フィリピン デラサール大学 交換留学 (加藤 2014)

アジア

経済学部経済学科3年 加藤雅大

留学先

デラサル大学

期間

2014年9月~2014年12月(約4ヶ月)

動機

成長国であるフィリピンに行きたかった。生活力を身に付けたかった。

お金

費用≫航空券往復:約5万円(セブパシフィックで成田から)
生活費:約6万円/月(食費、交際費、旅行費含む)
レート≫1ペソ=2.5円(2014年9月当時)

一週間のスケジュール

月曜 AM 授業予習 PM 組織論
火曜 AM まったり PM 産業心理学
水曜 AM 授業予習 PM 組織論
木曜 AM 勉強 PM 産業心理学
金曜 AM タガログ語 PM 遊びに行く
土曜 AM まったり PM 遊びに行く
日曜 AM 勉強 PM 勉強

留学前後のスケジュール

留学前 2013年11月: 留学手続き開始。
2014年2月: 面接や書類手続き。
2014年7月: 航空券GET。
2014年8月末: 渡航
留学中  
留学後 2015年1月: 担当教員に報告

はじめに

私は、北海道大学経済学部入学後、3年次から高井ゼミに所属し、念願の交換留学を果たした。具体的な発端となるエピソードはないものの将来は海外で働きたいという思いから、入学当初には留学にいきたい!と思っていた。1年の時はサークル、遊びやバイトに熱中しており、なにも考えずにただただ大学生らしい遊びに興じていた。しかし、2年になったあたりから将来について深く考え始める。このままでは、海外で働くどころか、職も得られないのではないか?と危機感に駆られ、その年の夏に留学生を多く輩出していると名高い経済学部の高井先生に相談。最初はヨーロッパやアメリカのTHE留学を考えていたものの、相談した結果、将来の私の指針や現時点での英語力を考えたところベトナムかフィリピンといった途上国に絞られた。ベトナムのホーチミンにある大学は、情報不足や北大から留学経験者が0人ということで不安に思い、フィリピンに決定。ゼミの先輩に経験者が居るということで多くのアドバイスをいただいた。5年生を送るのは両親に反対されたため、一学期だけフィリピンで勉強することになった。
留学前は、海外渡航経験も多いわけではなく、英語にも自信がなかった。そこで、とりあえずどこかただの海外旅行ではなく、北大の正式なプログラムを利用して、海外に行きたいという思いから2年の冬に国際本部で資料を探していたところFSPというプログラムを発見。このプログラムは海外の日本企業を訪ねて、海外駐在員の話を聞き、将来の視野を広げようというものだ。海外一流大学の学生との交流もあった。私たちはシンガポールとマレーシアを訪れたが、ここで自分の英語力のなさを痛感。帰国後早急に英語力を養うべく、北大の国際交流科目を履修し友達作りに専念。授業後に、ご飯を食べに行ったりしていた。実際これだけでは伸びるはずもなく、留学当初は英語発信力のなさから苦労することに。

留学

1.留学手続き

1-1.渡航前の留学手続き

2年の11月頃に正式に交換留学準備を開始した。既に募集締め切り間近であったが、指導教員の高井先生や国際本部の河野さんの協力のもとスムーズに手続きを完了させた。1月頃に国際本部で面接を行う。留学の動機や授業履修予定などを英語で質問された。回答はたじたじではあったが英語力アップという条件付きで合格に。とにかく早め早めに手続きを終わらせ、準備を始めることを強く勧める。

1-2.渡航前の準備

渡航前には、ゼミの課題に追われていて、バタバタしていた。締切前にならないとやる気にならない自分の悪い癖でしょう。渡航日は大学のオリエンテーションが始まる一週間前に決めた。マニラ行の飛行機は関西国際空港か成田空港しかでていないため、朝北海道を出て、昼すぎにマニラ行に乗るか、夕方北海道を出て、空港泊しマニラに向かうという2つの選択肢が存在したが、僕は後者を選んだ。マニラ並の治安の悪さは経験したことがなかったため期待半分不安半分の渡航だった。マニラの空港は世界で比較してみてもかなり悪い対応らしいので心して到着したが、なにも問題はなくスムーズに空港をでることができた。デラサル大学が事前にタクシーの手配をしてくれていたので、宿までも割とスムーズだった

2.暮らし

2-1.ホテルでの暮らし

最初に泊まっていたのは、ピンクマニラというホテルだった。というのも、デラサル大学の寮が工事中で、留学生が使うことのできるキャパシティがないということだったので、大学から送られてきたメールに添付されていたホテルに渡航前に予約して泊まった。一泊1200円程の4人部屋でWiFi、エアコン完備の大学推奨ホテルということだったので、不自由なく泊まれるかなと思っていたが、マニラはそんなに甘くなかった。ホテルのロビーに入った瞬間、「あ、これはやばい。」と思わざるを得ないピンクのネオンにバックパッカーであろう人たちが酒を飲みながら騒いでいた。とりあえず部屋に入ってゆっくりしているとバックパッカーのタイ人が「なんで飲まないんだい?一緒に飲もうよ。」と言ってきたので、しぶしぶロビーに行きバックパッカーの人たちと会話を楽しんだ。外国らしいホテルだなと感じ、興奮していたがシャワーに入った瞬間その興奮は一気に覚めた。なぜなら水しかでなかったからだ。温かいと思って浴びたシャワーほど冷たいものはない。途上国に留学する者には冷たいシャワーに慣れておくことを勧める。しばらくすると日本人のバックパッカーの方がホテルに到着。何日間か一緒に買い物などを楽しんだ。ここでは正式に次のコンドが決まるまで滞在していた。なかなかコンドが決まらなかったのだ。なぜなら、私は4か月の滞在であるが、6か月分の賃貸料を請求してくるところばかりでなかなか決まらなかった。

ピンクマニラ詳細

エアコン無し部屋―1000円(一泊当たり)
エアコン有り部屋―1300円(一泊当たり)
一部屋につきトイレ、シャワールーム有
全部屋4人

プール付
朝食付き
ビリヤード台有

ピンクマニラ

ピンクマニラ

2-2. グランドタワーでの暮らし

オリエンテーション当日はピンクマニラで出会ったシンガポール人の留学生2人と一緒に大学へ行った。その日に出会った留学生にコンドを紹介してもらい、その日にピンクマニラを出た。次はグランドタワーというデラサル大学の交換留学生の半数また多くの正規の学生が住んでいるコンドに移った。
様々な料金、部屋のタイプが存在すると思うが、とりあえず自分の部屋の詳細を述べる。

グランドタワー
1ルーム 約8畳
ベッド 2つ
キッチン 有
生活用品付き
家賃 40000円/1ルーム
電気+水道代 約2000円
温水シャワー

グランドタワーの部屋

グランドタワーの部屋

私はこのコンドに三か月半住んでいたがとても快適だった。このコンドの7階にはビリヤード台や大きな屋外プール、ジム、卓球台などが完備しており、日本だと到底住めないようなところに住むことができた。マニラならではの生活であったと実感した。また多くの留学生や現地の学生が住んでいるということもあり、一緒に食事会や卓球をしたり、プールに入ったりと仲良くなることができたし、ホームシックには一切なることがなかった。また、オーナーが日本人好きなため、オーナーの家に遊びに行くと、様々なごちそうをいただいたりすることができた。
しかし唯一の難点といえば、47階建であるので、急いでいるときに限ってエレベーターが来なかったりして、イライラすることもあったが、それを補って余りあるほど快適な暮らしができたため、デラサールに留学する人には是非おすすめしたい。

グランドタワー

グランドタワー

3.授業

私が留学する前のデラサール大学の情報では、日本人留学生が少ないと聞いていたが、実際には、ここ1、2年で日本人留学生が増えたらしい。授業は日本人と一緒にはなりたくなかったので、タガログ語(フィリピン語)以外は日本人一人で受けた。授業についてざっくり説明する。授業は一コマ90分と日本では変わらない。しかし7時30分から一限は開始する。最後の授業は21時までである。小学生の授業の開始よりもはやい。総じて、フィリピン人は時間にルーズではあるが、早起きが得意だと感じた。仲が良くなった人がそうなだけかもしれないが。また、金曜日は基本的に開講している授業がほとんどない。そのため、木曜日はHAPPY THURSDAYといい、学生の多くが学校の近くの酒場で夜遅くまで飲んでいた。クラスの仲間や国際本部で手伝っている学生たちが企画してくれた飲み会に参加し、仲良くなる機会を設けてくれたのはありがたかった。
私が受講していた授業は3つあり、
1. Management of Organization
2. Industrial Psychology
3. Basic Philipino
である。
詳細について述べていく。

1. Management of Organization
この授業は月、水曜日の(16時15分~17時45分)である。交換留学生は私しかおらず、皆フィリピン人であり、約40人くらいが受講していた。グループワークがほとんどで、成績は、参加意欲、グループペーパー×2、テスト×3、授業に課されるワーク、最終テスト、最終ペーパー、最終プレゼンであった。やはり最初はクラスになじむことができず、グループワークということもあり、あまり経験のない私はとまどうことがあった。しかし、最終的にはグループワークのおかげで、メンバーと仲良くなることができ、わからないところを聞くことができたのは大きかったなと感じた。内容は企業内の戦略の立て方、メンバーの動かし方などなどである。授業についていくためには、予習は欠かせなかった。授業に使われるテキストは600ページ近くあり、2回の授業で50ページほど進むので、なかなか大変であった。それを悟っていただいたのか、先生のご厚意により、テスト前には、マンツーマンで授業の解説をわかりやすくおしえてくれたり、ご飯を出してくれたりした。おかげでテストの点はUpし、よい成績をとることができた。
ここまでいいことを述べてきたが、イライラポイントも同時に存在した。ひとつめは、生徒がうるさいということである。フィリピンには日本でいう高校がないため、フレッシュマンは16、17歳である。まだまだ高校のような雰囲気で、先生が話していても平気で私語をする人が多く、先生の声が聞こえない!ということが多々あった。また先生がそれに対して少し怒るので、授業が中断することもあった。二つ目はタガログ語で話し出すことだ。これがフィリピン留学にとってとても厄介なポイントである。先生は日本人である私に理解を示し、ほとんど英語だったが、たまに熱くなるとタガログ語が混ざってくる。「あれわからない。」と思い、少し考えてみるとタガログであったり。留学行く前に聞いていた話に比べれば、私の先生はだいぶ少ないほうだと思う。三つ目は、生徒が期限ぎりぎりになって課題をし始めることである。例えば期限が明日だとすると、その前日の夜に着手し始めるといったレベルである。上記したように課題はグループでこなすのがほとんどであり、Facebook上で連絡を取り合い、どのパートをこなすか議論する。留学生である私は2倍も3倍も時間がかかるというのに議論が始まるのがその日の夜とかであった。これにはかなり困った。一週間前に促しても誰も返事してくれないことも多々。フィリピン人のルーズさにはかなりなやまされた。
個人的にはこの授業は面白く、勉強していても全く苦にはならなかった。難易度もちょうどよく、グループワークもあるという「ことで、海外の授業形態をひしひしと感じることができた。

2. Industrial Psychology
この授業は火、木曜日(16時15分~17時45分)に開講されており、フィリピン人40人くらいで留学生私1人であった。内容は、中小企業を1つ決めてそれについてインタビューを重ね、最終的にプレゼンをするというものである。これも4人のグループ単位で進められる。最初の段階は業界を1つに絞るということで、先生を含めた生徒と議論していった。決めた業界の中小企業を調べ、そこにグループ単位でインタビューしていき、先生が条件としていたものとあっているかどうか検討。それに沿っていなければ、また議論し、業界を定め、インタビューという繰り返しだった。最終的には葬儀業界になり、実際に三回ほど、店に出向いて、インタビューした。それをクラス単位でまとめ、1つの本を作り、最後に先生に向けて、全員でプレゼンをするというものであった。
実際に葬儀場に行けたのはいい経験であったし、なにより驚いたのが、先生が私の石川県の地元で毎年行われる凧あげ大会に何度も訪れていることであった。なにかの縁を感じた。

3. Basic Pilippino
これは日本人留学生に向けたタガログ語の特別に開講してくれた授業であった。上智、早稲田大学の交換留学はタガログ語必修だったらしく、私もそれに参加した。結局授業は特別に開講されたということで、先生の予定があわないこともあり、合計で3時間×10回ほどしか行われなかった。タガログ語でのあいさつ、物の単語、簡単な文法を学んだ。数回小テストが行われ、最後はフィリピンで感じたことについてレポートを書くというものだった。この授業は人数も少なかったので、先生と雑談しながら、タガログを学べるという非常に楽しい授業であった。
上記の3つが受講したものであるが、どれも非常に楽しく受けることができた。留学での授業を憂欝にしないポイントは3つあると思う。
1. とにかく最初の友達作りが肝心。グループワークを生かして面倒見のよい友達を作ろう!私の場合、どちらの授業も最初の回で、グループを組んだ。その際に、「日本人?」と絶好のアシストが来たため、そこからなんとか話を続け、仲良くなることができた。おかげで苦にならなかったと感じる。留学生には、授業でグループがもうすでにできてしまっていて、全然話せないという人もいたので、最初が肝心だ。話さないでオーラ―出さないで、限界の笑顔を作ってどんどん話かけてほしい。
2. 復讐より予習をがんばろう。日本に居る時より、何倍も予習に費やす時間は多くなるが、頑張ってほしい。予習の厚さが授業分かる度に比例すると思う。
3. 先生に顔、名前を覚えてもらおう。実際にManagement の授業ではたびたび授業後わからないところを聞いたりしていたため、テスト前の補講をしてもらえたのだと思う。こういった留学生に優しい、なにかしらの留学生スペシャルな施しを行ってくれる先生もいると思うので、分かっているところでも質問しに行こう!

4. 課外活動

4-1. KNK (国境なき子どもたち)

この団体はボランティア団体でフィリピンの大人が家族の居ない、住むところがない子供たちに住むところを提供してあげて(公民館てきな建物を想像していただけるとありがたい)、そこで一緒に住んで教育を施すという団体である。私が留学する前からフィリピンに居た人がそこでインターンをしているということで、紹介していただき、2回ほど、その施設を訪問した。内容としては20人くらいの子どもたちとともに、おりがみなどの工作を一緒に作ったり、ご飯を食べたり、スポーツをしたり、日本の歌を歌ったりした。行く前の意気込みとしては、きっと子供たちは精神的に問題を抱えているだろうから、一緒に遊んであげて元気を与えようと思っていた。しかし、建物についた瞬間「クヤー(お兄ちゃん)!」と元気に呼ぶ声が聞こえて驚いた。家族や住むとこがない子供なのに、こんなに元気でかわいい、キラキラした笑顔をしているのかと驚いた。振り返ってみると、私はむしろ元気を与えられたような気がした。翌日は筋肉痛で動けなかった。子供たちの若さを感じた一方自分の老いもひしひしと感じた。

4-2. パヤタス訪問

これもKNKの協力を得て、パヤタスというごみ山に連れて行っていただき、3件の家庭を訪問し、インタビューをした。ちなみにパヤタスというのは、フィリピンを象徴するごみ山である。なぜごみ山が存在するのかというと、マニラには、ごみの焼却所がなく、ごみを処分できないのだ。その結果一か所に集めることしかできず、結果として、ごみ山が形成されている。ごみ山の近くには共同体が存在し、小さい病院や売店が存在する。
インタビューした人、パヤタスの情報をまとめる。
・パヤタスのごみ山で働くというのは、ごみに埋もれた使えそうなものを集め、リサイクル業者に売ることを主としている。
・日給150円ほど(朝4時から10時までの労働)
・子供が山ではたらくことは禁止されている。
・いずれの家も3畳くらいの狭い家で、寝られるかどうかの狭い家。
・電気が通っていない家が存在。
・全員シングルマザー。
・子供が多い。(フィリピンでは記念という感覚で子供を作ってしまう人が多く、おろすのも宗教的に難しいそうだ。)
・勉強は公民館のようなところで行っている。
・野良犬がかなり多い。
・住んでいる人の笑顔がきれいすぎる。

インタビューした人の一人のお母さんが途中過去を思い出して泣いてしまうというハプニングがありました。私たちのインタビューが心を痛ませているのかと思うと、私は当時この活動自体に疑問を持った。本当に興味本位でインタビューなんてやっていいのだろうか。いわゆる先進国の者が安易にこの極度の貧困というシビアな問題を抱えているパヤタスという範囲に足を踏み入れていいのだろうかと深く考えた。しかし、再考してみると、この活動には意味があったのだと感じた。私が唯一パヤタスのためにできることと言えば、私たちの身近な人たちにこの経験を伝えることではないかと感じた。日本に住んでいては、到底感じることも考えることもなかったような世界がこんな近くにあることを友人に知ってもらうことで、少しでも関心をもってくれればパヤタスの人も喜んでくれるのではと思う。とにかくこの経験は本当に貴重なものであった。

4-3.Japanese Culture event

これは日本人留学生10人と現地の学生5人でストリートチルドレン30人を対象に企画したイベントである。私たちとしては、フィリピンで様々感じ、学んできたことの恩返しとして、また情報を得る機会の少ないストリートチルドレンに対し、少しでも外界をしってもらい、夢を持つきっかけになってほしいという願いを込めて企画したものである。
内容としては、遊び、歌、食事、劇、自分に向けたメッセージを書いてもらう。
食事は肉じゃがとコロッケをたくさん作っていったのだが、かなり残された。味覚の違いだろうか。肉じゃがは見た目がまずそうだからなかなかうけないだろうとは予測していた。
残されたものは、コンドの近くの、ストリートチルドレンに配った。子供たちは絶えず笑顔で企画したかいがあったなと感じた。夢を持つまでには至らなかったとは思うが、もう少し成長してから、日本人こういうことをしてくれたなと思ってくれればいいなと思う。
実施前のボトルネックが4つほどあり、
1.金がかかる。
2.子供はタガログ語しか話せない。
3.来る子供たちの実態が分からない。(どんな暮らしをしていて、どれくらいの貧困度か)
4.継続性がなく、インパクト小さい。
というものだったが、ミーティングを重ねて、募金や調査などをして乗り越えられた。4の継続性に関してだが、公式な機関と協力することができ、今後デラサールに来る交換留学生たちが企画することになると思う。たぶん一年に一回日本人留学生が協力してくれるということであれば、やることになるであろう。デラサールに留学することを考えている人はこういったイベントがあるということも考えて留学先を選んでほしい。個人的にはとても楽しいイベントになった。

5.今後の留学生にむけて

留学に行こうかどうか迷っている人は、絶対に行った方がいいと私は言いたいです。悩む理由も様々だと思いますが、それが言いわけではないかを考えてほしいです。もし言い訳であれば、飛び込んで、授業ももちろんですが旅行や課外活動を通じて色んなことが経験できます。留学先としてフィリピンはかなりおすすめです。
1. 日本人が好きな人が多い。これはかなり大きいと思います。タクシーに乗っても、「日本人?私は日本人好きだよ。」と話しかけてくれることがあります。とてもこれはうれしいことだと思います。アニメを知っている人も多く、友達なんかもできやすいと思います。
2. 近くに見たことのないくらいきれいなリゾート地がある。合間を見つけて、フィリピンの様々ある島にいってリラックスすることができます。留学に来る欧米人はかなり旅行好きだったので、それに便乗できると思います。
3. 日本が当たり前という考えが一気に無くなる。生活レベルから人との接し方まで。生活レベルに関しては、マニラはあらゆる面で日本とは違います。電車、電気(停電が続く)、洪水、台風、Wifi環境、食などを通じて、先進国ではきっと味わえないような経験をすることができます。日本がいかに快適かが旅行ではなく、生活を通じてひしひしとじっかんできると思います。人の性格に関しては日本人とは反対です。自分の気持ちはストレートに言いますし、時間にかなりルーズ、常に明るく、オープン。相手の気持ちを察することができなかったら「なんで?」と聞いてくることが多々あります。私はこれをなんども聞かれ、最初はイライラしてしまいましたが、なんでと聞かれる自分が悪いと思い、自分の気持ちをストレートに言うようになりました。このように文化の違う人と生活をするということはストレスが溜まることは多いですが、分からない分、相手のことを理解しようとするので、文化をしることができ、日本や自分を相対的に見ることができます。また留学を終え、日本に対する愛国心がかなり強くなりました。一方でフィリピンも大好きです。それを感じるには、文化、生活環境ががらりと違うフィリピンはいいのではないでしょうか?


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