フィリピン 私費英語留学&インターンシップ (児島 新着 2019)
3カ月の語学留学と
2カ月の海外インターンシップ体験記
経済学院修士1年 児島楓華
<目次>
1. はじめに
2. 留学の動機
3. 語学学校Palette Schoolを選んだ理由
4. GK Enchanted Farmでの地獄の5カ月間
5. 留学で気づいたこと
1. はじめに
私は、2018年8月上旬から2019年1月下旬までフィリピンのブラカン州というマニラからバスで3時間程の田舎地区にあるGK Enchanted Farmに留学をしていました。
GK Enchanted Farmとは、Gawad Kalingaというフィリピン最大のNGO組織によってつくられた村です。
私は、北海道大学を半年間休学し、この村にあるPalette schoolという日系の語学学校に3カ月間英語の語学留学をし、その後、2カ月間Gawad Kalingaでインターンシップ(日本人は私1人)を行いました。 ↑目次へ
2. 留学の動機
当初、私はフィリピンに行く予定はありませんでした。大学院生であれば私費留学をすること自体が当時の自分にとって想定外の事であり、交換留学をすることが最も正しい道だと思っていたからです。
しかし、2018年度後期の交換留学申請に落ちた結果、私には私費留学の選択肢しかありませんでした。当時の私は、海外留学をしたことがなく、留学に対して一種の憧れを抱いていました。そのため、どうしても海外留学を諦めることができませんでした。
そこで、親と担当教員とも相談した結果、フィリピンで3カ月の語学留学をすることに決めました。フィリピンを留学先として選定したのは、国際人になるという自身の夢を実現するためでした。夢の実現のためには、2つの行動をしなければなりません。
1点目は、英語力向上です。国際人になるためには、世界共通言語の英語を習得する必要があります。英語を習得するためには英語圏に留学する必要性があり、英語力の高い人々が数多くいるフィリピンは最適な環境でした。また、フィリピンは物価が安いこともあり、交換留学で先進国(アメリカ・西ヨーロッパ諸国)へ行くよりも低い留学費用で済むというメリットもあります。
2点目は、共感力の育成です。国際人とは、弱者や少数派の価値観に共感することのできる人だと私は思います。それゆえ、先進国での留学よりもこの点では中進国・途上国留学の方にメリットがあると思いました。国家を先進国・中進国・途上国という一括りで区切ることは語弊があるかもしれませんが、先進国(日本、アメリカ、西ヨーロッパ諸国など)に生まれた身として、中進国や途上国(東南アジア諸国・アフリカ諸国)での経験は人生で一度は体験しておくべきものだと個人的に思います。それゆえ、語学学校だけでなく、
何かプラスアルファの経験をフィリピンで積みたいと思い、インターンシップもすることにしました。(当時、インターンシップの採用は未決定な状態。)
ちなみに、留学する前の私の英語力はTOEIC710であり、全く英語でコミュニケーションをとることができる状態ではありませんでした。(新渡戸スクールでの授業内容を10%しか理解できず、ディスカッションは終始沈黙レベル) ↑目次へ
3. 語学学校Palette schoolを選んだ理由
私が、この語学学校を選んだ理由は、以下の通りです。
① 英語力も高く、かつ信頼できる友人が「Palette schoolは、マンツーマンで英語を教えてくれて英語力が伸びるよ!」とオススメしてくれたから。
② Palette schoolは、前述したように、Gawad Kalingaに近いから。(=語学学校での3カ月間、人脈を形成しながら情報収集をし、インターンシップ面接を迎えることができる。)
私にとって、語学学校の3ヶ月間は、Gawad Kalingaでのインターンシップ経験を積むための手段の1つでした。(正確に言えば、日系企業ではなく、外資の企業でのインターンシップ経験が私にとって重要であり、語学学校はインターンシップ経験をするための手段でした。)
そこで、Gawad Kalingaでのインターンシップ選考に合格するために、GK Enchanted Farmに潜り込み、3カ月間Palette schoolで英語力向上とインターンシップに合格するための情報収集に没頭しました。
ゆえに、立地的利点に惹かれてPalette schoolを選びました。 ↑目次へ
4. GK Enchanted Farmでの地獄の5カ月間
ここからは、タイトルにも書かれていますが、15回も病院に行ったGK Enchanted Farmでの辛すぎる経験を時系列的にインターンシップ開始前と後で分け、説明していきます。
① インターンシップ開始までの3ヵ月間(2018/8/12~2018/11/30)
まず、この期間は、Palette schoolに所属し、英語力向上とインターンシップ採用のための情報収集に徹していました。Palette schoolは、日系の語学学校であるため、日本人しかいません。
私は、明確な目的(英語力向上とインターンシップ経験)を持って留学に来ていたので、目的達成のためには、自分自身をあえて追い込む必要があると考えました。そこで、英語力向上のために日本人と会話せずに、現地のフィリピン人やフランス人に積極的に話しかけるようになりました。
しかし、当時の英語力ではコミュニケーションもうまく取れず、フランス人からは殆ど無視されていました。(フランス人と食事をしてもほぼ無視状態で、フランス語のみ話す等。)
最初の3週間は、孤立化(日本人に話しかけなかったので)し、ついに耐え切れずストレス性胃腸炎でマニラに入院しました。退院後も胃の調子が悪く、さすがにこのままではまずいと思い、自分の頭をフルに使って、自分自身を分析しました。分析の結果、心身共に不調の原因であったのは、孤立化ではなく、フランス人との交流なのではないかという結論に至りました。
その後、フランス人との交流をできるだけ避け、フィリピン人との交流に全シフトした結果、体の調子も良くなり、11月頃には、150人程のフィリピン人や奇跡的にごく一部のフランス人の友人ができました。
無事に、人脈も形成できた結果、インターンシップ採用面接官とも知り合うことができ、インターンシップ採用条件等(「どのようにしてGK Enchanted Farmに貢献するのか。」を明確にすること等)も教えてもらいました。
そして、パワーポイントやワードソフトを使用し、10ページにわたる志願理由書を全て英語で書き、インターンシップ採用面接に合格しました。志願理由書を書く過程で英語力も自然と伸びていきました。(11月時点でIELTSオーバーオール6.0)
また、野良犬に引っかかれて病院で注射を打ったり、携帯やパソコン、電子辞書を紛失したり、盗難されたりしましたが何とかこの時期は生きていくことができました。
➁インターシップ開始後からの2カ月間 (2018/12/1~2019/1/31)
ここからが、本格的な地獄の始まりといっても過言ではありません。
A.フランス人との生活
インターンシップ採用合格後は、強制的にフランス人の寮に移住することになりました。
ストレス性胃腸炎の原因が、フランス人との交流であったことを踏まえると、この移住は私にとってさらなる試練でした。
まず、一部のフランス人の友人を除き、彼らの多くは私のトイレットペーパーや水、シャンプー等の生活必需品を無許可で使用する傾向がありました。さらに、シャワーを浴びない人が多く、清掃もしないため、寮中に悪臭が漂っていました。その結果、ネズミ、ゴキブリや蚊が発生し、朝起きたら体の一部が腫れていることも珍しくはありませんでした。
最後に、彼らは飲み会等でも英語を話さないので、私は孤立を再度味わうことになりました。
B. 仕事内容
仕事内容としては、主に2つです。
1つ目は、GK Enchanted Farmに来る観光客の案内をすることです。
Gawad Kalingaは、売上の約80%を観光客から得ています。観光客は、後述するSEED大学生が製造した商品を購入するなどして見学に来ています。観光客の内訳としては、フィリピン人、オーストラリア人、アメリカ人等様々です。全体的には、中学生や高校生が多いような気がします。私は、彼らのニーズを満たせるように積極的に会話をし、案内をしました。
2つ目は、Gawad Kalingaが運営するSEED大学の生徒のストレス調査を実施することです。SEED大学生の多くは、社会起業家を目指しているため、大学でも農業中心のカリキュラムが組まれています。彼らは、朝4時には起床して農作業をし、朝8時から午後の7時までは授業を受け、休日は日曜日のみであるため、過度なストレスにさらされていました。そこで、ストレス調査を実施し、原因等をGawad Kalingaメンバーに伝えることにしました。しかし、観光客の案内役とストレス調査を同時並行で実施し、かつフランス人との共同生活、異国の言語に対する孤独感(フランス語、タガログ語)が重なり、皮肉なことに私自身がストレスに苦しみ、体重は5kg~8kg程落ちてしまいました。
そして、最もストレスを感じたのが、自身の無力さでした。上記の仕事に対して、毎日ベストを尽くして取り組みましたが、私の提案もGawad Kalingaには通らず(議題にもあげてもらえない状態)、自分が必要とされていないとさえ感じるようになりました。
そこで、1月末をもって、インターンシップを辞めることにしました。
C.お世話になった人々
辛い生活でしたが、200人程の多くの人々と出会い、私に親しくしてくれた人もいました。
ここでは、主に3人紹介します。
まずは、青いTシャツを着ている人についてです。彼は、38歳で1月末までGawad Kalingaの社員だった人であり、私の留学初期からずっと仲良くしてくれた大切な友人です。
彼は、以前Googleで働いていた過去があります。彼は私と同じようにGawad Kalingaに必要とされていないと感じており、偶然同じタイミングで退職を決意しました。この写真は、Gawad Kalingaを去る理由を話し合った日の時のものです。
次に、真ん中の人と右の人について紹介します。どちらもインターンシップ選考での私の面接官であり、英語・タガログ語もできない私にチャンスを与えてくれた人です。
真ん中の人は、Gawad Kalingaとパートナーシップを結んでいる企業の社員であり、フランス人のインターンシップ選考を担当しています。私がインターンシップ中も声をかけてくれ、体の心配をしてくれた彼に辞表を提出した時は、自身の無力さと期待に応えることができなかったことが涙として出てしまいました。あの時の涙は一生忘れることはできません。それでも、彼は、最後に私に「もっと僕に相談すればよかったのに。君はいつも僕の仕事を邪魔するのではないかとか考えていたよね。僕だけではなくフィリピン人にもリスペクトする姿勢を持つ君は素晴らしいし、君の才能の1つだね。」と言い褒めていただきました。本当に素晴らしい方に出会うことができました。
右の人は、私の直属の上司です。毎朝5:30には、1日の仕事内容を私に伝えて、仕事外でも私にストレスがないかどうかを気にかけてくれていました。また、仕事仲間との食事にも誘っていただき、本当にお世話になりました。 ↑目次へ
5. 留学で気づいたこと
最後に、留学で気づいたことについてお話したいと思います。
1つ目は、英語圏で仕事をするうえで、英語力は重要ではあるが、それ以上にプラスアルファの理系的ツールが重要であるということです。理系的ツールとは、経済学専攻の私であれば、統計学、会計学等の数学的な考えを用いて企業の企画、経営状態、戦略等を把握するツールのことを指します。(あくまで個人的な考え)もし、自身の英語力に自信がなくても、理系的ツールを持っていれば、自分自身の存在意義を示すことができたかもしれません。
2つ目は、大まかにいえばコミュニケーション能力がやはり重要であると思います。
コミュニケーション能力とは、相手の文化、人種、言語、宗教、性格等を否定せずに自分とは異なる環境でも適応できる能力、現地適応能力のことを指すと思います。
このスキルがあれば、慣れない環境下でも友人が増え、仕事や勉学(交換留学等)にも良い影響をもたらし、適応することができるはずです。
最後に、留学とは自身の能力が世界でも通用するのかを試す場に過ぎないので、「留学に行けば英語力が伸びる!」または、「留学に行ってコミュニケーション能力を向上させる!」等は本質とずれていると個人的には思いました。
(日本でできなければ、留学先でもできないのではないでしょうか。)
自分自身の無力さを感じた留学ではありましたが、自己研鑽し、もっと高みを目指す必要があると決意できた良い留学だったと心から思います。交換留学ではなく、私費海外NGOインターンシップ留学を選択できたことは、結果的に私の人生をより豊かにするものだったと今なら思います。
これから、交換留学を考えている皆さん、レールの敷かれた留学ではなく、少し別の道も検討してみてはいかがでしょうか?
自分だけのオリジナルな留学になるかもしれません。
皆さんの留学が、皆さんの人生をより豊かにするものであることを願います。 ↑目次へ