ベトナム ホーチミン国際大学 (ベトナム国家大学ホーチミン校) 交換留学 (関 2014)
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■はじめに
中学や高校の頃から海外に行ってみたいなとぼんやり考えており、大学入学後にも留学や世界一周などをした人の話を聞く機会があれば進んで参加していた。そのような活動を通して更に海外への思いが募っていくその一方で、行き先についての明確なビジョンが一切無かった。その時の私を助けてくれたのが、伯父と指導教員であった。伯父は起業家で、海外にも拠点を持つビジネスを行っている。その伯父から「今伸びている途上国へ行き、その空気を感じてきなさい。その経験が必ず将来に役立つ。」とアドバイスを頂いた。そのことを指導教員に伝えたところ、ちょうどベトナムに新しい協定校があるという話をしていただいた。調べてみるとベトナムは急速に伸びている国ということで、ベトナム留学を決心した。
恥ずかしながら、留学前はベトナムについての知識は一切なく、ベトナム戦争やベトナム料理と言った程度のイメージしか持っていなかった。
そこで、留学に興味があってこの文章を読んでくれている人に伝えたい。ここまでの文章で私はただ周りに流されて留学先を決めたと思うだろう。正直それは事実だ。だがしかし、周りに流されていたとしても、この留学は日本で普通に暮らすより何倍もの価値あるものであったと自信を持って言える。明確なビジョンがなかったとしても、ただ「行ってみたい」という気持ちがあるのなら、周りのアドバイスを参考にしつつ実行するべきだ。絶対マイナスな影響を及ぼすことはない。
そんな未熟者な私の留学をサポートしてくれた指導教員、北大の国際本部、IUの方々、そして楽しく実りある留学生活を過ごさせてくれたベトナムの友人たちには非常に感謝しています。本当にありがとうございました。
■渡航前
おそらく留学前準備で一番困ったものはVISA申請である。
まず、取得方法が載っているウェブページを探すこと自体にも苦労した。大使館のサイトに載っている番号に電話をかけた回数は20回を超えたが、常に「ただいま電話が混雑しております」の自動音声が流れ、日本国内でのベトナムの人気の高さが伺えた。最終的に、書類と代金を東京にある大使館へ郵送するという手段で事なきを得たのだが、パスポートを郵送するというのは少し勇気が必要だった。母から「ベトナムの大使館からよくわからない日本語でお金が足りないみたいなことを言ってたよ。」と伝えられて、謝罪の手紙と共に追加料金を送信しなおしたこともあったので、意外と融通が効くようである。
■IUでの生活~勉強編
履修した授業は上記の図の通り、英語のリスニングの授業1つと、経営系の授業5つを履修した。
IUは学生数が少なく、留学者数もまた少なかったため、留学生向けクラスのようなものは一切なく、普通のベトナム人学生と全く同じ生活を送ることになった。私としては逆にその環境が英語の練習や人間関係の形成においてありがたかった。
ベトナム人特有の英語の発音として、語尾が消えるという物があった。リスニングの先生もその例に漏れず、時々聞こえづらいこともあった。だが授業の中心は教科書のCDのリスニングだったのでそこまで問題ではなかった。また、ベトナム人は英語をスペル通りに読む傾向が日本より強く「”sugar”は”スガー”と呼ばない」と言った日本では聞くことがないだろう注意を受けるなど、元の言語によって言い間違えやすい英単語が変化するということがわかり面白かった。
経営系の授業全てに共通する点が、グループワーク、プレゼンテーションが多いことだ。
北大の授業では殆どなかったので最初は苦労したが、クラスメートと仲良くする機会が増え、慣れないプレゼンテーション作成と発表の練習が出来て、良い経験になった。また、IUの学生はパソコンを用いたデザインに長けている生徒が多く、レベルの高いデザインを目の当たりにして非常に驚いた。逆に先生から「デザインばかり凝っていて中身がない」と言われていたグループも。
授業は、アメリカの優秀な教科書をコピー機で印刷してまとめた物を購入した。町中にphotocopyと書かれた、日本でいうコンビニのプリンターのような店が溢れているベトナムでは、非常に安価な値段で勉強道具をそろえることができた。
■IUでの生活~初めに
ベトナムでの生活を書く上で何より記しておきたいことは、IUの手厚いサポート体制である。
IUにはBuddy Clubというサークルのようなものがある。Buddy(相棒)という名前から分かる通り、全留学生に1人ずつIUの生徒がBuddyとして付き、空港への出迎えから大家さんとの家賃交渉、更には旨いレストランに連れてってもらうなど、どんなことでも進んで助けてくれた。私はBuddyと同じ授業を取ることにしたため、彼はもはやBuddyの域を超えて、彼の友人を巻き込みつつ常に一緒に遊ぶような仲になった。
言語が話せないと言う状況のせいで、どんな小さな問題でも現地人に頼らざるを得ない。という状態が更に親睦を深めたような気がする。日本にいる時は出来る限り自分で何とかしようと思っていた私としては、そういう意味では言語が話せないというのは一種のメリットであったかもしれない。その反面、世話好きなベトナム人たちのお陰で帰国した今でも「私は関です」と言うベトナム語すら話せないという状態はあまり好ましくないかもしれない。
■日常生活~住
住んでいた家は普通のアパートのような部屋だった。1階に大家さんの一家が住み、上の階にそれぞれ2部屋ほど個室があるといった感じだ。キッチンは無かったものの、それ以外の設備は日本の一人暮らしの部屋と変わらず、非常に清潔ないい部屋だった。虫の類も一切出てこなかった。大家さんが気まぐれで部屋の掃除や洗濯をしてくれるのだが、洗濯に関してはほんとうに気まぐれだったので(1週間経って服が帰ってくることも)、シャワーを浴びるついでに服を洗うという方法を取っていた。
留学生はほぼ全員私と同じ通りのアパートを学校から紹介されていたため、待ち合わせるのは容易であり、更にその通りが街の中心に近かったため仲良くなった韓国人留学生たちと行動することが多く、非常に充実した放課後や休日を過ごすことができた。
■日常生活~食
IUでは社会主義の影響で自由にクラブ設立が出来ないために、クラブ活動で忙しい生徒がいる一方、無所属でのんびり過ごしている生徒も多かった。そのため多くの生徒が私たちのことを色々誘ってくれた。Buddy曰く「ベトナムは娯楽が少ないから、飯食うくらいしか遊ぶことがない」と言いながら、彼らはたくさん我々を食事に誘ってくれ、また数えきれないほどの店と料理を紹介してくれた。ベトナム料理は本当にたくさんのバリエーションがあり、そこら中にレストランやストリートフードを見つけることが出来、さらに価格が平均30000ドン(150円)以下なので食事には困らなかったし、非常に楽しみであった。また町中どこにでもある60円ほどでコーヒーが買えるような安いカフェでも、wifiが完備されているなどネット環境も非常に良かった。
もしベトナム料理について、いくらでも書いていいならば、私はこの報告書の3倍の分量は書ける自信がある。それほどベトナムでの食生活は大満足であった。
■日常生活~衣
ベトナム人は服に構わない(※編集部注:留学生個人の感想です)。
私がおしゃれという単語の対極にいることは分かっているが、その私でもベトナム人は服装にさほど気を使わないことはわかった。K-POPなど韓国の文化が好きな人が多い影響で、たまに韓国人ヘアスタイルを心掛けているような人たちはおしゃれだった反面、学祭のクラスTシャツのようなIU T-shirtsなどで登校する生徒もいた。そもそも気候が暑いので、服装に気を使わずTシャツなどのラフな格好で過ごせたのは、逆に私にとってはちょうど良かった。おしゃれな人は日本から服を持参することをお勧めする。
ベトナム人女性(たまに男性も)は日焼けを極端に避けるため、30度の街中でもパーカーなど長袖の服を着るのはベトナム女子の常識であり、手袋をはいている人を見たときはあまりの衝撃でiphoneのカメラで写真を撮らせていただいた。
■ベトナムの文化と印象
個人的な印象だが、ベトナム人は良い意味でも悪い意味でも、みんな「子供」だなと思った(※編集部注:留学生個人の感想です)。
良い意味では、自信も好奇心も強いため、様々なものに挑戦していこうとする。そのマインドが今の経済成長を支えていると感じた。また、人とかかわる際も距離感というものを知らず、彼らのぐいぐいくる姿勢のお蔭で英語が喋れなくて四苦八苦していた最初の私の不安感が拭われ、友好関係をスムーズに築けていけた理由になった。
悪い意味では、マナーを守らない点があげられる(※編集部注:留学生個人の感想です)。
とにかく自由なのだ。自分さえよければそれでいいと言った行動理念が少しあり、例えばグループワークの際にも非協力的な生徒が数人いた。日本では非協力的でも一応は手伝おうとする体裁を繕うが、ベトナムではそれもない。また、ベトナムの交通の9割はバイクなのだが、その交通が非常にアグレッシブである。混雑した道路での運転中に譲り合いなんて姿勢を見せた物なら、おそらく1ミリも前に進めなくなるだろう。
ベトナム人の良いイメージは何だか、昔の日本のイメージに重なってくる。家族を大切にし、人付き合いを重んずる。向上心を持ち、仕事は完璧にこなそうとする。端的に表せば、日本人から、「恥の文化」を引いたものがベトナム人だと感じた。そのために非常に活動的なのである。
ベトナムの音楽もあるのだが、多くの学生がbillboard(アメリカのオリコンチャートのようなもの)に載っているような洋楽を好んで聞いていた。またK-POPは中高生に非常に人気であり、大学生でも引き続き聞いている人もたくさんいた。そのため一緒にいた韓国人留学生は何かと歌を歌って欲しいと言われたり、韓国語教えてと言われたりで忙しそうだった。日本の文化としては、「ドラえもん」などのアニメや、謎に「ガオレンジャー」がベトナムでは人気ではあったが、小さな子供向けなので、日本の歌を歌って欲しい、などともてはやされることはなく、少し韓国人に嫉妬することもあった。
私は日本にいたころ邦楽ばかり聞いていて、韓国人の友人たちもK-POPばかり聞いていたためアメリカの音楽に明るくなく、そのような音楽が好きなベトナム人の友人たちには、「彼らは山の上に住んでいたに違いない」と馬鹿にされることがあった。ベトナムに行く際は、ぜひ洋楽の勉強を忘れずに。英語の勉強にもなること間違いなしだ。
■ベトナムと日本
先ほど文化面では韓国に大敗を喫していると述べたが、実は日本語を勉強する人口は韓国語のそれよりも多い。と言うのも多くの日本企業がベトナムに拠点を立てており、給料が非常に良いということで、多くのベトナム人は日本語を勉強している。日本人が英語をしゃべれないと言う状況が、日本語習得に拍車をかけているという話も伺った。
また、オタク文化も一部では人気であり、家の近所の運動場のようなところで月1回のペースでコスプレフェスティバルが行われ、ほかの場所でもジャパニーズカルチャーフェスティバルと言って漫画が並び、空手のショーが開かれるなど、文化は浸透しているようである。もしベトナム留学に行く際に、あなたがコスプレイヤーなら、ぜひ自慢のコスプレを持参していくべきである。おそらくその会場のスターになれる。
また、抹茶が非常に人気であり、大手カフェチェーン店をはじめ、多くのカフェで、抹茶と言う名前を掲げつつ、緑茶味のする商品がたくさん提供されていた。
また、昔は「HONDA」が「バイク」という意味だったほどに日本製のバイクの人気が高く、ホーチミン市の中心を通る鉄道がJICAの協力のもと建設中であるなど、日本の企業はもはや生活の根底レベルでベトナムに関わっていることを知り、少し誇らしくなった。
ベトナム語を学んでいる留学生や、給料が日本の2倍だからと嫌々ながらこちらで仕事をしている社会人など、日本人はたくさん市内にいる。私は英語の勉強の妨げになるということであまり接しないようにしていたが、日本語を勉強しているベトナム人が、日本人と交流するために作ったサークルに招待された際に、多くの日本人に会うことができた。
また、その時のつながりで、人材派遣ベンチャー会社の方が留学生を招待して行われたランチに呼ばれ、インターンシップの紹介をさせて頂いたことがあった。そのインターンシップ先が、日本ではあまりお目にかかれないような大企業だったのでぜひ参加したかったが日程が合わずやむを得ず辞退した。しかしそのような日本では関われない企業と近づけるチャンスがあるのもベトナムだからこそだと思われる。
■最後に
北大から初の留学生としてIUに留学させていただいた感想として、ベトナムは非常に留学しやすい環境であったと感じる。物価が非常に安く、食事も日本人の口に合い、人々も親切で、都会ゆえ不便なことはほとんどなかった。英語学習においても、留学生に関わろうとする学生たちは普通に英語が上手なので問題もなかった。
ひとたびホーチミン市を出れば、郊外には多くのリゾート地が並び、少し離れればフエなどの歴史的な街もあり、お勧めする物は枚挙にいとまがない。
また一番ベトナムの特徴的なところは、日本企業にとってホットな国であるが故に、インターンシップなど、企業に触れることができる可能性が高いという点である。私は運が悪くインターンシップに参加することはできなかったが、うまく動けば、日本では関われないような企業とかかわれる機会が得られるかもしれない。ベトナムではなんでも許される雰囲気があるので、是非色々なことに挑戦していただきたい。