特集: 留学一日目の日記: 中国、韓国、チュニジア、スウェーデン (Vol.1)
※『留学体験記Trans Japan』の第1巻執筆者達が、空港に降り立った留学初日や二日目の不安を記した日記(および自分で読み直した感想)を紹介します。
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1. 中国
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大連へ出発。ようやく実感がわいてきた。
関空―大連の飛行機の中で横になったある日本人が、
『中国語会話』の本をくれはった。
大学に着いて、鈴木さんと万さんという日本人に親切にしてもらった。
二日目
餃子食べた。うまい
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疲れた、疲れた、着くには着いたが、真っ暗で何もないところ。不安でいっぱいである。何でこんな何もないところに来たのだろうか。
こんなところに後半年以上もいられるのだろうか。
おとなしく英語圏に行けばよかったのじゃなかろうか。
チュニジアに行ったときとは全然違う。1人きりだ。
こんな孤独感は無い。
やる気はあまりない。
ただ、何も考えられない。
興味なんて湧いてこない。
本当に大丈夫なんだろうか。
それにしても、このホテル趣味が悪い。
布団も絨毯も全部真っ赤なんてなに考えてんだろう。
まあいいや、もう寝よう。
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2. 韓国
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初の海外経験。正直パニックだった。西へ行くほど憂鬱になった。
一人じゃなきゃな、と何度も思う。どんな人間がいるのだろうか、とか、そういうことでぐちゃぐちゃになる。
この日、日本は台風でめちゃくちゃにもめていた。
飛行機が飛ばない可能性もあったが、飛んだ。普通に飛んだ。ソウルは晴れていた。
文字が違う。言葉が違う。でも時差はない。どういうことだ?入国手続きは、すんなり終わってしまった。荷物のチェックすらない。だが、バッグのパソコンに気づかれ、韓国語で何かまくし立てられたが、意味がさっぱりわからなかった。でも、日本となにもかもが似ている。
バスはわからないので、タクシーに乗った。韓国通の人の勧めだ。一般タクシーは英語すら通じないと聞いていたが、本当にそうで、すごく簡単な英語ですら通じなかった。何か話そうとも思うが、「チョヌンイルボンテーハクセン」なんて、言えない。会話はできない。しだいに、不安になる。標識のハングル程度であればなんとなくわかったので、「ああ、ソウルには向かっているんだな」というのはわかった。途中、何かを一生懸命言ってくれているんだけど、全くわからない。
寮についたらついたで、チェックインの時間が過ぎていて、荷物を部屋に持ってこれなかった。で、「何個か持っていっていいか?」って聞いて何も役立つもの持ってこなかったのは失敗。和英辞書、パソコン、そして、タオルがないのに、洗顔フォームなんて持ってきてしまった。ルームメイトはデニーというカナダ人。真面目そうないい人だ。経営学を学んでいるそうだ。相部屋は韓国人と聞いていたが、必ずしもそうではないようだ。
10時30分には寝た。こんな日は珍しい。
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留学初日の日記に関して
今,この日記を読むと,自分の成長ぶりというかそういうものが垣間見られて面白い. 元々,僕は留学を熱望していたわけではなかった.どちらかと言えば,ちょっと興味のある韓国に「行けるのなら行っておこう」程度で,韓国語が出来たわけでも読めたわけでもなかった.しかも,初めての海外でいきなり半年の生活が待っているわけだから,楽しみよりも不安でいっぱいだったように思う.なんでもはじめてというのはパニックがつきものだし.
よく,韓国と日本の地理的な距離感から「日本にすぐ戻れるじゃないか」みたいなことを言われるけれども,言葉がまったく出来ない国に行くというのは,そんなことを思い返させる余裕すら起こさせない.とにかく,最初は目的地に行くので精一杯だった.なにせ,文字もまったく読めなかったのだから当然だ.
今になって留学時代を振り返ると,いろいろやっておけばよかった事とか思いついて後悔している部分もある.だけど,これはある意味「余裕」なわけで.当時の言葉のできない状況ではこの「余裕」を作り出せなかった.そういうわけで,この日記にはさまざまな苦悩が凝縮されているように感じる.
3日目をすぎるとその苦悩も一段落するのだけど,その後はその後でいろいろ痛い思い出があって,あまり思い出したくない…っていうか,なんというか….
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3.チュニジア
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初日
寮についた時には疲れもピークでどうにか部屋に転がり込んだが、あまり寝られなかった。
翌日
朝6:30に起きて、とりあえず学校に行った。学校に行くときには親切な外人にバスを教えてもらった。0.38D(ディナール)。学校では多くの日本人にあった。入校手続のために2時間ほどならんだ。昼間には、朝飯を食べていなかったので水とピザを買って食べたが、とてもおいしかった。しかも結構安い。昼からテストだったが全くわからず。Le(レ~)といってすぐに終了。鍵をもらって早く帰ってきた。久しぶりのシャワーはとても気持ちよかった。夜はそのまま寝てしまった。
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<今振り返って>
チュニスに行く前は、言葉もわからず、寮の住所が書いてある紙切れが一枚だけ。こんなのでちゃんとその日に寮に泊まれるか不安だった。行くときは1人ではなかったのでさほど不安はなかったが、空港に降りた瞬間から遠い異国に来たことを空気で感じた。とにかく疲れもあったのか、空港から寮に向かうタクシーの中では、落ち着かない気分だったのを覚えている。寮についても、もう門限をすぎてしまっており、無理矢理転がり込んだ感じで。横になれたのがうれしかったが、書いてあるとおりに、あまり眠れなかった。時差のせいか、疲れのせいか、精神的なモノか、あるいはすべてか。
多分、これはたいした苦労もなく順調なスタートであったと思う。でもまあ、先のことが全くわからず迎える初日はこの先どんな海外生活をしても緊張するんだろうなと思う。すぐに順応したらしく、その後は街をぶらぶら歩いたり、好き勝手気儘に生活できて、とても楽しかった。
4. スウェーデン
初日
BA 12:40成田→17:00前ロンドン(ヒースロー)
成田空港は広くて迷った。最後(?)に和食をしっかり食べた。
のりかえ ヒースローも広い!
BA 18:40ロンドン→21:00過ぎコペンハーゲン
タクシーでホテルへ(177DKK)。アストリア(Astoria)ホテル。高いわりにまあまあ。
出国審査や入国審査は初めての経験。飛行機に11時間、さらにロンドンから2時間くらい乗って、とてもつかれた。ロンドン-コペン間は寝ていて機内食を食べれなかった。英語が思ったより聞き取れない!なんだかつかれもあってナイーブになってしまっている。もっと積極的に。明日は元気を出して楽しまなきゃ。
翌日
ホテルの朝食バイキング。パンがたくさん種類があっておいしい。国立博物館へ。
12:16コペンハーゲン発→12:51マルメ のりかえ
13:10マルメ発→16:30ヨーテボリ
Oさんが迎えにきてくださった。ホストファミリーのSさんの家へ。スウェーデン人のお父さんと双子の男の子(DとM)とSさんの家族。夕食ごはんときのこのソースがかかったお肉とタイ風やきとり。とてもおいしい!DとMがスキー旅行に出かけた。お父さんの仲間が月一(最終金曜)の歌好きの会に集まり、夜おそくまでギターを弾いて歌ったり、音楽をきいて作曲者、歌手などを当てっこしたり。本当に楽しそう。Sさん夫婦は広告代理店をやっていて(昔はバンドのプロデュースもしたそう)その事務所でコンピュータを使っていいと言ってくださる。家でくつを脱ぐのはちょっとびっくり。家族はスウェーデン語、日本語を混ぜて会話。
今、振り返れば・・・
最初の頃はなぜか飛行機や列車の時間までしっかり記録していたんですね。タクシーの値段まで・・。初めて見たこと経験したことを全て書き留めておけば良かったと思います。初めの移動はもちろんだけど、この頃は1日1日が緊張と感動で、夜になるとどっと疲れていました。
「まあまあ」と書かれてているホテルは実は、今思えば結構いいホテルでした。古いけど設備も整っていたし、カウンターの爽やかなお兄さんの応対が親切で、「両替したい」と言うと、「僕だったらここでしないよ」と言ってレートのいい両替商の場所を教えてくれたり。
ただ、長旅で疲れて到着した時に、古めかしいホテルを見て、狭いエレベーターで上がり(エレベーターのドアが手動であることに、日本から出たばかりだった私は驚かされた)、部屋の鍵が硬くて中々開かなくて(これはこの時だけでなく、よく旅行先で私に起こることだった)、やっとの事でたどり着き、ちょっとみじめな気分になっていたので、狭くて居心地が悪いような気がしたのです。
この時の緊張と不安でいっぱいの気持ちを今もよく覚えています。