米国 ポートランド州立大学 交換留学 (平田 新着2015)

アメリカ・オセアニア

ポートランド州立大学(学部交換留学)
経済学部経営学科4年 平田 啓介

PSUの野球ユニフォーム

PSUの野球ユニフォーム

留学先

アメリカ合衆国オレゴン州ポートランド州立大学
(Portland State University)

期間

2015年9月~2016年6月

留学の動機・目的

・アメリカへの憧れ(スポーツ、映画、音楽…)
・英語圏かつ留学の定番アメリカで学ぶ
・移民の国でダイバーシティを感じる
・親元を離れて海外で生活力を身につける

参加動機

ポートランド州立大学への交換留学を志望した理由は大きく分けて3つあった。
1. 留学先について悩んでいたとき、ポートランドがアメリカで最近人気だと知った。アメリカで住みたい街No.1に選ばれるなど、評判がいいことを聞いて興味をもった。
2. 北大にはポートランド州立大学への留学経験者が短期語学研修・交換留学共に多いため、TransJapanなどを通して情報を得ることが簡単だった。1 年次のクラス担任の教授が学部生時代にポートランド州立大学に留学しており、直接ポートランド及び留学先の大学の話を詳しく聞くことでポートランドのイメージを掴みやすかった。
3. TOEFL iBTを1回受けてダラダラしているうちに交換留学の応募期間になってしまったので、自分のスコアで行けるところを選んだ。

留学準備

1.ビザと海外保険
交換留学生として派遣されるのでビザはJ-1ビザを取得した。所定の手続きをして円山にある領事館へ行ってDS-2019、パスポートなどの必要な書類を提出すればビザの許可が下りて2週間ほどでビザ付きのパスポートが返ってくる。海外保険については、PSUの提供する保険に加入した。1タームにつき $700ほどかかる上に、PSUの場合はPSUの保険加入が義務というわけではなかったので、日本で業者が提供する海外留学保険に加入しておけば良かったと後悔している(アメリカでは大学によってその大学の保険への加入を義務付けている)。

2.クレジットカード
クレジットカードについては、ゼミの先輩が勧めていたキャッシュパスポート(http://www.jpcashpassport.jp/)というものを利用した。これがあれば現地で銀行の口座を開かなくても簡単に日本から送金できるので便利である。ウェブ上で入金、残金、取引の確認なども簡単にできる。ただ現地で銀行の口座を開くのが一般的ではある。

3.携帯電話
SIMフリーのスマートフォンは留学前からもともと持っていたので、
HanaCell(https://www.hanacell.com/)というT-Mobileの代理店からSIMカードを購入して現地で使っていた。キャンパス内は基本的にどこでもWi-Fiが使えるため現地のキャリアと契約しないでもやっていけないことはないが、アメリカ人は友達との連絡にテキストメッセージをよく使うので、アメリカの電話番号を持っているに越したことはない。Wi-Fiだけで何とかしようとしていた日本人もいたが、外出時はほぼ連絡が取れないので何かと不便そうであった。

ポートランドと PSU のキャンパス

ウィラメット川の向こうに見えるダウンタウン

ウィラメット川の向こうに見えるダウンタウン

ポートランドはアメリカ西海岸のオレゴン州にある都市で人口60万人ほど。札幌と姉妹都市である(街が碁盤の目というところも共通している)最寄りの都市はワシントン州のシアトルであり、車で3〜4時間の距離にある。近年人気の街でもありカリフォルニア等から移住してくる人が増えているため、ポートランド中心部の住宅価格が高騰している。他の都市より白人の割合が高く、黒人・ヒスパニック系が少ない。
交通の便について、市街地にはバス、ライトレール、ストリートカーが走っているため近場には簡単に移動できる。しかもPSUの学生はストリートカーを無料で利用できるので日常的に利用していた。ポートランド郊外に行くにはバスもしくはライトレールに乗る必要がある。ポートランド国際空港にもライトレールで行くことができる(ダウンタウンから40分ほど)。

キャンパスにあるパークブロックス

キャンパスにあるパークブロックス

ポートランド州立大学のキャンパスはダウンタウンのすぐ近くに位置しており、非常にアクセスしやすい。北大のように大きなキャンパスがひとつドーンとあるのではなく、街中に大学の建物が溶け込んでいるといった感じである。キャンパスの中心部にはパークブロックといって北大でいうメインストリートと中央ローンのようなものが広がっている。キャンパス内に喫煙所はなく禁煙ということになっている。が、吸う人はそんなことお構いなしに吸う。大学の寮が5つほどあり部屋の広さ、ルームメイトの有無によって家賃が変わってくる。

授業

PSU はセメスター制の北大と異なりターム制を採用しているため、1年を3か月×4のクオーターに分けている。1つの授業は基本的に4単位であり、現地の学生も1タームに3つか4つの授業(12~16単位)を履修するのが普通である。私は指導教官と相談した上で以下の授業を履修していた。

<2015 年秋学期>
・Economics of Environmental Issues 環境経済学(EC332)
・Economics of Race and Ethnicity 人種と経済学(EC419)
・Introduction to College Writing 論文指導(WR115)

<2016 年冬学期>
・Fundamentals of Game Theory ゲーム理論(EC321)
・Labor Economics and Industrial Relations 労働経済学(EC465)
・First Year Spanish スペイン語(SPAN101)

<2016 年春学期>
・Economics of Sports スポーツ経済学(EC399)
・Human Resource Management 人的資源管理(MGMT351)
・First Year Spanish スペイン語(SPAN102)

学部3・4年生であれば、単位互換のためにも専門科目は300番台以上を履修するのが望ましいということだったので、専門科目については環境経済学、労働経済学、スポーツ経済学といったミクロ経済学を応用させた授業を中心に履修した。1学期に専門科目3つはきついかなと思ったので、アカデミックライティングの授業をとったが、これまた予想以上に課題が多くさらに自分を苦しめることになった。そのため冬学期・春学期はもっと楽そうなスペイン語の授業をとることにした(北大でいうところの初級)。リーディングの量については、留学前から聞いていたので覚悟はできていたもののやはり多かった。授業によってはほとんど予習を必要としないものもあったが、基本的には毎週数十ページのリーディングをする必要があった。経済学系の授業はどれも課題・中間試験・期末試験の3つで成績をつけられた。もともとミクロ経済学はある程度理解していたので、授業についていくのが大変ということはなかった。テスト本番でも論述よりはグラフや計算問題が多かったので英語力で特別苦労することもなかった。ただ環境経済学の教授がなかなかのおじいちゃんで時々何を言っているかわからなかったので、その時はあとで教科書を読み込むことで対応した。また、人種と経済学の課題では統計に関する知識が必要な場面があって北大で統計学不可の私は焦ったが、同じ授業を履修している友達の力を借りて何とか乗り切った。
経営学系は人的資源管理という授業の1つしか履修しなかったが、終わってみてもっとビジネス関連の授業をとるべきだったと後悔している。というのは、PSUはビジネスの授業の履修に厳しい基準を設けており(prerequisite など)、その分授業の質と学生のレベルが高いと感じたからだ。人的資源管理では、毎回ウォールストリートジャーナルなどの記事を予習として読んで授業に臨み、授業内ではThe Officeなどのドラマを観るなど非常に実践的な授業であると感じた。授業の評価は出席点・中間試験・期末試験・グループプレゼンテーションに基づいていた。プレゼンでは講義内容を踏まえてグループ独自のビジネスを考え、その中でどのように人材を管理していくかというのをクラスで発表した。私はグループのメンバーにも恵まれ、なんとかこのグループワークを乗り切ることができた。授業毎にちょっとしたディスカッションなどもあったので、この授業が一番英語力を必要とした授業だと思う。
最終的にどの授業でもA(秀)もしくはB(優)をとることができたので、成績については満足である。ただ良い成績をとること自体は北大よりも PSU の方が簡単だと感じた。ちなみに PSU はオレゴン州トップの大学というわけではなく、州内ではオレゴン州立大学(OSU)、オレゴン大学(U of O)に次いで 3 番目の大学という評価が多いようである。

生活

大学の寮に申し込んだものの全ての寮が定員に達していたため、最初の学期はホームステイをして過ごした。ホストファミリーはフィジー島出身のインド人夫婦で週に3回は美味しいインドカレーがディナーとして出てきた。ホストファザーは元気な65歳のおじいちゃんだった。彼はお喋りが大好きなため、夕飯時は時に2時間ほど続く彼のマシンガントークに耐える必要があったが、英語のスラング教えてもらったりありがたいお話をしてくれたり、彼との会話はためになることも多かった。とはいえ、一応門限がある上にキャンパスから片道1時間弱離れて少し不便に感じていたので、部屋に空きができたこともあり冬学期からPSUの寮に入寮することになった。
私が住んでいた寮はOndineという寮で古く部屋も狭かった。その代わりに他の寮に比べて家賃が安い($450/month、光熱費込)。ルームメイトがいたのだが、ルームメイトも日本人だったため最初はがっかりだった。だが、その分簡単に情報を共有でき、気を使わなくていい場面もあったので結果オーライである。また他にも多くの日本人が寮に住んでいた。特にPSUは早稲田の学生向けに特別なプログラムを提供しているらしく、早大生だらけであった。他には関西外語大学、同志社大学からの留学生が数名いた。北大生は自分一人だけであった。
このように日本人が結構いること、西海岸であるためアジア人自体多いことから日本食は意外と簡単に食べることができた。特に寿司屋、ラーメン屋は市内にいくつもあり日本食に興味のある友達を連れて何回か行った。食材についても郊外にある宇和島屋という日本食スーパーで何でも手に入れることができた。ただ価格は日本のスーパーで買うより1.5倍くらい高い。私は近所のスーパーでカレーとシチューのルウを買ってヘビロテしていた。カレーとシチューに飽きたらマクドナルドかピザを食べていた。ジャンクフード最高。
普段の生活についてであるが、平日月曜から火曜日までは授業を受けてそのまま図書館へ行き友達と勉強、帰宅して自炊、ダラダラして就寝というパターンが多かった。金曜日は友達とレストラン・バーへ行ったりホームパーティーを楽しんだりなど、勉強からのつかの間の解放感を満喫していた。「花金とはこのことを言うのか」と実感した。土日は午前中ゆったりして午後街に繰り出して買い物をしたり遊んだりしていた。日曜日の夜には次週に備えなくてはならないので、予習・課題をこなしていた。

課外活動

練習での一コマ

練習での一コマ

留学当初「アメリカ人の友達が欲しい!」と思っていた。また、私が長年続けてきた野球を野球発祥の地でプレーしてみたいという気持ちもあったので PSU の野球クラブに入ることにした。クラブと は日本でいうサークルのようなものなので、部活一筋でやってきた自分からすると物足りなかった。が、アメリカ人のパワーを目の当たりにして一野球選手として触発された。なんとなくわかってはいたが、やはり日本人選手とパワーが違いすぎた。そんなこともあり私は秋学期ウエイトトレーニングに励んだ。また、チームメイトは非常に早口で喋る上に、野球とベースボールでは使う単語も違うため(日本の野球は和製英語が多い)、私の英語力を向上する一助となった。
留学6か月目の3月にはワシントン州のベーリンハムという車で5時間半離れたところまで遠征に行き、ワシントン州の西ワシントン大学、カナダのオカナガン大学のチームと試合をした。幸いスタメンで出場することができ、米国初安打を放つことができた。メジャーデビューした気分だった。
このように、スポーツなどの趣味を持っている人は留学先のクラブなどに加入することをお勧めする。友達を作れるうえに、同じスポーツなのに日本とプレースタイルが違うなど、新鮮さを感じることができるだろう。

健康管理

Hot Lipsのチーズとペパロニピザ(2枚で$5)

Hot Lipsのチーズとペパロニピザ(2枚で$5)

アメリカといえば、ジャンクフードやスナック菓子などいかにも健康に悪そうな食べ物が思い浮かぶが、実際にみんなジャンクフードとスナックが好きである。ピザ屋やハンバーガーショップなどはキャンパス付近であればあちこちにあった。私自身も週に 1 回は寮のすぐ近くにあるHot Lips というポートランドでは有名なピザ屋でチーズとペパロニのピザを買って食べるなど、不健康そうな生活を送っていた。その結果、野球の練習や筋トレで体は動かしていたので体重が増えることはなかったが、脂の摂取量が多すぎたせいかニキビができてしまった。食生活を見直してヘルシーな食べ物にシフトしたが、なかなか良くならず結局日本でもお馴染みの proactiv を買うことにした。日本版と成分が違うためよく効くと聞いていたが、実際に使ってみると確かに効いた。日本版は使ったことがないので違いはわからないが…。 健康に関する話はこれだけでは終わらない。ニキビが治ってきたと思ったら今度は歯に軽い痛みを感じるようになった。嫌な予感がしたので PSU に付属のデンタルクリニックにかかってレントゲンを撮ってもらうと予想通り虫歯であった。歯磨きには気を付けていたのだが、アメリカ製の歯ブラシは頭がやたらと大きいため、奥歯に届きにくい。そのため奥歯の方に磨き残しがあったようだ。PSU の学生は安く治療を受けられるということだったが、それでも歯石除去と虫歯 2 本の治療で 4 万円ほどかかってしまった。ちなみにアメリカでは歯の治療費があり得ないほど高い。治療費が十万円単位になることも普通なようだ。その分治療の技術もかなり高いといわれているが、治療費に釣り合っているのかは疑問である。

留学を終えて

留学体験記によくあるのが、「異国での勉強・生活は大変だったが、困難を乗り越えて最終的には実りのある留学になった」や「多くの人/世界中の人と出会うことができた」といった感想である。確かにこれは私にも当てはまる。留学中は基本的に勉強の毎日で、初めての親元を離れての生活でもあったため楽ではなかった。ただ早くから仲の良い友達を作ることができたので、よく勉強した分よく遊び、楽しい毎日でもあった。アメリカという土地柄もあり、世界各国出身の友達ができたことも事実である。留学生であれば留学生同士で知り合うことも多いので、なおさらさまざまな国の友達ができやすい。しかし、こんなことはクリシェなので私は何か他のことを書きたい。
第一に、9 か月という留学期間は個人的に非常に短いと感じた。現地の生活に少しずつ適応してきたころにはもう留学後半に差し掛かっていた。私は幼いころから親の転勤でいくつもの地域・国を転々としてきたのだが、新天地の生活に適応し、その生活が本当に快適と感じるようになるまでには 2 年間かかったと感じる。語学力については、この 9 か月である程度伸びたと感じているがまだまだ自分の目指すところには達していないと感じる。そういったこともあり、私は 2 年間留学しないと満足できないのではないかと思った。もしあなたが留学期間について迷っているのならば、なるべく長期間留学することをお勧めする。「もっと長く留学すれば良かった」という声はよく聞くが、「半年留学で十分だった」といった声は耳にしたことがない。
第二に、多くの友達は作れたものの彼女ができなかったのが残念だった。春先、学内のあるイベントに行ったところ可愛い子(S さん)を見つけた。この頃には見知らぬ人に話しかけることにも慣れていたので、早速話しかけてみた。すると S さんはベネズエラ出身で日本語と日本の文化に興味があるということがわかり、「お互い日本語・スペイン語を教えあったら Win-Win だね」ということで連絡先を交換した。数日後に「スペイン語の課題手伝って!」と頼み、図書館に呼び出した。「課題手伝って作戦」が上手くいったので、次は学内のちょっとしたイベントに誘ってみたが、日程が合わないということで断られてしまった。そこで「課題手伝って作戦」をもう一回試し、さらに「課題手伝ってくれてありがとう作戦」を実行することにした。S さんに「この前は課題を手伝ってくれてありがとう!お礼に和風カフェに連れてってあげるよ」とテキストしたところ、了解してくれた。そんなわけでカフェデートに成功し、その後も一緒にホームパーティーに行ったりするなど、順調だった。しかし、事態は急変する。ある日 PSU の野球クラブに甲子園出場経験のある日本人(R 君)が加入してきたので、いろいろ話を聞いていたところ R 君は S さんと超仲が良いことが判明した。その日の夜、S さんにインスタグラムをフォローされたので見てみると R 君とのツーショットが何枚もアップロードされていた。さすがにこれはショックだった。その次の週にホームパーティーがあり、S さんも来ていたので私は酔った勢いで「R 君のこと好きなの?」と聞いてみると恥ずかしそうに「うん」と答えた…。そんなわけで私の片思いは儚く終わった。結局こうして彼女はできなかったのだが、異国の地で片思いのドキドキを味わい、そして挫折したのはいい経験になったと思う。というわけで留学をする予定のみなさんには現地で恋愛をすることをおすすめしたい。

ゼミの指導教員が北大の留学ハンドブックで「教室の中で学んだことは、実は留学成果の1/3 に過ぎず、残りの 2/3 は教室外の耳学問や試行錯誤かもしれません1」と述べていた。私もその通りだと思う。留学先の授業で学んだ知識はもちろん大事ではある。しかし、それ以外にも大事なことを留学ではたくさん学べる。授業のために苦労したことで努力の大切さを知る、現地の生活に適応したことで現地人の視点から物事を見ることができる、友情や恋愛を通して人間として成長する、など挙げればきりがない。留学中に何を学べるかは、「どこの国のどこの大学に留学するか」よりも「何をするか/どんな経験をするか」にかかっていると思う。これから留学しようと考えている人たちには、ただ漠然と「留学したい!」と思うのではなく「留学先でこんなことがしたい!」と何かしらの目標・目的をもってほしい。
そして最後に、今回の留学を手厚くサポートしてくださったゼミの先生、経済学部および国際本部の方、そして何より家族に心から感謝したい。どうもありがとうございました。

1『北大生のための留学ハンドブック』北海道大学、2013 年、p.77


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