ロシア モスクワ国立大学 交換留学(トレポフ 新着2017)
ロシア モスクワ国立大学交換留学
経済学部経済学科4年 トレポフ ディアス
留学先
動機
- ロシア語圏から見た世界経済の理解
- ロシア語話者としてのアイデンティティの確立
- 語学力の向上
期間
2017年2月15日〜2017年7月2日(約4ヶ月半)
費用
・ 航空券(往復):17万円弱
・ 生活費:約2万ルーブル/月
生活費内訳
食費:500ルーブル/日、寮内ネット環境:300ルーブル/月、寮費:6500ルーブル/学期
・ レート 1ルーブル=約2円
1週間のスケジュール
留学前後のスケジュール
2016年
6月 北大スラブ研究センターの教授よりロシア語能力証明レターを取得
7月 交換留学面接、留学内定
12月 交換留学事前オリエンテーション
2017年
2月 モスクワ大学より入学受け入れ許可、出国
6月 ロシア語検定試験受験
7月 帰国
モスクワ大学留学までの道のり
両親がカザフスタン人である僕は小中高と札幌の公立学校に通いながらも、家では家族とロシア語で生活していました。両親は教育の一環として僕に日本語だけでなくロシア語も学ばせようと、在札幌ロシア総領事館で毎週末開かれる、「日本に住むロシア語圏の子供のためのロシア語教室」に通わせてくれました。学校で日本語を先に覚えてしまっていた当時の僕は、自分がなぜロシア語をやっているのか理解できず、それでもなんとなく日本の学校の友人達とは違う存在なのだと感じていました。ただ、物心がついた時にはすでにロシア語を学ぶ生活だったため、一部のバイリンガル特有の抵抗や辛さのようなものは感じていませんでした。ロシア語教室は小学校の頃に通わなくなったのですが(最高学年になり教員がいなくなったから?)、両親にはその後も中学、高校と家ではロシア語で話すように言われてきました。そのため、学校が終わり家に帰るとそこはもうある意味日本ではなくなるため、ロシアやカザフスタンへ留学しているような状況であったと言えるような気がします。(もちろん食卓には和食も出ますし、日本のテレビ番組も家族で観ていました。)
年を重ねるにつれ、自分は一体何者なのかと考えることが多くなりました。室蘭で生まれた端正な顔立ちの青年がカザフ語の話せない純粋なカザフ人であり、ロシア語よりも日本語が堪能である…と、考えただけで混乱することもありました。そんな風にアイデンティティの確立に努めながらも大学に入り、自分の語学力を活かしたい、磨きたいと思うようになりました。大学生になってから高校の時と比べて親の翻訳の仕事を手伝うことが多くなりました。日本語の方が語彙力はあるため、日露よりも露日通訳の方が得意でした。(ちなみに今でもそうです。)また、2015年の夏に北海道とサハリンの青少年交流事業に通訳として参加させてもらいました。初めての通訳経験です。約1週間をサハリンで過ごし、日露の青少年同士のちょっとした会話のサポートから、ロシア側の州政府や市議会議員と日本側の訪問団の通訳まで、様々な立場の人たちの間に立ち交流の一翼を担ったという経験はかけがえのないことだと思っています。
そうした学外活動の中で日露通訳者がロシアでの居住経験がないのはいかがなものか、と感じたのが留学を考える一つのきっかけとなったと思います。通訳の技術もそうですが、日本生まれのカザフ人としてロシア(旧ソ連)人なりの思考や生活スタイルを経験しておくことは、今後のキャリアや人生そのものにおいて必ずプラスになると確信していました。そしてそれが最終的に、自分のアイデンティティの確立にもつながってくるはずだと、なんとなく感じていました。
モスクワ大学を選んだ理由
ソ連時代、そして現代でもロシアで最高峰とされているモスクワ大学で講義を受けてみたかったから、というのが一つ目の理由です。また二つ目の理由は、ロシア語圏に留学へ行くにあたって首都であるモスクワで生活することで、そこに住む人々の生活・文化・価値観を感じてみたかったからです。あとは、2015年の2月に一度、一人旅でモスクワに5日間滞在したのですが、本当に美しい街だと感じたのでもう一度見てみたかったから、というのもあります。
留学準備
1 ビザ
カザフスタン国籍を有している人は一定期間のロシア連邦への入国にあたって特に必要な文書が無いため、入国審査がスムーズに行えます。留学生として数ヶ月滞在する場合でも、大学からの受入許可書を必要に応じて提示し、帰国日を告げれば入国させてくれました。ただ、ロシア語圏では入国審査であろうがレジの店員であろうが相手への挨拶が必須です。対面した時に一言ロシア語で「こんにちは」と言うだけで相手の対応が変わることがあります。向こうも人間なので、仕事の苦労を労いつつ敵ではないという意味の挨拶を心がけましょう。
2 決済方法
現在では必ずしもそうとは言い切れませんが、ロシアでは現金主義の風潮が根強いと、ロシアへ留学に行った人のブログに書いてあった気がします。大学の購買や食堂、スーパーでもクレジットカードは使えましたが、僕自身は現金のみで生活していました。というのも個人的に、クレジットカードを作ったり決済を行ったり、紛失した時に余計な手続きを踏むのが嫌だったからです。ロシア人以上に僕が現金主義者だということです。欧米の先進国でなければ、現地通貨の方がリスク回避や様々な時間的コストを節約できると思います。
3 携帯電話
ロシアでは日本と違い、SIMフリーの携帯電話が一般的です。出国前に日本のApple StoreでiPhone7を買い、ロシアに持って行きました。Apple StoreではSIMロックがされていない状態のものが売られているので、ロシアで買ったSIMカードを挿入すれば問題なく使えます。空港内に携帯ショップがあるのでそこでSIMカードを買うことができます。語学が不安な場合、ロシア到着後初の難関となるでしょう。通信費はプリペイド式になっていて、携帯ショップで直接入金することができます。月の通信費は僕の場合500ルーブル(約1000円)程度でした。また、寮に入ってからは速やかにWi-Fi状況を確認しましょう。モスクワ大学の場合、決まった曜日の2時間だけWi-Fi契約の手続きをしてもらえます。その一度を逃すとまた1週間待たなければなりません。
到着直後
モスクワに到着したのは2月半ばだったので非常に寒かった記憶があります。深夜空港から出ると、札幌ほど湿度が高くなく雪も想像より少なかったのですが、その分肌に突き刺さるような寒さを感じました。寒さや冷たさというよりは痛みのほうが大きかったです。空港へは、ロシア人である僕の幼馴染が車で迎えに来てくれていました。寒さと長旅の疲れを感じていたので本当に感謝しています。ちなみに彼は、帰国するときもわざわざ大学の寮から駅まで送り届けてくれました。また、空港でSIMカードを買うにあたってどの会社がオススメかなども教えてくれました。
寮(大学本館、通称「ゲーゼー」)に入ると屈強な警備員二人が学生証もしくは通行証の提示を求めてきました。僕にとってはここが一つ目の難関となりました。というのも部外者は大学に入れないため、初めて大学を訪れた留学生は案内役の現地の学生に「ゲスト」として入れてもらわなければならないからです。約束の時間に大幅に遅刻するとの連絡をくれた「現地の学生」に友人と戸惑いながらも、警備員と交渉することにしました。友人は職場に戻らなければいけなく、僕も疲れていたからです。北大の学生証、パスポート(ロシアで一般的には身分証明書として使われている)、そしてモスクワ大学からの受入許可書を提示してこちら側の身分を説明すると、奥で話を聞いていたおばさん(大学本館の職員?)が入館させてくれました。深夜だったため正式な入寮手続きは翌日済ませるように言われ、大学本館の仮通行証を発行してもらいました。寮は大学本館内にあるのですが、寮のあるエリアに入るためにも警備員に学生証か通行証を提示しなくてはなりません。厳重な警備体制だったので滞在中は安心して過ごすことができました。その日はシャワーを浴びてすぐに寝てしまいました。
寮の6階と7階が留学生用となっていましたが、男女で分かれてはいませんでした。もちろん異性と相部屋になることは無いのですが、隣の部屋にはイタリアからの女子学生が住んでいました。すべての部屋が二人部屋となっていて、各部屋に共同のトイレとシャワー・洗面台がありました。ただ、自分のベッドやテーブルなどがおかれている部屋は施錠可能で、壁は薄いもののプライベートは守られていました。
授業
留学中に履修していた授業は「国・地域経済」、「ロシア語」、「ビジネスロシア語」の3つで、「ロシア経済」の講義を聴講していました。世界経済・世界政治をロシアの立場から見たらどうなるのか、そしてそれを日本から見た世界像と比較したいと常々考えていました。
ロシアの授業は講義とゼミがセットになっていて、例えば午前中に履修者全員で「国・地域経済」の講義を受け、午後には少人数でその日のテーマに沿った議論やプレゼンなどを行います。インプットしたものを常にアウトプットさせられるので、新鮮であった一方で多少疲れることもありました。プレゼンの後にはその場で教員からフィードバックをしてもらえるので日本でのゼミと大きくは変わらないように感じました。また、講義やゼミの後には教員のもとへ行きなんでも質問することができました。さらに、あらかじめメールをすれば教員の都合に合わせて研究室へ行って質問などをすることもできます。この辺は日本と特に変わりません。
また、ロシア語のクラスは留学生向けに開講されたもので、レベル別に12クラスに分かれていました。1クラス5、6人ほどの少人数授業です。レベルの振り分けテストは履修登録を申請しに行ったその場で受け、僕はもっともレベルの高い第12クラスに所属することになりました。周りの学生は僕のように、ロシア語圏の親を持ち海外で育った人たちばかりでした。ある女子学生はドイツ語とロシア語、また別の男子学生はスウェーデン語とロシア語が堪能でした。授業の前半は講義、後半がプレゼンやスピーキングで、それぞれが自分の育った国の文化や風習をロシア語で紹介したこともありました。非常にレベルの高い授業だったので楽しかったです。
私生活
「ロシア人の生活文化に浸るにはまず食事から」と考え、大学本館内にある大食堂を頻繁に利用しました。ボルシチや黒パンは当然のことながら、茹でた蕎麦の実やロシア風ハンバーグ、そして特に勉強に疲れた日の夕食後には紅茶と血糖値の爆上がりしそうなドーナツを食べたりもしました。脳の回復に糖分は欠かせません。ちなみにロシア人は紅茶が大好きで、スーパーに行くと何十種類もの紅茶が売っています。食堂では一食あたり200〜300ルーブル(400〜600円)で充分に食べられます。
留学中は様々な方法で余暇を過ごしました。市内全域には地下鉄が通っていて、片道35ルーブル(約70円)でどこまででも行けます。モスクワ市内観光はオススメですが、ヨーロッパ最大の都市であるモスクワ市を堪能するには地下鉄が必要不可欠です。「トロイカ」と呼ばれるICカードを受付で買って、いくらかチャージすればスムーズに改札を通ることができます。また、タクシーに乗って街並みを眺めながら市内を移動するのもありですが、運転手との交渉力で値段が変わります。無認可タクシーというわけではないのですが、タクシーをつかまえ目的地と値段を言い、運転手が了承するとタクシーに乗り込むことができます。また、初乗り500ルーブル(約1000円)のタクシー会社もあるので事前調査は入念に行いましょう。地下鉄の終電が12時頃なのでそれを過ぎるとタクシー運転手との交渉が不利になります。一度、市内中心部のナイトクラブから郊外にある大学本館までタクシーに乗ったのですが、相場が600ルーブル(約1200円)のところ半額の300ルーブルで交渉を成功させたことがあります。相手を選び、哀れで弱々しい表情を見せるのがコツです。
ナイトクラブと言えば、週末は留学生仲間とモスクワ市内へ飲みに行くことがよくありました。大学の授業も大切ですが、留学先では息抜きも大切です。ナイトクラブは基本的に入場無料で、入り口では年齢確認や持ち物検査が行われます。パスポートは肌身離さず持っておきましょう。お店の中でお酒を買うと少し高くついてしまうので、寮で少し飲んでから地下鉄に乗り市内へ繰り出していました。
毎週土曜日の朝は早起きを心がけ、大学本館内にあるプールで朝7時から最低40分は泳ぐようにしていました。軽い二日酔いや勉強の疲れ、連日のどんよりとした天候などによる陰鬱な気分を転換させるために水泳をやるという習慣は日本だけでなくロシアでも健在でした。また、利用料は40分60ルーブル(約120円)と格安でした。
トラブル
…は特にありませんでした。法律を守り礼儀正しく過ごしていれば誰も生活の邪魔はしてきません。風邪や怪我も一切なく、二日酔い時の頭痛以外は健康そのものでした。
強いて言えば、6月終盤から7月2日までの1週間ほど、水道のお湯が出ませんでした。友人に聞くと、この時期はモスクワ市内の水を熱するための統合ボイラーが点検の時期に入り、冷水しか出なくなるとのこと。ボイラー設備が完備されている集合住宅が多いみたいですが、市が直接熱湯を供給している学生寮は例外のようです。仕方がないのでこの時期は冷水で頭と体を洗っていました。これが意外と気持ちが良く、帰国後も毎朝シャワーを浴びた後は最低1分間冷水シャワーを浴びる癖がついてしまいました。眠い朝も一発で目がさめるのでオススメです。調べてみると健康にも良いみたいです。心臓が弱い方や年配の方は避けてください。
留学を終えて
留学先での実績として、履修していた全教科で「5(ロシアでは5段階評価)」、そして、留学期間終盤に受けたロシア語検定試験ではC1レベル(ビジネスレベル)に合格することができました。半年にも満たない留学経験でしたが、多くを学ぶことができたと感じています。留学から帰ってきて、1ヶ月も経たずに再度ロシアへ行く機会がありました。2年前同様の日露青少年交流事業に、通訳として1週間サハリンへ同行しました。その時初めて、留学を通して自分は大きく成長したのだと実感しました。語彙力の向上をはじめ、ロシア人特有の言い回しやちょっとした冗談が言えるようになったことで通訳には欠かせない情報伝達能力が格段にアップしました。また、それによってロシア人からの信頼のされ方も変わりました。2年前は機械的に翻訳していただけの自分が、今回の経験を通して、そこに感情を吹き込むことができるようになったような気がします。もちろん学生レベルの通訳としてスキルアップの余地はまだまだあります。しかし将来はそれ以上に、日本語話者とロシア語話者の文化的・経済的・政治的架け橋になりたいと強く思うようになりました。
今回の留学ではたくさんの方にお世話になりました。国際連携機構の皆様、ロシア語能力証明レターを一筆書いていただいた越野剛先生、留学面接をしていただいた教員の皆様、経済学部教務の皆様、留学を後押ししてくれた家族、そして何より留学前も留学中もあらゆる相談に真摯に乗ってくれた担当教員であるゼミの高井哲彦先生、本当にありがとうございました。
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