チュニジア ブルキバスクール 政府奨学金・アラビア語留学(佐藤 Vol.2)

スラブ・アフリカ

名前  :佐藤 理恵(北海道大学 経済学部4年 高井ゼミ)
留学先  :チュニジア、首都チュニス
期間  :2004年6月29日から7月23日までの役1ヶ月(休学せず4年前期の途中~)
留学の種類:チュニジア政府奨学金・語学留学

留学の動機:フランス旧保護国に興味があったから。
留学の決め手:フランス語が使用でき、アラビア語も学べて、サハラ砂漠にも近かったため。

留学までのスケジュール:
2004年4月:書類や願書の準備
5月:願書提出
6月23日:奨学金審査合格の通知
29日:パリ経由でチュニスへ(東京-パリ間12時間+パリ-チュニス間3時間のフライト)

費用:
 寮、授業料は奨学金として100ディナール支給される。(1ディナール=約88円)航空券往復18万円、生活費約2万円、学校主催のエクスカーション料金2万5千円。その他パリ滞在分1万円。合計23.5万円。

≪はじめに≫
 2004年夏、まるで日本から抜け出すかのように、単独チュニジアへ旅立った。当初はフランス保護下にあった 国へのごく軽い興味から、さほど深く考えずに安易にチュニジアを選択したのみであった。3週間の滞在の後、すっかりチュニジアに魅了されて帰国することになったのであるが、3週間という期間のなんという短いことか。私はいわゆる“なんちゃってチュニジアマニア”であることを自負しているし、このような短い期間の滞在ではチュニジアの多面性を多く見落としたであろう。例えば、私はチュニジア人を思い出す時は、笑顔で親切な彼らの姿を思う。しかし、現地で働く人の話では、彼らはビジネスの話になるとたちまちシビアになり、商談などは懐疑的あるいは閉鎖的だという。印象というものは多かれ少なかれ当人の主観が盛り込まれているが、私のは非常に薄っぺらである。
 留学というよりも、むしろ旅行者の視点という方が近い。乏しい経験にも関わらず、このような体験記の形式として発表する厚顔さをお許しいただきたい。

≪初めての街≫
 気温23度の朝のパリを発ち、地中海を眼科に見下ろしつつ3時間もすると、気温36度のチュニジアへと到着した。機内から一歩外を出てそのあまりの温度差に鳥肌が立つ。慌てて帽子を取り出す。タクシーでチュニス市内に入り、その原色豊かな花々やいかにも熱帯的な木々の並びに不思議な感覚にとらわれる。私のまったく知らない世界。初めての街に来ると見たことのないものが次から次へと視界に飛び込み、目眩に襲われる。しかし、その目眩とは肉体的なものではなくあくまで精神的なものであり、それは幻想と現実の入り混じった世界への入り口なのである。胸がはやりつつ、チュニスの街に降り立つ。
 初日はまだスクールの始める前だったこともあり、ホテル宿泊であった。フランス統治時代にオープンし、アール・ヌーボー様式のマジェスティックで一泊。クーラーとは名ばかりの埃だらけの熱風機が私を迎えてくれた。しかし、室内はかなりの豪奢さで、フランス語他時代の気分を満喫できた。
 早速街を散策してみる。暑い、日差しが暑すぎる。しかし、周りは帽子などかぶっておらず颯爽と歩いている。1時間歩いてようやく気がついたのであるが、みな日陰を歩いている。日向を歩いているのはヴァカンスで来たと思われるヨーロッパ系観光客と私のみである。早速日陰の地元の流れに加わる。

≪友好的なチュニジア人≫
 うわさは本当であった。チュニジアで外国人女性はかなりつきまとわれる。しかし裏を返せば友好的であるということである。道を聞けば手をつないで目的地まで連れて行ってくれるし、学校のそばにあるサンドイッチ屋の親父は私がねだればチーズでも羊肉でもおまけして口に放り込んでくれた。確かに、しつこい人もいるが、はっきり断れば逆上することもない。私はむしろその状況を楽しむことにした。日本人とみれば自分の持ちうる限りの日本語ボキャブラリーを披露してくれる人には、相手のボキャブラリーが尽きるまでこちらも日本語単語で応戦し、最後にはお手上げのポーズをさせた。「シャッキー・ショーン!(ジャッキー・チェーンのこと)」と叫んでくる若者には「カラーテー(空手のこと)」と叫び返してやった。すると、案外相手も怯むものである。こうなればしめたものだ。
 なにも男性だけが親切なわけではない。女性だって親切である。チュニジアはイスラム教国であるが都市部では戒律はさほど厳しくなく、女性は大体ヨーロッパ的な服装で開放的である。素敵なチュニジア人女性には何人も会った。
 外国人であり、女であり、日本人であるということは厄介であったかもしれないが、自分の気持ち次第でどうにでもなるものなのではないかと感じた。

≪学校、寮、友人≫
 ハビブ・ブルギバ・スクールは朝8時から12時まで。間に10分休憩が数回取られる。私は全くの初心者クラスに入った。クラスメートの国籍は様々で、イタリア、スペイン、フランス、ロシア、アメリカ、カナダ、トルコ、日本から来ていた。他にも世界各国からこの学校へアラビア語を学びに来ており、私も後からしったのであるが、中東圏でアラビア語教育を受けるとしたらこの学校はトップクラスに入るそうである。おそらく200名前後の学生が学んでいたのではないかと思う。学生は「フスハー」と呼ばれるどこでも共通の書き言葉と、チュニジアで話されるマグレブ方言の「アンミーヤ」の二つのクラスを選択できる。
 寮はファティマ・ブルギバ寮と呼ばれる女子寮に入った。部屋は3人1部屋が2部屋ずつ真ん中でつながっており、トイレ・シャワーは6人共同で使用することになる。寮には小さな売店があり、おじいさんが一人で朝早くから夜遅くまで営業している。日本人が多く来ているためなのか水という日本語のみ知っていた。最初は「ミズ、ミズ」と連呼して何を言っているのかわからなかったのだが、それがミネラルウォーターをさしてやっとミズであることがわかった。しかしこのじいさん、ちっとも笑わない。いつも神妙な面持ちで「ミズ」と言いながら水を差し出してくる。まるで剣客商売のようなじいさんであり、かえって私は親近感を持っていた。
 同室は二人ともフランス人。その内の一人、リラからは本当に多くのことを学んだ。自然に気配りができ、いつも笑顔を絶やさなかったリラにどんなに救われたことか。私がチュニジアを心から楽しめたのは、彼女あってのものであった。

≪カフェ≫
 チュニスの街にはカフェは数多く点在する。観光客向けの瀟洒なカフェと男性のたまり場であるカフェの二つに大きく分かれ、後者の方が圧倒的に多い。男性のたまり場であるだけに女性の姿はまず見ない。朝から暇そうな親父たちが水タバコ(シーシャ)を吸いながら、談笑、あるいは暇つぶしをしている。その中に外国人女性である私がのこのこ入っていくとあちこちからお誘いを受ける。メニューの中でチュニジア独特のものを見つけた。「ディレクト」なるもので、一見何のことはないカフェオレなのだが、コーヒーにミルクを注ぐか、ミルクにコーヒーを注ぐかの違いだそうだ。ちなみにディレクトはミルクにコーヒーを注いだものである。私にはその違いはさっぱりわからなかったが。
 暑いときにはレモネードか熱いミントティーを頼む。このレモネード、チュニジアの人たちは100%天然ジュースだと言い張っていたが、色といい、甘さといい怪しすぎる代物である。リラが「ケミカルジュース」と命名したほどであった。しかし、暑い中街をうろついた後の一杯はまた格別な思いがした。オレンジジュースもあることにはあったが、夏のこの時期はオレンジの収穫時期ではなく置いているところは少なかった。一方、ミントティーは暑い中に暑いものを飲むことにより毛穴が開き、熱が発散される作用があるそうだ。
 また、ネット事情に関していえば環境は良い方であると感じた。ピューブリネットというネットカフェとは少し異なる店がそこかしこにある。平均的な値段は一時間で百円くらいであっただろうか。

≪旅の思い出は胃袋へ≫
 チュニジアでの食の思い出は尽きない。通常の例を挙げると、朝食は通学途中のパン屋で焼きたてのパンを購入し、昼食はシャワルマと呼ばれるサンドイッチ(これで約150円)か休めのレストランで前菜、メイン、デザートのコースを頼むか(これで約300円)して軽く済ませ、おやつには揚げドーナツ、チュニジアの伝統的なお菓子、アイスにクレープを毎日日替わりで制覇していき、夜は酒盛りをしながらみんなの持ち寄ったもので適当に済ませていた。適当に済ませるといっても、それぞれの国籍の人が自分の食べたいものを持ち寄るわけだから、なかなかおもしろいことになる。韓国人の友達はトランク一杯に食料を持ってきていたので毎晩コチュジャン(日本で売られている味噌の2倍の大きさを創造してください。)と韓国のりときなこ(健康のためらしい。水に溶いて飲まされる。)は常備されていたし、イタリア方面からはパスタ、ドイツ方面からはジャガイモ、フランスはバゲットとチーズ、それに日本からの米で栄養バランスの偏ったものがテーブルに並ぶ。そのため、昼は意識してたんぱく質と野菜を摂取せねばならなかった。よく食べていたものにサラダ・チュニジアンがあったが、これはトマトやキュウリ、人参、オリーブの実を細かく刻んだものにオリーブオイルをかけて食べるものである。また、マグレブ料理の代表格として挙げられるクスクスは粉状の小麦を蒸したものに、肉や魚などのトマトベースのスープをかけたものであるが、これも野菜が多く入っているため、都合が良かった。
 夜、レストランに行くこともある。おいしくてフランス語のメニューのある店はフランス人に聞くといい。残念ながら英語のメニューのある店は高級ホテルなどへ行かねばならないだろう。夜、レストランで食事をした後人通りの多い新市街や旧市街を散歩する。おいしいものを食べて、楽しい友達がいて、素晴らしい街並みに囲まれて、思い出すと今でもそのときの幸福感が体中にしみ渡る。

≪車と流通≫
 この国で私はよく歩いた。外国に限らず国内の見知らぬ町でも当てはまることであるが、歩くことで得られるものは少なくない。いつもと違う路地にちょっとした思い付きで入ってみるだけで、ガイドブックにはないその町の顔を見られることがあり、そういったとき私は得をした気分になる。旧市街でふらりと観光客用の道からはずれてみると、今までの喧騒は嘘のようにチュニジア人の生活を垣間見ることができる。家の前で椅子に座って通りを眺める老人にその横で眠る猫。台所で何かを拵える女性の姿も見える。日常がそこにはあった。
 ある朝、また通学途中でいつもの道から外れてみたくなり、ふらりと路地を抜けるとプジョー、ルノー、トヨタ、日産の看板がずらりと並ぶ道路に出た。自動車修理工場である。そこで私は改めてチュニジアの国産車がないことに気がついた。市民の足ともいえる非常に安価な黄色いタクシーはほぼプジョー車であったし、街中を走る車はぼろぼろのプジョー、ルノー車が大半を占め、少し小綺麗な車を見かければそれらは大抵日本車であった。チュニジアで働くJICA職員の方に伺ったところ国産車はほとんどなく、輸入車がほとんどを占め、また車を持てるのは比較的余裕のある家であるということであった。アフリカ大陸で安全な観光地であり、アラブ諸国の中でも安定している国とはいえ、いまだ工業力、生産技術も十分とは言えない。経済自由化に伴いヨーロッパからの低価格で良質な製品が流入してしまう前に、この国の生産力を先進国並みまでに上げなければいけない問題がそこには存在した。
 チュニジアではフランス資本の小売業が多いことも特徴的である。チュニジア流通は現在大きく分けて3つに分かれている。1つ目は町のいたるところにある個人経営の商店である。ここでは、ナッツ類が置いてあったり、ジュースやアイス、果物屋や生活雑貨屋だったりする。2つ目はフランス系スーパーである。新市街には綺麗で便利なスーパーが何店か固まっているが、それ以外でもモノプリというフランス系スーパーをよく見かける。最後にハイパーマーケットの搭乗である。五年目にカルフールがさんにゅうしてからチュニジア小売業界の勢力地図は大きく塗り替えられることとなる。

≪チュニジアの車窓から≫
 チュニスでの交通手段はバス(非常にゆれるので乗り物酔いする人には向かない)、トラム、タクシーのいずれかである。バスは複数の人と行くのならタクシーで行った方が割安になってしまうこともある。その他の都市へはルアージュと呼ばれる乗合タクシーか国営鉄道で行くことになる。
 遺跡の多く残るカルタゴまでは電車で行く。チュニス湖を眺めながら20分もするとカルタゴに着くので自分の行きたい遺跡に近い駅で降りることになる。カルタゴの方へ行くと海も近いために、高級住宅も一気に増える。
 サハラ砂漠へはバスで行った。チュニスを出て南下していくと、延々と荒野が続く。遥か遠くに木がまだらに生えたような低い山を臨み、道路沿いには点々と白い小さな家々が並んでいる。時々見る整然と立ち並んだオリーブの木のさわやかな緑が新鮮である。南下すればするほど街を除いて風景は殺風景なものとなっていくが、何もないことにより存在する広大な自然の美しさがあった。小さな町で4WDに乗り換え、蜃気楼を目指して進めば、あたり一面砂丘しか存在しない。足元からどんどん埋もれていき、砂の表面の熱さは一瞬で、内面の砂はひやりと冷たく心地よい。灼熱の昼間から一変して夜はむしろ寒いくらいの砂漠で明かした一夜は、ずっと忘れないだろう。

~留学アンケート~
① その国に持っていってよかったもの。
正露丸、日焼け止め。
① -2 持って行かなくて後悔したもの
虫刺されのかゆみ止め(あまり効かない)、蚊取り線香、ワインの栓抜き(栓抜きは買えます)
② 現地人が喜ぶ日本のものは何?
扇子、日本のお菓子。
③ どんな病気にかかりましたか。その対処方法は?
腹痛。スイカとメロンの食べ過ぎだということはわかっていたので、正露丸を飲んで大人しくしていました。
④ 一番おいしかった現地の料理は?
マグレブ地方に代表される料理は大体なんでもおいしかった。ツナや卵を挟んだクレープを揚げてライムを絞って食べるブリックというのが特においしかったです。
⑤ 現地ならではの趣味やスポーツをしたか?それは何?
ベリーダンス。腰をおかしくしました。
⑥ 現地で自分が買いたい衣服はあったか?どんなものを買ったか?
通気性がよいチュニックのようなワンピースを買いました。都市部ではファッションはヨーロッパ化しているので着ている人はほとんどいませんが民族衣装のようです。あとムスリムの人達が巻くスカーフは綺麗なものが多いので何枚か買いました。
⑦ ネット、音楽、書籍、テレビなど情報環境はどうだったか?
ネットカフェのようなものが点在するのでインターネットには困りません。音楽はエキゾチックなアラビアンミュージックがよくかかっていました。日本の演歌のような感じですね。路上で安いテープ・CDなどが売っています。テレビはあまり見ませんでしたが三分の二はフランス語の番組で三分の一はアラビア語だったように思います。書籍も同様の割合で、フランス語、アラビア語のものが売られていました。欧米系の雑誌のチュニジア版もありました。
⑧ 留学中の気分転換方法は?
小田実の『なんでも見てやろう』を読みました。10分読めばかなり気分は変わりました。
⑨ 盗難、差別にあったり、逆に特別に新設されたことはあるか?
日本人にかぎらず外国人旅行者が旧市街などで買い物をするときは大抵値段を高めに設定されます。交渉すればまけてくれるのですが。街では旅行者で、女で、日本人であるということは非常に優位でもあり危険でもあると感じました。親切すぎてどこまで信じればいいかの境目がわからなくなります。
⑩ もっとも親しかった友達の国籍は?
同じ部屋のフランス人でした。10歳程年上の社会人の方だったので、人との接し方や仕事に対する姿勢など多くのことを学ばせてもらいました。
⑪ 現地で一番面白かったテレビ・映画・CD・漫画は?
『Intelligence』というチュニジア発行のフランス語雑誌が中東の情勢や視点など書いてあり印象的でした。