チュニジア・チュニジア政府奨学生・アラビア語留学 (Vol.1)
名前 Y.M.
留学先 チュニジア
期間 2000年7月
留学の種類 チュニジア政府奨学金 ブルギバスクール 夏期アラビア語短期講座
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留学の動機
この奨学金は、ゼミ教官から教えてもらった。それまでは、チュニジアという国は名前だけで、どのような国であるという知識は皆無に等しかった。チュニジア政府奨学金は珍しく、授業のほうの兼ね合いもクリアできそうだったし、自分にとって、まさしく異国の地であったため、興味がわいてきた。アラビア語を学ぶという希少さも、好印象だった。最終的に留学を決意したのは、「勢い」だったと思う。
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留学までのスケジュール
あまり記憶も定かでないので、大まかなスケジュール。
2000年1月 奨学金の存在を知る。
2月 お金を貯めるために週6回くらい短期で家庭教師のバイトをする。
3月 チュニジア政府奨学金の書類を申請する。
推薦状を三通も準備する必要があったので、各方面の先生方へ頼んでまわる
4月 締め切り直前に応募する
5月 (上旬)家に、ペラペラの封筒が届く。中身は、落選通知
(下旬)ゼミジンパでジンギスカンを食べている最中に、チュニジア大使館から電話あり。追加選考によって、採用となる→びっくり。
6月 急いで準備。といっても、航空券を買ったくらい。別に持っていく物無し。の割には、実質的にはじめての海外で、でっかいスーツケースを牽いて行った。
7月 チュニジアにずっといたな。とりあえず暑くて健康的な生活だった。
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費用(滞在は約30日)
航空券・・・115000 ・・・アエロフロート、成田発モスクワ経由チュニス行き
・・・30000 ・・・札幌、成田の往復+電車代とか。
食事代・・・15000・・・豪勢→400円 普通→200円 安いの→150円くらい
旅行代・・・60000 ・・・プログラムのオプションツアー(旅行会社企画)に全て参加
買い物・・・20000 ・・・珍しい物がたくさんあったからいろいろ買った気が
雑費・・・・・10000
計25万円くらいかかりました。向こうでは、節約という言葉を知らず、かなり贅沢した気がするから、抑えようと思えば、あと5万は余裕で抑えられた。が、おかげで楽しかった。
奨学金の内容は、向こうでの滞在費(寮費)、教材費、授業料、です。
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国の事情
・ 日本人は指をさされて、「ジャッキー・ショーン(チェン)」と呼ばれる。
・ 寮のトイレはたまにつまる。
・ 寮は、高級住宅街や、大使館がたくさんあるあたりに存在する。
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留学先での生活
月から金まで
朝9時から、50分授業(確か)で、10分休憩を3セット。お昼には終わり。
その後は自由。土日は休みでした。
基本的には、
夜明け モスクからアザーン(お祈り)が聞こえてくる。
7:00 起床
8:00 そろそろ学校へ(だいたいタクシーで)
9:00 授業開始
10:00 そろそろ暑くなり始める
11:00 昼飯が恋しくなる
12:00 授業が終わったので、ちかくの店で、1/4poulet を食べる。
13:00 街をふらつく。(寮にもどる場合は午睡)
14:00 最も暑い。頭にミネラルウォーターをかけながら街をふらつく。
15:00 歩き疲れる
16:00 寮の近くの売店で、ヨーグルトとかジュースを買って帰宅。
17:00 ボーっとする
18:00 以下、何となく過ごす。
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それぞれの国の評価(5段階 1=最悪 5=大満足)
・ 物価=☆☆☆☆
・ 治安=☆☆☆☆
・ 国民性=☆☆☆☆
・ 食=☆☆☆☆☆
・ 空気=☆☆☆☆☆
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学校のカリキュラム
アラビア語夏期研修プログラムで、アラビア語の授業を、初級、中級、上級にわけて開講している。初級は、全くのゼロから。中級は、日常会話をすこしできるくらい。はじめのクラス分けテストで、テスト用紙に何と書いてあるかさっぱりわからないと、初級に行ける。先生はもちろんネイティブ。僕のクラスは、アラビア語以外禁止で、ノートにカタカナや、アルファベットを書くのも禁止だった。終わった頃には、自己紹介や、軽い日常会話ができるのと、アラビア語が読めるようになってると思われる。
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語学情報(検定、進学への必要スコアなど、難しさ、努力)
努力はすればするほどよい。
アラビア語を学ぶ貴重な機会なので、真剣に取り組むと、いいことがあるかも。
奨学金の申請段階では、英語の語学力は要求されるが、問題ない。フランス語ができると、街では便利でしょう。勉強するのは、アラビア語の標準語なので、街で使われている言葉とちょっと違います(全然通じるけど)。コミュニケーションが取れる人は、行動の幅が広がってうらやましいと思う。
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検索ツール、本の紹介
チュニジア関連の本はほとんどありません。持参したのは、ロンリープラネットと、地球の歩き方。そのほかにもフットプリントなど、英語では多少他の文献も手に入ります。チュニジアの様子をもう少し知りたい方は、週刊の世界遺産でチュニジアの本があります。
インターネットで検索しても、チュニジアという国の雰囲気がつかめるくらいで、具体的に役立つという情報は無かった気がします。チュニジア政府奨学金の案内は、日本国際教育協会(AIEJ)のHPに載っていました。
http://www.aiej.or.jp/
アラビア語は、勉強できる場所が少ないので、各自でやるしかないですね。アラビア語どっとこむなるHPを見つけましたので、リンク紹介。
http://www.arabiago.com/
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チュニジアンラプソディ
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海外には韓国とチュニジアの二カ国しか行ったこと無いけど、かなり素敵な国でした。北には地中海、南にはサハラ砂漠。旧ローマ時代の植民地であるカルタゴの遺跡。などなど、観光立国でもある。この文章が活字になると思うと、なにかまともなことを書いてやりたいとも思うが、なにせ2年半も前のことなので、記憶が定まらない。思い返してみると、自分は本当にチュニジアに行っていたのだろうかというような、夢を見ていたんじゃないかという気さえしてくる。
とにかく、おすすめの国であることは間違いないが、留学環境の良さというのが最高である。基本的に寮に住むことになるが(寮には冷房がなくて嫌だからといって、ホテルに住んでいたアホな日本人が1人いた)、サマープログラムということで、世界中から同年代くらいの若者が集まってくる。アジア圏は日本人だけだけで、多くはEU圏内や、北米の国から来ていた。自分自身では初の留学だったが、寮の中では留学生同士で話している時間が多くて、特にイタリア、マルタ、フランス、ポルトガル、アメリカ・・・の人達と話した。国民性の各国比較みたいのもできてたのしかった。
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アラビア語について
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アラビア語は、相当難解な言語である。まず右から左に書くのが書きにくいこと甚だしい。あくまで噂だけど、日本語とともに、外国人が勉強するには世界三大難語のひとつ?らしいよ。しかも、同じような文字ばかりがつながっているから、読みにくい。でも、ゼロからはじめて一ヶ月もすれば、発音自体はできるようになりましょう。だから、いろんな文字が読めるようになるから、後は文法や、単語など・・・やることはたくさんあります。あと、アラビア語はイスラム教とのつながりが強いので、イスラムの言葉(ex.アッラー)などが入った語も結構あるかな。語族は南西のセム語族であります。
まったく知識が無くて大丈夫かと思って少し不安だったが、多くの留学生は、夏のバカンスをかねて来ているような様子で、語学に熱心でない人達(自分も含め)も多かった。アラビア語は、マルタ語と似ているらしくって、マルタ人は吸収が異様に早かったです。ヨーロッパの人達も、アラビア語は自国の言語と全然違うから難しいって言ってたけど、主語や動詞の位置などは、英語などと似ているので、まだましじゃないかとおもった。一ヶ月もいたら、買い物と、タクシーに乗れる位にはなります。
自分の場合はフランス語が少しできたので、街では半々くらいで使ってた。その間に学んだアラビア語はだいぶ忘れてしまったけど、いまでも、授業を教えてくれたimad(先生)のジェスチャー付きで、頭の中にいろんなフレーズが染みついてるから、言語を生で学ぶのはやっぱりいいなと思っています。授業は、アラビア語以外は一切の言語が禁止だったので、結構つらかった。休み時間に他の留学生は英語で復習しあってたけど、早くて微妙にしかついていけず・・・でも、べつに難しいことやってたわけじゃないので、何とかなりました。あの、意味不明なアラビア語が読めるってだけでも、自慢になります。
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アエロフロートについての苦言
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アエロフロートで荷物を盗まれたので、みなさん注意しましょう!!まったく。ヒトの荷物を勝手に開けるなよ。チュニスから成田にいくときに、シェルメチボ(モスクワ)経由だったんだけど、荷物を預けっぱなしにしておいたら、モスクワで盗まれたっぽいです。ダイヤル式の鍵しかかけてなかった私も悪いんだけど、飛行機で荷物が盗まれるなんて、噂ばかりで、自分がそんな目に遭うとはおもってもみなかったんで。成田で、荷物を開けたときに、色々漁られた後とかがあって、封をしてあった封筒が、破られてたり、小物数点が盗まれてたりた。お金入れてなかったし、そんなに重要なものは盗まれてなかったので助かったけど。とにかく、留学の終わりがこんな形だったので、ちょっとがっくりきたけど。まあ、それを差し引いても素晴らしい時間でした、チュニジアは。
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チュニジアでの旅
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チュニジアの国土は、日本の半分以下で、ステップやら、砂漠が多いからそんなに見るところがないので、主要なところには行けました。まだいってないところや、是非行っておけば良かったところもあるので、またいつか行きますが。
エクスカーションという形で、留学プログラムのオプションとして、旅行するという形でいきました。ようするにバスでの団体行動なんだけど、世界中の留学生と一緒に旅行すると、色々国民性とか見れておもしろかった。イタリア人はずっと歌を歌ってたり。行ったところとしては、中央部のカイルワン、西のビゼルト方面。あとは、砂漠、ジェルバ島などなど。
一番良かったのは、サハラ砂漠。夕方砂漠について、12時頃に寝たと思ったら朝の三時にたたき起こされて次の場所に行くという、非常に頭の狂ったツアーでしたが。ランクルで砂漠のど真ん中に行って。ちょっとパリダカ気分を味わえました。そこにテントで寝るっていうツアーなんだけど、砂漠は、本当に何もなくて、風と砂の音しかしなくって、行けども行けども砂漠ばっかりで・・・星も綺麗で。おもわず地平線めがけて走り出してしまいたいような。うまくその様子が書けないので、みなさんも行くといいかも。
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超簡単アラビア語講座(あんまり覚えてない・・・)
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ありがとう=シュクラン 初めまして=アフラン ワ サフラン
日本=ヤーバーン 日本人=ヤーバーニー 人にものを聞き返すとき アフワン?
↑さすがに、もっと覚えてますが。超簡単なのはこれくらいかな。でも、語学ってのは使わないとすぐ忘れますね。
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ぼくが行ったのは、留学と言っても、本当に短期間で、旅行の延長みたいな感じもしないでもないけど、旅行と違って、毎日同じ場所に住み、しかも、寮に住んで・・・みたいな感じだったから、それがとても良かったと思う。旅行だったら観光名所まわって終わってしまう気もするから。
アフリカなんて、テレビでやってるサバンナとか、砂漠とか、そんなイメージが先行してたけど、なかなかどうして素敵な街でした。想像できない空気というか。身の危険を感じるようなこともなく、夜でもふらふらできるし。できることなら、もう一回行きたいです。近いうちに。
今度行くときは、ついでに地中海を船で渡って、マルタとか、イタリアとかに寄ってきたいです。
F.ブローデルの『地中海』でも読みながら。
チュニジア ブルキバスクール 政府奨学金・アラビア語留学(佐藤 Vol.2) に続く
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