デンマーク エグモントホイスコーレ インターンシップ (飛田 新着2015)
経済学部 飛田海里
留学先
エグモントホイスコーレ(デンマーク)
期間
2015年8月7日~12月19日
動機
北欧の福祉制度に興味があった
費用
往復航空券 約8.5万円
生活費+学費12万円/月
レート 1クローナ=約17円
ホイスコーレとは
17.5歳から入学できる成人学校です。デンマーク人のみでなく、外国人も入学することができます。学校内でのテスト、入学試験なども存在しません。基本的には寄宿制であり、睡眠、食事、勉強、余暇を学校内で過ごします。
エグモント・ホイスコーレでは、1/3~1/4の生徒は障害をもつ生徒です。学校の様々な施設は障害者も使えるようなつくりになっています。
≪エグモントの立地≫
エグモントはデンマークの田舎のホウという場所にあります。近くには住宅地と小さなスーパーマーケットがひとつあります。森や海が近くにあり、とても静かなところです。海に面しているので港もあります。デンマーク第二の都市オーフスまではバスで1時間ほどです。ホウに駅はなく、電車を利用したい場合は近くのオダーという町まで行きます。
≪教員について≫
教員には2種類あります。ティーチャ―とへルピングティーチャ―です。
ティーチャ―
先生です。授業をもっています。エグモントに来る前、先生をやっていた人もいれば、そうでない人もいます。
へルピングティーチャ―
授業中の障害者生徒の手助け、グローバル生徒、日本人生徒のための通訳、ヘルパーのつかない障害者の介助などをします。もともとエグモントの生徒だった人が多いです。
日本人向けの授業(ライン:基本科目)を担当してくれた先生は、以下の通りでした。
片岡豊さん
現在は定年退職して、週に2回ほど学校に来ます。ボランティアのような形で日本人生徒の面倒を見てくれています。
深沢理恵子さん
へルピングティーチャーです。デンマーク人障害者の介助もしていますが、主に日本人の授業や日本人障害者をみてくれています。お二人とも日本生れですがデンマーク人の家族とデンマークに住んでいます。
ミケルさん
デンマーク人で脳性まひの先生です。ミケルはエグモントに来る前は牧師になるための勉強をしていました。授業では、教会や刑務所に連れて行ってもらいました。また、ミケルの利用しているパーソナルアシスタント制度についての授業をしてくれました。いつもヘルパーさんと一緒にいます。
タオさん
デンマークの政治についての説明や施設への付き添いをしてくれていました。中国出身で現在はデンマーク人と結婚し、デンマークに住んでいます。日本人の授業のほかには、太極拳、ヨガ、アジア料理などを教えています。
≪生徒について≫
全生徒200名ほどのうち、デンマーク人健常者が過半数、デンマーク人障害者が1/4-1/3、グローバル生徒と日本人生徒が各10名程度でした。
デンマーク人健常者
決められた時間、担当のデンマーク人障害者の介助をし、それによって給料をもらっていました。デンマーク人健常者は自分の介助する障害者生徒を「ボス」と呼んでいました。
デンマーク人障害者
学校で生活を送るためにデンマーク人健常者の介助がつきます。障害の程度や種類によって介助の人数、介助を受けられる時間が違います。障害の種類は様々でした。知的障害者、身体障害者、両方の障害をもつ人。交通事故や病気による中途障害の人もいました。
グローバル生徒
ネパール人1人、ミャンマー人1人、モンゴル人1人、ウガンダ人3人、ガーナ人3人のグローバル生徒がいました。この中で健常者はネパール人のみで、あとは足が悪い人、目が見えない人などがいました。ただ、みんな介助があまり要らない人たちだったので、介助はそこまで付いていませんでした。みんな障害者のための団体で働いていて、そこから派遣されてエグモントに勉強しに来ていました。
日本人生徒
日本人生徒もいます。学期によって人数が違いますが、私のいた学期は10人でした。前学期は2人でした。大学生は私以外に2人で、それぞれ、社会福祉士と教員を目指していました。社会人では理学療法士が2人、作業療法士が1人、介護施設に勤務していた方が1人、北欧の家具を扱っていた会社にいた方が1人、宅急便に勤めていた方が1人。障害をもっている方は1人で、個人の英語教師をやっている方でした。今期は6人の日本人生徒が、日本人の障害者の介助をしていました。日本人の介助をする生徒は学費免除を受けていました。
テーブルグル―プについて
朝食と昼食は基本的にこのテーブルグループのメンバーといっしょに食べます。各種行事もこのグループで参加することがあります。また、週一回のテーブルグループミーティング、キッチンの片づけも一緒に行います。基本的に障害者とその介助をする健常者の生徒は同じテーブルグループに所属します。
私のテーブルグループは生徒14人、へルピングティーチャ―2人、ティーチャー3人でした。生徒は、介助者2人障害者が2人、介助者1人の障害者が1人、介助者なしの障害者1人、通いの障害者が1人、日本人障害者が1人、私の構成です。男子8名、女子6名で、10歳代5名、20歳代8名、30歳代1名でした。通いの生徒には日替わりでヘルピングティーチャーが介助していました。日本人障害者には私以外の日本人生徒が介助に入りました。
≪1週間のスケジュール≫
前半
月曜日
7:15~8:30 朝食 8:30~9:00 朝会 9:00~10:30 Aモジュール 10:30~11:00 休憩 11:00~12:30 ライン 12:30~14:00 昼食+休憩 14:00~15:30 ライン 20:00~
火曜日
7:15~8:30 朝食 8:30~9:00 朝会 9:00~10:30 ライン 10:30~11:00 休憩 11:00~12:30 ライン 12:30~14:00 昼食+休憩 14:00~15:30 ライン 20:00~
水曜日
7:15~8:30 朝食 8:30~9:00 朝会 9:00~10:30 Aモジュール 10:30~11:00 休憩 11:00~12:30 テーブルミーティング 12:30~14:00 昼食+休憩 14:00~15:30 自由時間 20:00~ ホイスコーレタイム
木曜日
7:15~8:30 朝食 8:30~9:00 朝会 9:00~10:30 ホイスコーレタイム 10:30~11:00 休憩 11:00~12:30 Bモジュール 12:30~14:00 昼食+休憩 14:00~15:30 Bモジュール 20:00~
金曜日
7:15~8:30 朝食 8:30~9:00 朝会 9:00~10:30 リトルライン 10:30~11:00 休憩 11:00~12:30 リトルライン 12:30~14:00 昼食+休憩 14:00~15:30 リトルライン 20:00~
後半
月曜日
7:15~8:30 朝食 8:30~9:00 朝会 9:00~10:30 Cモジュール 10:30~11:00 休憩 11:00~12:30 Dモジュール 12:30~14:00 昼食 14:00~15:30 ホイスコーレタイム 20:00~
火曜日
7:15~8:30 朝食 8:30~9:00 朝会 9:00~10:30 ライン 10:30~11:00 休憩 11:00~12:30 ライン 12:30~14:00 昼食 14:00~15:30 ライン 20:00~
水曜日
7:15~8:30 朝食 8:30~9:00 朝会 9:00~10:30 Cモジュール 10:30~11:00 休憩 11:00~12:30 テーブルミーティング 12:30~14:00 昼食 14:00~15:30 20:00~ ホイスコーレタイム
木曜日
7:15~8:30 朝食 8:30~9:00 朝会 9:00~10:30 ホイスコーレタイム 10:30~11:00 休憩 11:00~12:30 Eモジュール 12:30~14:00 昼食 14:00~15:30 Eモジュール 20:00~
金曜日
7:15~8:30 朝食 8:30~9:00 朝会 9:00~10:30 リトルライン 10:30~11:00 休憩 11:00~12:30 リトルライン 12:30~14:00 昼食+休憩 14:00~15:30 リトルライン 20:00~
日本人向けライン(基本科目)
日本人向けラインは日本人のみの授業です。障害者のお宅訪問、刑務所の中の教会、障害者のための就労施設などの見学に行きました。先生のミケルのお宅に訪問して、パーソナルアシスタント制度についての説明も受けました。また、理恵子さんによる障害者の性についての授業もありました。理恵子さんが性指導教員の資格を取った経緯を教えてもらったり、「自分の子供が障害者と結婚すると言ったら?」などテーマを決め、それぞれ当事者やその親になりきってお互いを説得するというロールプレイングをしたりしました。
ライン(基本科目)はそのほかにグローバルライン、ミュージックライン、メディアライン、美術ライン、ヒューマンライン、スポーツライン、アドベンチャーラインがありました。グローバルラインはグローバル生徒のみの授業です。
Aモジュール(選択科目)
私は編み物の授業をとっていました。9人ほどで、4人は日本人、デンマーク人健常者は2人、障害者は3人でした。少人数の授業でしたが、みんなでのんびりとお話しながら編み物をしていました。障害者の生徒は英語を話せない人もいたので、デンマーク語も混ぜながらの会話でした。
Bモジュール(選択科目)
私はマインドフルネス(翻訳)の授業をとっていました。生徒は20人ほどいたと思います。毎回授業の始まりと終わりに瞑想をしていました。毎回先生のデンマーク語をヘルピングティーチャーに英語に訳してもらっていました。
リトルライン(応用科目)
毎週金曜日に1日ある授業です。前半も後半も同じでした。私はスポーツと寒中水泳の授業をとっていました。スポーツの内容は毎回変わり、ヨガ,太極拳、サッカー、ソフトボール水泳など様々でした。冬は寒中水泳のあとにサウナに入りました。
グループミーティング
毎週水曜日に行われる、テーブルグループミーティングです。上記で説明したテーブルグループのメンバーで行われます。その週の大事な予定やキッチンの片づけ当番の連絡や、学校に対する要求や疑問を言える場です。
ホイスコーレタイム
ゲストを呼んでの講演会や、イベント、先生の話など、内容が毎回変わります。
Cモジュール(選択科目)
障害者水泳をとっていました。人数は10名以上いましたがほとんど障害者がでした。私は日本人で障害者のアサコさんのヘルパーをしていました。体を洗ったり、水着を着るのを手伝ったりしていました。
Dモジュール(選択科目)
愛と性についての授業をとっていました。主に障害者のための授業です。日本人以外の生徒は全員デンマーク人障害者でした。デンマーク人の障害者にスポットを当てた恋愛バラエティのようなものを見たり、自分のパーソナルスペースについて考えたり、どうやったら恋人ができるかなどを話し合ったりしました。
Eモジュール(選択科目)
健康と食事についての授業をとっていました。毎回、午前中に料理をつくり、お昼にその料理を食べ、午後は栄養素とか、食事のバランスについて勉強しました。タオが教えてくれました。障害をもつ生徒も野菜を切ったり、洗い物を拭いたりとできることをして、みんなで料理をしました。
≪留学前後のスケジュール≫
留学前
2015年1月 申し込み
2015年4月 ビザ申請
2015年7月 デンマークへ出発・語学学校へ通う
2015年8月 学校へ向かう(留学中)
留学後
2015年12月 学校終了
クリスマスコースのお手伝い
2015年 年末 帰国私が参加したのは8月~12月の秋コースです。
理由
海外に行って暮らしてみたいというのが最初のきっかけです。その中で自分が行ってみたいなと思っていたのが北欧でした。デンマークを選んだのは、よく本などでデンマークの人々は幸福だとか、高福祉が取り上げられていたからです。そのうえで、障害者と健常者が共に生活するエグモントが面白そうだと思い選びました。
到着後の手続き
大きな街からは少し遠いのですが、学校までは自分で行かなければいけません。障害をもつ生徒は、一人で来るのが困難ならば、何らかの手配をしてくれる場合もあります。学校のあるホウは田舎だったので、電車は途中までしかなく、バスを利用する必要がありました。
学校に到着した次の週に市役所に申請をしに行きます。デンマーク人以外の生徒全員と、付き添いの先生方と行くので特に心配はありません。
到着した最初の週は自分の所属するテーブルグループで自己紹介をし、グループ対抗のゲームをします。朝、昼のごはんやイベントなどはテーブルグループで動くことも多いので、仲良くなれると良いです。あとは、生徒全員が食堂に集められ、学校のルールなどを説明されます。
第二週目に、授業紹介があり、そこで希望を出して授業が決定されます。授業によっては、日本人がとるのが難しいといわれる授業もあったので、興味のある授業は必ず担当の先生に確認をとりました。
住居
学校内に部屋を用意してもらえます。寮のような形です。シャワー、トイレは一部屋に一つついています。私は日本人の女の子と二人で一部屋を使っていました。障害のある生徒は基本的に一人部屋です。洗濯は学校にあるランドリーを使います。事務所で洗濯用のチップをもらい、それにお金をチャージして使います。洗濯、乾燥、それぞれ一回10クローナでした。乾燥にお金をかけたくない場合は、洗濯干場に干すこともできました。
食事
土日も含め、三食毎日学校で出してもらえます。ビュッフェ形式で、好きなものを好きな量をとり、自分のテーブルで食べます。また、食堂には間食としてフルーツやパン、ジャム、チーズなどがよく置いてあります。コーヒーや紅茶もいつでも自由に飲めるようになっています。
水曜日にある夜の授業後はケーキが出ます。日本食が恋しくなることも多かったので、学校の生徒用の食堂を借りて日本食をつくることもありました。外食は非常に高いので、ほとんどしませんでした。
インターネット環境
学校のWi-Fiを使うことができました。また、駅でもカフェでもWi-Fiが使える場所が多くて便利でした。
その他
学校の事務所では、手数料がかからず、お金を引き出すことができました。
豊さんが日本人用の自転車を三台ほど用意してくれました。
市役所で申請した後は、医療費は基本的にかかりません。
様々なイベント
パーティー
毎週金、土曜日は学校でパーティーがあります。音楽を流してみんなで踊る、クラブみたいな感じです。お酒も学校で購入することができます。酔っ払っているせいか、あまり話さないデンマーク人に話しかけられることも多かったです。
インターナショナルナイト
デンマーク人以外の生徒が、自分たちの国についてのプレゼンするイベントです。日本人グループは日本のトイレについてプレゼンしました。その他の国からは、ネパール人、ミャンマー人、ガーナ人、モンゴル人、ウガンダ人がプレゼンをしました。
修学旅行
5日間ほどの修学旅行もあります。ドイツとの国境の町に行くところ、ヨットで過ごし、自然を体験するところ、近くの島に行くところなど様々です。第三希望まで出して、学校側が決定をします。私はヨットに乗りたかったのですが、船酔いがひどいので、ドイツとの国境の町、フレンスボーにいきました。
42キロウォーキング
デンマーク人生徒とグローバルの生徒何人かでグループをつくり、二日間かけて42キロを歩きます。いくつかの休憩ポイントと宿泊ポイントがあります。障害者によっては手漕ぎ自転車、電動車いすなどを使って参加していました。
私のグループは日本人生徒2人、グローバルの生徒1人、デンマーク人健常者の生徒8人、障害者2人でした。私は目が見えないミャンマー人のトゥンさんと一緒に歩きました。
OB OGパーティー
エグモントの卒業生が集まるパーティーです。体育館のようなホールに集まり、お食事をしながら校長のオーレの話を聞いたり、バンド演奏を楽しんだりします。パーティーは一晩中続きます。
好きなもの発表会
食堂にステージをつくり、事前に申し込みをした人がなんでもやりたいことを披露するというもの。観客からの拍手で優勝者が決まります。歌、漫談、詩の朗読、楽器の演奏等、本当に何でもありでした。
他にも大きなものから小さなものまで、様々なイベントがあります。
友人について
デンマーク人については意外にも、英語を全く話せない生徒と仲良くなることが多かったです。知的障害と身体障害をもつT(仮名)は2016年1月に25歳の誕生日を迎えるのですが、結婚していない男性は25歳の誕生日にシナモンをかけられる風習があるらしく、よくそのことを気にしていました。11月あたりから、シナモンを見るたびに自分の誕生日を言うようになり、私の手帳に勝手に自分の誕生日を書き込んでいました。
グローバルの生徒とは特に仲が良かったです。おそらく、エグモントにおけるマイノリティー同士だったことが大きいと思います。みんなで誰かの誕生日を祝ったり、近くにお散歩に行ったり一緒に自転車に乗ったりしました。ネパール人の知り合いの方、日本人とグローバルの生徒全員で一緒にボーリングに行ったのはすごく楽しかったです。
苦労したこと
デンマーク語が話せないことで苦労した時期がありました。授業もすべてのことが基本的にはデンマーク語で行われます。その他の連絡もデンマーク語でされることが多く、毎回近くにいる人に聞かなければなりませんでした。中には「イングリッシュ!」(英語に訳して!)といってくれるデンマーク人もいて、心強かったです。デンマーク人と会話をしていても、デンマーク人が少し多くなるとデンマーク語で会話をし始め、そこから会話に置いていかれることが多かったです。そのことを仲の良いデンマーク人に話して、どうしたらデンマーク人と仲良くなれるのかを相談しました。
留学を終えて
やはり面白いと思ったのは価値観や文化の違いを感じたことでした。ネットで知っているだけでは感じられないことはたくさんありました。また、来る前もっていたエグモント、デンマーク、障害をもつ人たちに対するイメージとの実際のギャップを感じました。ホイスコーレは試験もないし、何かの資格が取れるわけでもないですが、自分はエグモントで多くのの経験ができて良かったと思います。
ただ、ホイスコーレの多くは田舎にあり、寄宿制の学校で、18歳~24歳の生徒が多く年齢層も偏っています。したがって、非常に閉じられた、狭い世界で生活することになります。そのことは頭に置いておいた方が良いかと思います。
デンマークに来る直前はフィリピンに行っていたので、人々の生活水準や街の雰囲気が全く違いました。人柄みたいなものも、大きく違うと思います。私のデンマーク人に対する印象はクールでうちわが好きな人たちです。シャイなのかとも思いました。日本人は何でよく笑うのか、にこにこしているだけで何で笑ってるのかとよく言われました。また、あまり外国人が好きではないのか、デンマーク人から話しかけられることはほとんどなく、だいたい自分たちから話しかけないと会話が始まらなかったです。デンマーク人同士での会話には入りづらく、少し話しかけても相手にしてもらえないこともありました。フィリピンにいた時は、知らない人からもあいさつや話しかけられること、英語が話せなくても一生懸命話しかけてもらえることも多く、先生たちも休憩中やお昼ご飯でも良くおしゃべりに入れてくれました。そのせいで、最初のころはフィリピンが恋しくなることがありました。