない)

③ お金

クレジットカード2枚(ビザとマスター)、現金2万弱、現金を下ろせるようにキャッシュカードを持って行った。しかし、どこでもクレジットが使えたため、友達と割り勘するときにしか現金は使わず、余った。

④ 携帯電話とWi-Fi

日本のSIMが入ったスマホ(Wi-Fi下で使える)と海外用SIMが入ったスマホの2台を持って行った。田舎だからかWi-Fiの環境はまあまあで、しかも何かと電話番号を聞かれたりアプリで電話番号が必要だったりして、海外用が役に立った。しかし、そのスマホは途中で壊れてしまった。ただ、少し不便ではあったが、キャンパス内もアパートもまあまあWi-Fiが繋がったため何とかなった。

授業

単位互換するためには3000番台以上の専門科目を取る必要があり、専門として経営科目2つと経済科目1つを履修した。しかし、OUは専門科目(特にBusiness)に対する基準が厳しく、手続きに時間がかかった。経営科目は基礎知識を身に着けていることを証明しなければならず、今までに受けた授業のシラバスを送ったが、既に学習しているにも関わらず(基準を満たしている)認められず、後述するPrinciples of Marketingを履修しなければ他の科目は取れないと言われた。他の留学生から聞いたことだが、留学生は基本的に(ある程度満たしていても)その科目を履修しなければいけないらしい。また、経済科目は事前にオンライン上で数学のテストを受けなければならなかったが、それは合格した。
専門科目以外には、留学生向けの英語の授業と、息抜きとしてダンスの授業を履修した。OUの留学生は12単位以上15単位以下で履修しなければならず、ダンスが2単位(他は3単位)だったため、全部で5科目履修した。

・Principles of Marketing -MKT 3013(良)

マーケティングの授業で7回のテストとチームプロジェクト、たまにディスカッションがあった。想像とは違って日本の授業形式とあまり変わらず、教授による講義がメインだった。上述したように、経営の専門科目を履修するには、この授業を必ず取らなければならなかったのだが、内容としては日本で学んだこと+αくらいで、教授も時間内に終わらせるためにてきとうに済ませることも多く、少し残念だった。ただ、私のチームメンバーはまじめなアメリカ人が多く、プロジェクトにも進んで取り組んでくれ、現地人と話す機会にもなった。(やる気のある留学生だけで完成させているチームもあった)しかし、レベルの高いBusiness Majorとだけあって、みんな優秀で、話し合いでも英語の問題以前に入る余地がなかった。

・Logistics Management -SCM 3223(可)

日本の授業ではあまり見かけない、サプライチェーンマネジメントに特化した授業だった。この授業も先生による講義がメインであったが、それぞれのパソコンでExcelを使いながら進めていく、実践的で面白い授業だった。5回あるテストで成績が決まり、記述のテストは留学生にとっては難しく、悲惨な点数も取ったが、オフィスアワーに何度も訪れてはたくさん教えてもらい、何とか単位が取れた。

・Intermediate Macroeconomic Theory -ECON 3133(不可)

まさに北大の経済学部のような授業だった。ただ、とても熱心で面白い(おじいちゃん)教授だった。成績評価は4回あるテストのみ、ひたすら(すごく早い)板書を取る授業で、普段は10人くらいしか学生がいなかった。テストのときは3倍くらいの人数になった。質問をしに行ったら丁寧に応えてくれるとても優しい教授で、いつも授業に出席している私を覚えていてくれたが、テストは取れなかったため落単した。正直難しかった。優秀なアメリカ人の点数もあまり良くなかったが、救済措置はなかった。(言い訳)

・English for Exchange student -ENGL 1013(秀)

交換留学生向けの英語の授業で、スピーキング・リーディング・ライティングを習った。オクラホマのスラングや、文化、留学生が陥るワナなども教えてくれ、とても役に立った。この授業は2つのクラスに分かれていたが、日本人ばかりのもう一つのクラスとは違い、私のクラスはヨーロッパ・南アメリカ・アジアとさまざまな国籍の留学生が集まっていた。多種多様な留学生に出会える場であり、同じ専門の授業を取るスペイン人とペルー人の子と仲良くなるきっかけにもなった。ときどき課題の量が多く、専門科目の邪魔になることもあったが、この授業は取ってよかったと思う。

スペイン人とペルー人の友達

スペイン人とペルー人の友達

・Modern Technique -DANC 1312(秀)

OUにはdance majorがあり、広いスタジオと舞台用のホールがある。基礎クラスはnon-majorにも開講されていたため、息抜きとしてダンスの授業を取った。モダンダンスはやったことがなかったが、想像していたジャズダンスのようなものとは違い、ヨガやバレエのような不思議なダンスだった。先生はブラジル人で、4年前に渡米したばかりからか訛りが強く、ときどき何を言っているのか分からなかったが、留学生の私にすごく親近感を抱いてくれた。言葉で説明されても理解するのが難しかったため、かなり集中するようになり、息抜きというより没頭していた。その結果、二度あったパフォーマンステストではすごく褒められ、とても良い成績がついた。専門科目よりはるかに楽しかった。

生活

OUはオクラホマ州ノーマンにある。ノーマンから都市のオクラホマシティまでは車で30分くらいだった。オクラホマは予想通りとても田舎だ。どこに行くにも車が必要で、留学生にとっては大変だった。買い物でさえも、車を持っている人を常に探さなければいけない。学生無料のバスがノーマン市内を走っているが、バス停から遠かったり、行ける場所も限られたりしていて行動範囲は狭まった。そのため、オクラホマシティにはほとんど行かなかった。ただ、Uberというタクシーのようなアプリが便利で、値段も割と安く、よく割り勘して利用した。

住んでいたアパート(Tradition square)

住んでいたアパート(Tradition square)

OUには学生用のアパートが3つあり、どれもキャンパスの近くにある。私は4人のルームメイトでキッチンとリビングルームは共同、バスルーム2つ、ベッドルーム4つのアパートを選んだ。値段としては一番高かったが、それぞれの部屋があってプライベートもあり、かつリビングではルームメイトとお話しでき、他よりもきれいなアパートでとても良かった。留学生はだいたいここに住んでいた。ルームメイトはドイツ、韓国、中国から来た子たちで、気が合いとても仲良く暮らせた。アパートの申し込みをするときに、自分の性格についての長い項目に答えるのだが、ちゃんと読んでちゃんと答えた結果、ルームメイトには恵まれた。特にドイツ人と韓国人の子はすごくきれい好きだった(中国人の子も言えばやってくれる)ことが本当に良かった。
食生活についてだが、ほとんど自炊していた。キャンパス内も周辺も外食はどこも高かったからだ(不思議とキャンパス地区外の方が安い)。よく放課後や休日にWalmartなどでまとめ買いしては冷凍していた。ドイツ人のルームメイトがベジタリアンということもあり、スーパーフードなどあらゆるヘルシー食材を教えてくれ、よくあるアメリカのイメージとは裏腹に健康的な食事をしていた。ただ、キャンパス内のイベントとしてよくフリーフードの提供があり、ピザやクッキーなどがたくさん並んでいて、ザ・アメリカだった。オクラホマは南部ということもあってメキシコ料理がキャンパス内のあちこちにあり、またベトナム系の移民が多いことからベトナム・タイ料理の店も多かった。アメリカナイズされたベトナム料理はおいしかった。オクラホマシティには大きなアジアンマーケットがあるがとても値段が高く、小さい容器で持って行った日本の調味料が役に立った。日本食を作ってルームメイトに分けたりすると、すごく喜んでくれた。ルームメイトもよく料理する子達で、お互い自国の料理を作っては分け合って楽しかった。キッチンはヒーター式のコンロと大きいオーブン、食洗器、冷蔵庫、個人用の収納棚と揃ってはいたが、そんなに広くないため、みんな自炊する私の部屋はいつも混雑しており、お互い気を使いあっていた。

ルームメイト

ルームメイト

オクラホマ大学(OU)について

OUの一番の特徴はキャンパスがきれいなことだ。広さは北大ほどではないが広い。OUのアメフトチームのための大きなスタジアムがキャンパス内にあり、オクラホマは特にアメフト人気が高いことから、試合の日は大勢の観客がキャンパスに詰めかけ、お祭り騒ぎだった。しかも、一番大事な試合の日は大学全ての授業が休みになった。OUには日本の大学にはないような色々な建物があったが、特に魅力的だったのは図書館だ。外観もさることながら、中もハリーポッターのような部屋や色々な形のソファ、スタバなどがあり、勉強環境としてとても良かった。また、普段の図書館は夜中2時までの営業だが、テスト前は24時間になり、さらに23時になると無料でシリアルが配られた。学生の学問を手厚くサポートしているのが伺えた。

フットボールスタジアム

フットボールスタジアム

図書館の中

図書館の中

オクラホマの人たち

オクラホマの人々は基本的にフレンドリーで親切だ。他の州出身のアメリカ人は、こんなに人がいいのはオクラホマだけだよと言っていた。しかし残念なこととして、普通に過ごしていたらアメリカ人学生と交流する機会はない。留学生向けのイベントは多くあるが、その参加者はほぼ留学生だ。また、OUはあまりディスカッションの授業は多くないため、日本人と同じで授業は出て帰るだけ、クラスメートは他人でしかない。ただその中で、ダンスという少人数の授業がとても良かった。そこで会った中国系アメリカ人エミリーととても仲良くなり、エミリーの家族がよく色んな場所に連れて行ってくれた。エミリーは中国系3世で英語しか話せない完全なアメリカ人だ。しかし、エミリーの友達はみなアジア系アメリカ人だった。アジア系の団体、ラテン系の団体等々が大学に多くあり、やはり似たもの同士で集まるのだなと実感させられた。エミリーが仲良くしてくれたのも、私がアジア系だったからだと思う。こういうところに、アメリカ社会は人種のメルティングポットではなく、サラダボールなのだなと感じた。また似たようなこととして、キャンパス内にあるベーグル店のタイ人店員ローラと仲良くなった。ローラはいつもおまけしてくれ、私が帰国するときは手作りのプレゼントもくれた。そういう縁も、私がアジア系だから親近感を抱いたのだろうなと思わされてしまう。そんな中、OUの留学生向けイベントが機会をくれたこともあった。OU cousinというもので、アメリカ人学生と留学生がペアを組んで一緒に年間イベントを楽しめる制度だった。噂では、それに参加したアメリカ人はsororityにポイントが入るらしく、それ目的で参加していてやる気もなく、評判が良くないイベントだった。しかし、割り切って参加してみた結果、私のペアはinternationalに興味があるから参加したとてもいい子で、本当にお世話になった。

OU cousin

OU cousin

オクラホマの留学生たち

OUは世界120か国からたくさんの交換留学生が来ている(データでは2000人以上)。アメリカ人と交流する機会は少なかったが、他の留学生に会うことは多く、一緒に楽しむことができた。特に、ルームメイトの韓国人とは仲が良く、一緒にいることが多かった。アメフトの試合観戦、レディーガガの全米ツアーなど一緒に出掛けたり、夜遅くまでおしゃべりしたり、OUでの生活においてこのルームメイトの存在はとても大きかった。その子の韓国人の友達もみんないい子ばかりで、韓国人とは気が合うことを知った。また、私が住むTradition square Westというアパートには留学生が多いことから、毎週のように大人数でパーティーがあった。ただ、ここで気になったことが、アジア系のパーティーにはアジア人ばかり、ヨーロッパ系のパーティーにはヨーロッパ人ばかり集まっていることだ。確かに気が合うのかもしれないが、同じ国籍同士だけでなく、同じ人種同士で固まるのだなと少し悲しくなった。私は色んな国の人と話してみたかったため、アジア系だけでなく様々な留学生と交流するようにした。そんな私に南米系の子が、他の人種の子にも仲良く接していて素晴らしいと思うよと言ってくれ、みなが他人種を嫌っているわけではなく、お互いの先入観や何かが壁を作ってしまっているのだなと思った。また、ルームメイトを始めとするドイツ人は、誠実でどこか日本人と似ていると感じるところもあった。しかし、エクアドル人の友達のパーティーに呼ばれたとき、困ったことがある。そこに集まっていたのはスペイン語圏の人たちばかりで、固まってスペイン語で話していた(アジア人は私一人だった)。何人かの友達と優しい子は英語で話してくれたが、そのとき初めてアジア人が恋しくなった。

バースデーパーティー

バースデーパーティー

トラブル…はなかったが悩んだことと成果

特にトラブルはなかった。しかし、今思えば苦しんだことは多かったため、ここで一つの参考として(自分用の記録として)紹介したい。

①定番だが英語

先にも述べたように、私のTOEFL-iBTは選択肢が限られてしまうくらい低かった。面接のときも先生からも、そのスコアでちゃんと授業についていけるか心配だと言われていた。ただ、私としては、前回カナダに短期で行ったときのように数日経てば何とかなるだろうと思っていた。しかし、交換留学はそう甘くない。カナダでの語学研修は、参加者のほとんどが日本人であり、互いの英語が理解できるのも思えば当然のことだった。日本人同士で学んでも実践的ではないのだ。とはいえEnglish only policyのもと、研修を通して英語が話せるようになったと思っていた。しかしそれは幻に過ぎないことに今回気づいた。オクラホマに着いた次の日あたりからある、留学生向けのオリエンテーションで現実を思い知らされる。他国からの留学生、特にヨーロッパ人は全く英語に困っていないように見えた。自分の意見をペラペラと詰まることなく話す留学生に比べ、自分は詰まってばかりで会話も続かず、私が話し出すと嘲笑われているように感じた。ネイティブだけでなくみな話すスピードが速くてついていけず、自分の英語も通じず、授業ではないところでかなり苦しめられ、しまいには人に会いたくなくなった。さすがに何とかしなくてはと思った。そこで私は、とにかく他の人の英語・言い回しを盗むということをやった。よく単語帳を持って行って勉強する人もいるが、いつ使うか分からない単語よりも、実際に現地の人や英語の上手い留学生が使っている英語から学んだ方が早いと思った(これだからスコアが上がらないのかもしれないが)。また、ほとんど日本語を使わなかったことも大きかった。日本人留学生の存在は時にプラスになることもあるが、私にとってはマイナスだった。初めの苦しんでいたころ、どうしても他の留学生と自分を比べてしまっていた。そんなとき、日本人と比較してしまうことは、特にストレスだった。気にしてはいけないと分かっていても、私の性格上難しかったため、ストレスから避けるという手段を取る。日本人同士よく集まっていたがそこには行かず、他の国の子と過ごすうちに自然と日本語を使うことがなくなり、結果的に英語力向上に繋がった。そうすると1・2か月で英語に対する不安はなくなり、余裕が出てきたからか不思議と昔覚えた単語が出てくることもあった。また、いくらペラペラと話していても発音は母国語のままで、アメリカ人に通じていない人もいることに気づいた。周囲から見違えるように英語が上手くなったと言われたり、初対面のアメリカ人に英語を褒められるようになったときは嬉しかった。

②コミュニケーション能力

何度かコミュニケーションについて考えたことがあった。初めのころは、上手くコミュニケーションが取れないことに対して英語ができないからだと思っていたが、よく考えてみればそもそも日本語でも他の人のような会話はできないことに気づく。私は普段どちらかと言えば聞き役だった。それでも日本では何とかなっていた(?)が、英語での会話では、聞き上手は話し上手だということを実感した。相手のちょっとした話題に対してどれだけ良い反応をし、どれだけ話を展開させるかが重要だった。むしろそれができないと良いコミュニケーションはできなかった。だからアメリカ人はよくしゃべるのかもしれない。私にとっては一つの苦労だったが、少しコミュニケーション力が上がった気もする。また、断片的でも伝わる日本語に対し、英語は語順が正しくないと伝わらないため、何を発するかまず考えるようになった。これは日本語でも大事なことだと思う。

③変化

今回の留学で自分自身が変わったところを挙げるとすれば、人に助けを求められるようになったことだ。今までの自分は、極力人に聞かずに自分で解決しようとしていて、相手の顔色を伺ってか、人に頼れない助けを求められない、引っ込み思案な性格のところがあった。日本で暮らす上では、その性格がときにはプラスにもなるが、人に聞かなければ解決できないことも多い。ましてや留学先では、どこかに助けを求めないとどうにもならないことが多かった。さらに、仲の良かった韓国人のルームメイトに気づかされたことがある。彼女は聞かなくても分かるようなこともすぐ聞き、何でも頼み事をする人で、ときどきその言動に驚かされた。しかし、彼女はその聞くという行為をきっかけにどんどん人脈を増やしていたのだ。ちょっとした質問が会話を生み、コミュニケーションの一つとなり、和を広げる機会になるのだなと教えられた。また幸いにも、アメリカ人はちゃんと答えてくれるため、聞きやすかった。教授も優しかった。それから私は、授業でも日常生活でも何かあれば物怖じせず助けを求めるようになった。おかげで困ってもすぐ解決できる人脈ができ、知り合いも増え、言い方は悪いが上手く人を利用できるようになった。日本ではオクラホマにいた頃ほど人に頼れないが、それでもこの経験が引っ込み思案な性格を少し変えてくれた。

個人的に思ったこと、最後に

これはあくまでも個人的に思ったことだ。OUには日本人留学生が15人、正規学生の日本人も何人かいて、思っていたより日本人が多かった。留学生は立命館、APU、山口大学から多く来ていて、私以外はみんな2セメスターの交換留学だった。しかし、私は1セメスターで良かったと思う。それは、早く帰りたいからとかではなく、(むしろ向こうでの生活が落ち着いていて全く帰りたくなかったが)1セメスター延期することで考えられるリスクを踏まえると、これ以上得られるものはない、価値はないと思ったからだ。自分自身の性格としては、もしもう1セメスターあるなら、新しい場所に行きたいと思った。そう考えたのも、1セメスターという限られた時間でやりたいことを全て達成しようとした結果でもある。もちろん反省点や改善点は多い。しかし、1年という長い留学期間を見据えてか日本人ばかりと過ごし、早く帰りたいと嘆く他の日本人たちを見ていると、1セメスターの限られた期間の方が充実できるのではないかと思った。これは、他の人を否定しているのではなく、どちらが良いかは人それぞれで、あくまで自分の性格に合っているのは1セメスターだと思った個人的な意見だ。
最後に、伝えたいことがまとまらない、長い体験記ではありますが、誰かの参考になれば幸いです。そして、このような私でしたが、この留学のために手厚くサポートしてくださった高井先生を始めとする高井ゼミの方々、教務の方、相談に乗ってくださった全ての方に感謝致します。ありがとうございました。


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