アメリカ マサチューセッツ州立大学 交換留学(牛山 Vol.2)

アメリカ・オセアニア

マサチューセッツ州立大学回想記
名前:牛山 喬史 (北海道大学 経済学部4年 高井ゼミ)
留学先:アメリカ合衆国(マサチューセッツ州立大学(通称UMASS))
期間:2003.08.23~2004.6(3年後期~4年前期)
留学の種類:大学間協定 交換留学

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クラーク記念碑前にて親友と
「インターナショナル」ストームを組む牛山

留学の動機:
「ずっと「留学」に憧れていた。しかし、いざ北大経済学部に入ったものの、あまり専門の勉強に身が入らなかった。逆に課外活動の方ばかりに情熱を注ぎ、北大中をかけめぐっていた。そんな中、国際交流を進める中で、留学生のひたむきさに触れ、「自分はこのままでいいのだろうか?」と考えるようになった。「自己改革」、「将来」を見据えるために、環境を変え、「ショック療法」に期待するしかないと決断! それから、とにかく英語にまつわる授業を積極的に取り始め、2年の後期ゼミ選びの際に高井先生と相談を期に留学を決意。もう後には引けない・・・。行くしかない!と飛び出した。

留学の決め手:
「英語が好きだったので、英語圏を。新しい語学を学ぶことも少し考えたが、どうせなら英語を使って専門の勉強をしてみたがった。費用的なことと、4年での卒業を可能にするために、「交換留学」を選ぶ。最初は行き先の大学のこだわりをそこまで持っていなかったが、クラーク博士や北大と縁のあるマサチューセッツ大学を選ぶ。結構運命に任せた。経営学部がいいと聞き、専攻を経営学に絞る。卒論のテーマの「産学連携」にも絡めることができた。

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仰天!これが3Lコーラ

留学までのスケジュール:
2001.初夏 TOEIC の試験官バイトをはじめ、刺激を受ける
秋 英語にまつわる授業を取り始める(英語演習、国際交流科目)
冬 TOEIC 初受験
2002.8 TOEFL-ITP受験
秋 ゼミ選びの前に教官に留学相談
秋 交換留学の意思表示を経済事務に提出
12 TOEFL-ITP を受験
2003.1 成人式のついでに TOEFL本試験
2. 書類提出
3. 合格通知
4. 寮選び、授業選び
5. 予防注射、パスポート申請
6. ビザ発行
8. 出発

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UMASS名物の26階建て図書館
12時まで開いているのが嬉しい

留学の一日
7:30 起床
8:15 ヨガの朝練
10:03 ダッシュで登校
10:10 授業開始
11:30 質問開始
12:00 メールチェック
13:00 レポート
14:30 予習
15:35 授業
17:30 ヨガ
19:00 空手
21:30 図書館
24:00 帰宅
24:15 腕立て選手権
25:15 就寝

費用 150万十北大の学費
航空券 (往復) 19万(行き 13.8万、帰り5万)
寮 9か月分 40万
食費 月 4万×9
保険・施設使用料 年 12万
教科書 1学期 3万弱×2
娯楽費 月 2万×9
旅行費 もろもろ

国の評価(5段階評価):アメリカ・マサチューセッツ(東海岸)
物価:☆☆
食べ物は安くて量がすごい! しかし、他は期待していたより、物価が高い印象を受けた。日本の100円ショップがいかにすごいかを思い知らされた。
治安:☆☆☆☆
大学近辺はド田舎だったので安全。ただ年に数回、大リーグの結果次第で熱烈ファンによる暴動が起き、警察が出動!
国民性:☆☆☆☆☆
とてもフレンドリー。上下関係がほとんどない。誰でも話しかけてくる。
食 :☆☆☆
正直味が濃すぎる。油ギッシュ、脂ぎったり。すぐ飽きる。
空気 :☆☆☆☆
田舎はすごい。ただボストンなどの都会に行くと臭い!

~アメリカで驚いたこと~
① なんと3Lコーラがあった!しかも99セントで、普通のペットボトルより安かった!
② ママチャリがない! あるのはマウンテンバイクのみ。=ショッピングは車で。
③ 距離の基準は「車」! 「すぐそこを左に曲がってまっすぐ」と言われ、1時間歩いたが、まだその目 的地は5キロ以上あった(汗)…さすがに諦めた。
④ 国内で時差ボケする。東海岸と西海岸で3時間、東海岸とハワイで6時間の差がある。
⑤ お酒は21歳から!バーにもIDなしでは入れない!取り締まり厳しい。
⑥ お酒飲み放題がない!!!(食べ物の食べ放題はある。ソフトドリンクおかわり自由も多いが・・・)

《はじめに》
あの運命の一日から10ヶ月後。気づいたらまた北大にいた。メインストリートに並ぶ出店の数々。「おいし~い、焼きおにぎりはいかがですか?」威勢のいい声が飛び交う、年に一度のあの空気。楽しそうに、和気葛々とクラスやサークルで出店の商品を売り歩く、思い思いにコスプレをする売り子さん。10カ月経ってもあの懐かしの仲間、新しい顔ぶれで賑わう北大の6月は変わらない・・・。札幌を離れて異国で過ごした10ヶ月間。あれは何だったのだろうか?まさに夢を見ているみたいだった。今こうして北大に帰ってきて、また日本の生活に適応しようとしている。でも、まだ若干違和感がある。まずルームメイトがいない、部屋からキャンパスがすごく遠くなった(それでも爆チャリで5分だが)。部屋がとても静かで、自分専用の風呂、トイレがある。午前3時にいきなりドアのノックと同時に一緒に飲まない?と誘われることもそうそうない。「確かに札幌も見ないうちに変わった。工事中だったマンションが新しく顔を出し、多くの新住居者を受け入れている。懐かしのお店も移転・閉店、新しい風が吹き始めている。北大のメインストリートの照明も信じられないくらいに明るくなった。また北大構内では独立行政法人化の影響も受けて、深夜パトロール、構内の自動車規制強化、シャトルバスの姿も見受けられる。ああ北大も変わりつつあるなあと感慨にふける。
・・・あの10ヶ月はなんだったのだろう。改めて問いただす。夢だったのか?まさに浦島太郎状態に陥ってしまう自分がいる。やっと地に足が着き、北大に置き去りにしていた牛山喬史と融合しつつある今、こうして過去を掘り起こしている次第である。時折、アメリカにいた友だちにメール、共に交換留学していた留学生とPC上でチャットをして、昔の自分のことを少し思い
出す。やはりこうして考えてみると自分は10ヶ月、アメリカという国、全く別の世界で今までとは全く違う生活をしていたのかもしれない。

自己紹介
好きな言葉は「わっしょい!」、好きなマークは「!」。そして何よりも北大が大好き!!! 「北大通り(きたおおどおり)」も「北大」通り(ほぐだいどおり)って読んじゃうくらいの単純ぶり。
「北大」という言葉を聞くだけで心が踊り、胸が熱くなる21歳。
そんな北大愛を全身に秘め、クラーク氏が12年間も学長を過去(1867~1879年)に務めたマサチューセッツ大学(University of Massachusets 以下UMASS)へ!北大Tシャツを常に着こなし、北大を世界にアピール! クラーク記念碑前で一人ストーム(北大ならではの儀式的な歌+踊り)、寮歌「都ぞ弥生」、ジャマイカ、インド、関西人と組んだInternational Storm! まさにクラークさんもびっくりなほど北大を全面に押し出してきた。

留学への決意・きっかけ
「人生、積極的になったもの勝ち! 何事も強く叩けば叩くほど、それだけ強く自分に充実感がはね返ってくる!」 その言葉を胸に北大に入って、課外活動に没頭。国際交流、語学推進、受験生・新入生歓迎、etc。とにかく北大中を、札幌中を走り回った。その中で多くの人に出会い、刺激を受けた。北大生であることに誇りをもつことができ、まさに人生の幸せ、充実の絶頂だった。しかし、「何か」が心に欠けていた。それは自分に対する自信、信頼、そして将来の夢であった。また、北大という、心地よいオアシスにどっぷりつかり、「自分」という小さな殻に閉じこもり、自己満足している、自分がいた。北大に入りたい!と、ノリで入った経済学部。北大生としては誇りを持ちつつも、専門に打ち込むことができなかった自分は、経済学部に対して、コンプレックスを持っていた。このままではいけない。そんな自分を変えたい! 「もっとでっかい人間になりたい! もっと違う環境に身を投じたい!」
「いくなら行ってみよう! ゼミ選択を機に心を決め、3年後期から旅立つことを決意!

《UMASS (マサチューセッツ州立大学)への道》~いざ出陣!~
成田発 「いよいよ旅だちのときが来た・・・」
時は飛んで8月23日。ああ、成田を思い出すだけで、目頭が熱くなる!空港で仲間に見送ってもらうなんてはじめてだ、感動だ、びっくりだ! 何だかドラマみたいだった。しかも、出発直前に手作りの写真・名前入りアルバム、直筆手紙をもらったりしたのでもうたまらない! 戦然身が引き締まる。正直なところ怖い。不安でいっぱいだ。でも、もう後戻りはできない。「ああコイツらにまた逢うために、逢うまでに絶対一回り大きくなって帰ってくる」と強く心に決めた。

いざアメリカへ
さあ、気合を入れて生涯初めての海外一人旅! うわあ、涙ウルウル、一人で頑張っていくぞ! ふんばば、フンフンフン! というシナリオには実はならなかった。むしろそうならなくてよかったと本当に今も思っている。そもそも今こうして無事体験談をかけているかも怪しい(汗)。とにかく自分はラッキーだった! というのも、北大法学部4年目のちかりんこと村田千佳さんという心強い相方と共に成田を飛び立てたからだ。姉貴のように慕う彼女がいてくれたからこそ、自分が尋常な状態で渡米できた。やはり正直ビビっていたのは言うまでもない。「さて井の中の蛙が外界に飛び立つ瞬間が来た。ちかりんが隣にいてくれたことが異世界に飛び込む際にどんなに心強かったかは計り知れない。最初はあまり面識がなかったが、乗り換えも含め、飛行機15時間、UMASSへの道のり、オリエンテーションなどで時間を共有しているうちにどんどん打ち解けていった。めでたし、めでたし! こうして、留学への序曲が始まったのだ。

ここがアメリカ?
いきなりクラークさんにご挨拶か? いや、そうはいかなかった。到着は午後でボストン空港の近くのホテルで一泊した。とにかくテンションは高まりまくり!さて、ここで一つ決断。アメリカではちかりんとは主に英語で話そう!「お互い留学に来ているんだし、しっかりと己を磨かなきゃ」と気を引き締めた。これはすごく有効だった。他の日本人とのやりとりも、なるべく意識して英語にしようと思えたのも、このおかげ。なるべく日本語を封印したかった!
さてさて、やっとホテルに着いた。サマータイムのおかげか、妙に空が明るい。まだまだアメリカにいる実感が正直ない。確かに車が右側通行している、左ハンドルだったりする。うん、看板が全部英語だ。テレビをつけても英語しか聞こえてこない。でも、まだ実感がない。そんな感覚の中、やっぱりお腹が減って来た。お腹はどこにいても正直みたいである。近くのショッピングモールで何かアメリカンなものを探すことにした。「アメリカ=チーズあふれるピザ!」というイメージを持たれている方も少なくないであろう。あながちそれは間違っていないと思う。どこにいっても、みんなピザを頬張っている。そんなアメリカでの最初の食事は、やはりピザ! 度迫力のアメリカンサイズ。そのピザを前にし、記念撮影! やっぱり日本人だった(笑)。そして、炭酸全開で甘さ爆発なオレンジソーダーを飲んでやっとアメリカに来たのだと実感した。

―手紙がMYブーム― ~腱鞘炎になるほど、はまりにはまった夏~
留学直後は何故か手紙にはまった。メールも便利だけど、手書きのぬくもりがいい! そんな気合が空回りして腱鞘炎になった右手をもみながら手紙をつづる。あんなに早くそして多くの人に手紙を書いたのは生涯初めて、もしかして最後の経験かもしれない。飛行機の中からはじめた手紙書き書き大作戦は、面白いようにUMASSに行ってからも実行。1週間で28通。生涯書いた数よりも多いのではないか?と思うくらい、驚きの数字。その数字と比例するように右手のしびれも体に染み付いていった。そして右手の痛みが治まったとき、留学生活に慣れていった。

いよいよ UMASS へ
ボストンからバスで揺られて3時間半。やっとのことで UMASS に着く。車だと2時間くらいなのだが、バスではいろいろ寄り道したりするので、倍近くの時間がかかってしまう。ボストンはかなり都会なのだが、UMASS がある、Amherst*(アマーストまたはアムハースト)はとにかく田舎だ。あまりにもボストンから離れているので、留学前に心配性な母親に「そんな田舎はやめて欲しい」と泣きつかれたくらいだ。それくらいのド田舎。札幌、北大なんか目じゃないくらい自然が広がる。まさに道東に挑戦状だ! 初めて乗ったアメリカのバス。正直どれくらいかかるかあまり覚えていなかったので、異様に長く感じたのを覚えている。
UMASSの便利なところは、ボストンやニューヨークなどの大都市からの大手のバス (PeterPan Bus)の直通便が大学のキャンパスから出ているところだ。週末に授業終わってすぐ出かけることもできる。時間はかかるものの、なかなか快適なバスの旅を楽しめる。

* ボストンから車で2時間西に行ったところ。かなり田舎。人口の半分以上が学生という学生の町。Amherst周辺に、UMASS, Amherst College, Smith College, Hampsher College, Mount Holyoke Collegeという名門の大学が5つ集まる。特にAmherst と Smithは全米でも屈指のリベラルアーツカレッジ。

《恐るべし、サービス業としてのアメリカの大学》~ご要望は何ですか?~
歓迎体制バッチリのオリエンテーション
正直オリエンテーションの嵐はすごかった!こんなに親切に丁寧に対応してもらっていいのか? 銀行口座開設、学生証の発行、キャンパスツアー、授業の履修、アメリカ流の恋愛の仕方(笑)まで、手取り足取り。正直こんなに充実しているとは夢にも思っていなかった。至れり尽くせりとはまさにこのことなり。学生がアドバイザーとして丁寧に教えてくれる。授業開始10日前からオリエンテーションが始まるだけある。恐るべし、徹底した「大学=サービス業」。このおかげでがっつり友だちもできたし、さっそくUMASSでの生活が心地よくなった。さらに、引越しの手伝いまでしてくれ、まさにごっつあんの嵐であった!

充実した設備 学生=お客様
アメリカ型大学は「学生=お客」。学生にサービスをするという風潮が強い。それを特に象徴しているのが、大学設備である。特に驚いたのが、無料で行っているサービスの多さ。ちょっとした家庭教師、進路相談、インターン・就職斡旋、テスト対策サポート、論文指導などが充実。学生の声がすごく取り入れられているという印象を受けた。特に自分がお世話になったのが、論文指導。これは文法チェックから、構成まであらゆる点で助言・指導してくれる。また担当時間外であっても、メール等でアポを取れば自由に面談することができる。まさに至れり尽くせりだ。

食べ放題! 飲み放題! パラダイス!? な学食
腹が減っては、戦はできぬ。アメリカで一番不安だったのは、食事のことだった。よく友だちに「アメリカの食事は、やっぱり毎日ハンバーガーにピザだったの?」と聞かれた。食べようと思えば毎日、そんなアメリカンな食事もできなかったことはない。むしろそれを好んでいる西洋人もたくさんいた。が、しかし、自分が住んでいた寮の地域はアジア系が多かったので、アジア料理もよく出る、便利な学食を使っていた。「寮」というと、つい「寮内」で食事をするようなイメージがするが、そうではない。あまりにも数が多すぎるため、寮の塊の近くにドーンと聳え立つのがDining Hall、通称DC(ダイニング・コモン)である。郷には従うべし!
UMASSにあった、DCは、日本の一般の食堂とは違い、一学期間に学食で食べる食事の数だけ、食べる権利(ミールプラン)を一括して買うシステムであった。そしてDCに入るたびにカードをカードリーダーに通す。バイキング形式が一般的で、一度入ってさえしまえば、何をどれだけ食べてもいい。無制限喰い極バトルだ! シリアル、果物、サラダ、アイスクリームから、メインディッシュなど種類もさまざま。最初は選べる料理の数に感動したものだ。そして、ソフトドリンクが飲み放題というのは魅力的でたまらなかった。
しかし、これに注意しないと太る、太る。脂ギッシュなアメリカにおける食べ放題は半端ではない。食べ放題ということで、「食べなきゃ損だ!」など思っていると、すぐにお皿がいっぱい。トレイに乗らなくなってしまうくらいに(笑)。最初は特に日本人特有の貧乏魂が炸裂し、残しちゃいけない「食べ物もったいない感」に襲われてしまいがちで、おかまいなしに肥えてしまう。要注意である。興味深いことになんと多くの学生は自分の皿の上に乗せたものを平気で残す、投げる、捨てる。一説によると25%が平気で処分されるのであるという。まあ、全てを食べ切っても果たして健康になれるかどうかは甚だ疑問なのであるが。
「残り物を無駄にはしない」。実は、驚いたことに、UMASS ではその残飯を動物にあげたり、肥料にしたりしているという。それを聞いてちょっと安心した。が、しかしあんなに脂ギッシュな食べ物が動物の口に合うのであろうか、そしてあれが無事に肥料になるかを少し疑問に思ってしまうのは、自分だけであろうか(苦笑)

U-CARD
UMASS内ではU-CARDなしでは生きていけない。U-CARDとは「学生証」兼デビッドカードである。学生証の磁器のところにいろんなデータを入れることができる。先ほど触れた学食で食べる権利「ミールプラン」、寮に入る時、ジュースを買うときなどさまざまなときにU-CARDを使う。そして寮も実はオートロックなので、U-CARDがないと入ることができない。そして夜8時以降になると、寮には、学生警備員がスタンバイし、その寮生以外が入るのを一人一人チェック。その時には必ずU-CARDを提示しなければならない。それゆえにU-CARDがあれば財布、お金はほとんどいらない。なんと、便利な世界であろうか!」

《愉快な寮生活》~まさに異文化体験!?~

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北大手ぬぐいと北大扇子持つ牛山と透明人間を装うHowie(ハロウィン)

はじめてのルームメイト
アメリカの大学、特に田舎の大学では寮生活が基本になる。特にUMASSではほぼ間違いなく、特別料金を払わない限りルームメイトが、もれなくついてくる! 生活時間の半分近くを共に過ごすパートナーなので、相性が悪いと大変なことに・・・。中には大喧嘩して追い出されたり、追い出したりのハプニングも。ルームメイトはあくまで運。最初は天命に任せるしかない!
自分は幸運にも最高のルームメイトをGet! 名前は Howard Newell(ハワード・ニューウェル)、通称 Howie。
ジャマイカ生まれで、イギリス育ち、イギリス国籍をもったジャマイカン。

寮生活はある意味信頼関係だ。自分もHowieとはかなり違うライフスタイルを送っていた。彼は典型的な夜行性タイプ。自分が結構朝型を目指していたので、結構ズレや摩擦があったり、価値観も違っていたりした。彼は典型的な、何事も楽しんでいこうという性格。人と人との関係を大切にし、みんなからの信望も厚い。でも、授業に関しては、朝寝坊の達人だった(笑)。とてつもなくマイペースだった。

―寮のマメ知識― ~これがアメリカの寮だ~
UMASSは寮生の数が全米第5位! ということで、とにかく寮のバラエティがすごかった。26階建ての察もあれば、ヨーロッパ風の築40年近い寮も。大体レンガ造りで、ヨーロッパの雰囲気が漂っている。これこそ、ニューイングランド地方の特徴なのだろう。UMASSは最初の2年間までは特別な理由がない限り、必ず寮に住まなければいけないというルールがある。そのため、大半の学生は寮生活で集団生活を経験する。「アメリカ=個人主義」というイメージが強かったので、興味深かった。特に驚いたのは、UMASS南部のSouth Westという寮の地域の人口密度はものすごく、アメリカでも有数で、一時はニューヨーク市よりも密度が高いと話題になった。26階建てなどの高層察が連立され、火事が起きたらまさに大騒動だった。
UMASSならではであるが、各寮ともども特徴があり、国際寮、言語学寮、同姓愛が住める寮、成績優秀者の寮、ジムのある寮など特色もさまざまだった。自分が滞在していたNorth East地域は、アジア系学生が多い寮であり、LEWIS寮は特に、国際寮として、世界各国の学生を集めているということで名高かったのだ。そしてお隣のTHATCHER寮では、日本語、中国語、フランス語、ドイツ語などの言語を寮内授業で学ぶ言語学がさかんな寮であり、UMASS全体としても特に日本語を学ぶ学生が他の地域よりも多いという特徴があった。
オーソドックスな寮のイメージでは大体各階に共同のトイレとシャワールームがあり、階ごとに男子・女子と分かれている(男子が奇数階、女子が偶数階など)。そして学期ごとにその利用トイレの場所が入れ替わるというシステムだ。ラウンドリー、自販機が地下にあったりし、大変便利である。また娯楽施設としてビリヤード台、卓球台、大型テレビ、ソファーがラウンジまたは地下においてあったりする。そして寮によっては簡易ジム施設 まで付いている。正直寮内で、こんなに娯楽施設があるなど、夢にも思っていなかった。やっぱりアメリカ。「よく学び、よく遊ぶ」風潮は日本よりしっかりしているのかもしれない。

壁が薄い!隣の部屋の目覚ましで目覚める朝も・・・
寮にもよるが、かなり賑やかなところが多い。そして、ありがたいことに、壁が薄かったりする。テレビの音、CDの音、電話の話し声、ひそひそ話までバラエティに富んだ音が伝わってくる。時折、隣の部屋の目覚ましで目が覚めるということもあるくらい部屋が密着、生活が密着しているのである。特にベース音がすさまじく、隣の部屋どころか、下の部屋から聞こえてくるということも多々あり、忍耐力、音への免疫力上げるには最高の条件だった(苦笑)。最初は、寝る時に隣の部屋のドアをノックし、音を下げてもらうのが日課であったが、神経が図太くなったのか、大雑把になったのか、ある日を境に自ら声をかけていくのを止めにした。むしろ発想の転換で、この雑音の中で勉強、睡眠を取ることができたら、きっと逆境に強くなれると思ったからだ。こうして、図太い神経、打たれ強い免疫は少しずつ、ついていったのであろう。親友のアキもルームメイトがガンガンにベース音炸裂させている中で、レポート、テスト勉強と、毎日が修行僧のようであった。いつも、自分を鍛えるチャンスだと鼻息荒く意気込んでいる姿勢が印象的だった。そして彼の忍耐力は恐るべきもの。どんな騒音にも動じず、その寛大さはまさに尊敬に値する。

これが噂の日本人コミュニティ
やはりどこにいっても、日本人はよく固まる! 交換留学生だけで15人強、現地留学生は10人強。大体いつも20人前後の日本人コミュニティがあり、恒例イベントや誕生日があっては、みんなで集まって飲んでいた。
自分は空手やヨガなどの課外活動に没頭していた関係で、そこまで深く関わることができなかったが、心の安らぎどころの一つであった。また、いろんな人生観、留学観に触れられ、また刺激になった。学校の授業の話から恋愛話まで、ざっくばらんにいろいろ話すことができた。やはり精神的な緊張は常に最初の頃はあったので、居心地はよかった。
苦しい時には仲間があり。困難な時ほど、心は近づくのか!? 自分でもびっくりしたのが、日本人カップルの多さであった。自分が知っているだけでも5、6カップルいた。恐るべき結束力。そして何よりもそれを象徴し、印象深かったのが友だちの名言、「これは交換留学じゃなくて『あいのり』だったのか!?」まさにあの大人気番組「あいのり」大ヒットの秘密が、交換留学中に「見え隠れした。

―恐るべき日本人コミュニティの底力!?― ~いつでもどこでもコミュニティ〜
クリスマスニューヨークにルームメイトらと泊まったユースホステルでの光景。同じような格好をした日本人が固まる。そして集まる、集まる。どこからともなく現れる日本人観光客の嵐。飛び交う日本語。まさにそこはプチ大日本帝国。さらにキッチン、そしてまたダイニングを占領。他の国から来た旅行者たちはTVルームへ追いやられ、改めて日本人の結束力の威力を肌で実感したことであろう。ああ、かわいそうな、一般旅行客。うちらは、何とか日本人王国のその一角にポジショニングはしたものの、ただただ圧倒されるばかりであった・・・。
2019/3/14 ここまで
Pushup community
とある腕立てフリークの二人の勝負を毎晩深夜に観測するギャラリーがある日を境に集まりだした。白熱振りにあきれるもの、手に汗握って応援する者など、さまざま。ド真夜中に廊下を占領して汗を噴出しあっている異様な光景は目を引かない方がおかしかったかもしれないが(笑)。そして最初は野次馬本位で集ったLEWIS民族の人々も、腕立ての魔力に誘われ、日に日に参加者が増えた。こうして何晩かに一度、中には毎晩腕立てをする、腕立サークルがLEWIS四階に誕生したのであった。通称Pushup Community。女の子もいて、男どもの挑戦心をくすぐった。今もこのPushup Communityの影響を受けてか、毎日腕立伏せを続けている。前ほどアホみたいに34分間かけながら680回腕立てをすることはなくなったが、やるまで寝ないというポリシーは貫けるようになった。どんなに酔っていても、意識が朦朧としてようが挑戦。おかげさまで日課と趣味は腕立て!と言えるくらい、腕立に愛着が湧くようになった。

《刺激的な授業》~毎日が驚き・発見のオンパレード!~
「SOM」School of Management 経営学部
UMASSで有名な学部の代表的な存在。UMASSでは一番人気の学部である。新校舎はUMASSイチ新しいと大評判。Isenbergという石油王の経営学部卒業生が、莫大な寄付金を投入し作られた。そのため、経営学部には、Isenberg School Of Managementという名が刻まれている。全米の公立大学の間でも経営学教育において、少し名が知られている噂の学部。卒業生にも多くの優れた人材を輩出しており、寄付金額はUMASS内でもピカイチである。新校舎は、プロフェッショナルな雰囲気が漂う。ある会社のロビーみたいになっており、談話や読書、共同プロジェクトにはもってこいである。また、ワイヤーレスがつながれていたりと、パソコン環境もUMASS最強であり、居心地は最高。また、グループ学習室なども整備されていて、静かな環境で勉強することも大いに可能である。

バラエティに富んだ授業
こんな授業があっていいのだろうか?そう思う授業のオンパレード。こんなに教授が面白くていいのだろうか?こんなに学生と一緒に楽しんでいいのだろうか?答えは全てYES!!!本当に刺激たっぷりの授業がいっぱい!
ここで少し、どのような授業を取ったかをラインアップしてみよう!
・Professional Ethics・・・いわゆる経営倫理。エンロン事件をきっかけに経営者の倫理・道徳への意識が高まってきている。日ごろから気になるニュースを毎回ピックアップし議論するパートと課題本を読みCritical Thinking力を学ぶパートに分かれる。レポートが5個出され、テーマに合わせて、自由研究をする。テーマとして「日本とアメリカの公立学校における制服の歴史・日本の制服文化が示唆するアメリカの制服の未来」、「日本『君が代国家法』から考える民主主義」「自分の時間とお金の投資法」などを選んだ。
・Student Affairs and Higher Education・・・高等教育ゼミ。受講者はなんと最小の6人。4年 生に院生という組み合わせで、実は一番自分が若かった。アットホームな感じがあって、自由気ままに討論できる。話の流れを聞きながら、みんなに質問したり、意見を述べるいい訓練に。最初はなかなか追いつけなくてつらかったが、優しくみんなは自分を受け入れてくれた。

・Entrepreneurship・・・起業家論。実際にあったベンチャー起業「Optasite」という実在した企業が以下に発展していったかを毎週ケーススタディーし、レポートで自分の見解をまとめ、それをもとに議論する。前半は毎週1回4枚のレポートを書かなければいけなかったのは、かなりの負担になったが、慣れればこっちのもので、文字に対する抵抗が少なくなった。

・Administrative Theory・・・行政論。さまざまな企業分析を理論に従って行う。かの有名なWal★Mart、South West 航空などの企業戦略などを比較し検討する。毎回大きなテーマについてケーススタディーをし、理論と実情をまとめ、自分なりに分析する課題が出る。
・Interpersonal Skills・・・意思疎通論。どのようにしたら、いい経営者になれるかを実践的に学ぶ。理論を教科書で学び、授業中にゲームを通じてそれを体感する。例えば、チームワークやリーダーシップ力をいきなり授業中に分けられたチームごとに競争し、他チームの観察などを通じて、主観性のみならず客観性を培う。

よりどりみどりの授業形態・授業時間
授業形式は大学によってもさまざまであるが、UMASSは2学期制で、多くが50分×3、75分×2、150分×1の授業を展開していた。その多くが3単位分の授業である。しかも、開講時間の幅がすごい。一番早くて朝8時。一番遅い授業は夜の9時まで。社会人も受講できるようにと、うまく組まれている。普通に社会人が混ざっているのも納得できる。そして教室も授業によってさまざまで、大講堂に準ずるものもあれば、少人数クラスもある。専門的な授業になればなるほど、少人数になる傾向が強い。またたとえ大きな教室であっても、週に一回クラスを何個かに分け、ディスカッションのグループをつくり、参加型の「顔」の見える授業体系になっている。そのため、先生は積極的に顔と名前を一致させようと日々努力しているようである。
「TA(ティーチングアシスタント)がほぼ必ずいるので教官が忙しい時はTAが面倒を見てくれる。レポート指導、講義の補足などをしてくれ、とても頼りになる存在だ。なんと、TAにもオフィスアワーがあるというのは驚きであった。まさに学生に対してのサービスはピカイチであった。

Major がすぐ変えられる!
日本の大学では考えにくいが、専攻がかなり自由に変えられるのが特徴的。また、専攻を入学後に決められるのも新しい。それ故、専攻を変える学生も多く、じっくりと選ぶことができるのが日本型大学と大きな違いであろう。しかし、同時に自由に選べるがために、Majorを7回も変えてしまったがために卒業するのに6年もかかってしまうツワモノもいたりする(笑)。

Double Majorがいる!
最初は何だかよくわからない響き、ダブルメジャー。二つの専門をもっという意味。つまり、数学と経済学という関連性の強い組み合わせから、化学と歴史などという関連の薄いものまで選べる。受講者のバイタリティはすごい。共通科目はあるとは言えども、2倍の必修科目を取るにはただならぬ努力と時間が必要だ。さらに、中には、副専攻を持つMinorという称号を狙う人も。ここまで来たらもう驚きの世界だ。大抵ダブルメジャーの場合は卒業に5年間かかるらしいが、天才的な友だちはそれを4年間で成し遂げていて、開いた口が驚きで閉まらなかった(汗)・・・。

編入が容易・柔軟な大学システム
ダブルメジャーとも関わってくる話だが、アメリカの大学システムはかなり柔軟である。というのも、編入、転部が日本と比べてはるかに容易であるからである。驚いたのが、多くの学生がそれぞれの意志でUMASSに編入してきているということであった。専攻によってその難易度は異なり、単位互換がうまくいかない場合などもあるが、多くの学生が少しでもよい成績を取り、レベルの高い大学に編入しようとするのだ。また、累積成績の平均がC以下(7段階評価の5番目がC)になると、強制的に退学を命じられ、他の大学に移らなければならないというシビアなシステムもある。現に空手部の友だちの1人がそのせいで他大学に飛ばされた。入れ替わりの多いアメリカの大学だからこそ、競争も激しいようだ。

就職に成績が大きく左右!!! ~みんな必死で成績上げ合戦!~
アメリカでは、就職に成績が大きく影響する。そのために、みんな少しでもいい成績を取ろうと必死だ。先生もそれを承知で、後で講義・訴えられないようにと、誰でも明確なシラバスを用意する。成績査定のポイント、課題の量などこと細かに決めて授業の最初に配布するのだ。また、授業の進行具合によってさらにシラバスの改定までをする徹底ぶり。
また成績基準がとても細かく厳しいのもアメリカの特徴であろう。出席点、授業参加点、中間テスト、課題レポート、期末テストなどの全てを合わせて評価を受ける。どれも手を抜けない!!それゆえ、みんな目の色を変えて勉強を頑張る。そしてまた先生も率先的にやる気のある学生を応援できるようにと補講やテスト対策レジュメを作ってくれたりした。
また期末テスト前後には、みな成績を少しでも上げようと自由研究レポートを書いたり、先生に「最後のお願い」をする。その交渉術、積極性といったらものすごい。自分も何度も先生のところへ足を運び、熱意を買ってもらった。

―学会でカジノ!― ~夜はこれで大フィーバー!~
アメリカの空気をトコトン反映していると感激したのが、高等教育学会。雰囲気が特に斬新だった。学会というとみんなスーツを着て、ビシっとフォーマルな感じがつきもの!しかーし、この学会は違った!大学産業では女性の社会進出がさかんで、とてもおしゃれな雰囲気だった。しかも、懇親会などもとてもアットホーム。教授、事務、大学 産業関連社会人、院生、学部生。みな同じように席を並べてファーストネームで呼び合う。その中でもびっくりしたのが、なんと懇親会の場に「カラオケコンテスト」「アイドルコンテスト」「カジノ交流会」があったことだ!
のど自慢大会、一芸発表会など日本では考えられない。夕食後にみんな子どものようにはしゃぐ。「学会=まじめ」というイメージが一気に壊れた!

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教官がディーラーに早変わり!

《課外活動》~留学を「勉強」だけで終わらせないために~

空手

自分の転機、留学生活の基盤、核になったのが空手だった!こっちに馴染みきれない、授業についていけない焦り、不安、不満を全てをぶつけることができた。そして何よりも、授業、寮以外で友だちができたのもすごくプラスだった。ずっと憧れながらも、本格的に始められなかった、武道。まさかアメリカで日本の文化をこうして、学ぶとは誰が想像しえたであろうか?
空手との出会いは運命的だった。UMASS空手部を知り、興味をもったのは実は北大において。出発前の2003年7月。学部の先輩でUMASSに先に交換留学され、空手をやられていた神川大毅先輩、通称ヒロさんが、帰国の際に、UMASS空手部の主将を北大に連れてきて紹介してくれたのがきっかけだった。ガタイがよく、背が高い、光るサングラス・・・。いかにもアメリカ~ンな風貌を持つジェフ。ヒロさんとジェフと北大で出会ったのが全ての始まりだった。そしてジェフから「You need more muscle! You need protein, eat chicken, CHICKEN!」と何度も言われた。鋼の肉体を目の当たりにし、アメリカで肉体構造するしかない!と心に決めた。
UMASS 空手部を見学させてもらったのは9月2日。ちょうど授業の始まる前日だった。いざやるぞ!と宣言したものの、やはり新しいものを始める、新しい人と出会うのはちょっとばかし億劫。友だち100人できるかな?と意気込んでいた自分も尻込み。そんな自分の耳元に、「イーチっ、ニー、サン・・・」少しぎこちないながらも、懐かしい響きがこだまして飛び込んでくる。体育館地下のとある一室から飛び交う気合の言葉。その熱気に圧倒され、もうすでに心は奪われていた。そして、メンバーに挨拶をし、早速次の日から入部することを決めた。
空手部の面白いところはやっぱりメンバー構成。これはとにかくアメリカっぽさを特徴付けていた。バラエティが特に面白い。主要メンバーは学部生ももちろんいるが、実は院生であった。院生の方が空手暦の長いツワモノが多く、学部生は初心者が多い。また院生だけでなく、OB、OG、社会人、そしてなんと、教授も実際にメンバーに入っていた。まさか、教授と肩を並べて、共に同じ土俵で汗をかき、一緒に取っ組み合えるとは、非常に貴重な体験であった。
アメリカで日本の文化を学ぶ。これは非常に面白かった。ここにまた、日本人が日常的に忘れがちな、失いつつある、礼や儀という厳かな風潮を感じることができた。道場訓「人格完成につとむること」などをみんなで声を合わせて練習後に大声で唱える。全体で一体感があり、やはり武道はいいと改めて感激したものだ。

ヨガ(自己練磨)
「強靭な意志さえあれば己の限界を超えられる。なぜなら己の限界は己がつくっているからだ。」うさんくさいうたい文句どうしても聞こえてしまうが、本当だ。人間には第六感というものが存在し、「気の流れ」というものも実は簡単なトレーニングによって、実感し身につけることができる。実際にやってみるとその変化が凄くわかるのである。呼吸、ストレッチ、瞑想、指圧などによる刺激。まずは、第六感を呼び覚ます。そして一旦第六感を「感じた」ことを具体的に言葉に出すことによって、脳にもそれが浸透し、次に行った時の感覚も鋭くなる。
何事も情報の選び方、ものの捉え方である。自己限定しているのは、自分自身。それに気づけるかどうか、そしてその壁を敗れるかどうかが運命の分かれ道。人間は100ある力をどうしても、ケチって80くらいしか使おうとしない。そして「全力を尽くした」つもりになっている。そうヨガを通じて、己の限界は己が作ると知った。

寮祭
寮生活の中で、やっぱりお祭りとなると黙っていられない漢がいる!そう「祭り」と聞いて「わっしょい!」と言わずにはいられない漢がここに(笑)!お祭り大好き、目立ちたがり屋、みんなをまとめたがり屋、ここに参上!!!どうせやるなら寮祭実行委員長!っとまずは格好から入り、なり切る。Cultural Nightという年に2回の寮のお祭り。授業の一環としてあるお祭り。特にLEWIS寮は国際寮として有名であり、それを大学全体にアピールできるチャンスらしい。
ここで軽く Cultural Nightで行われたことを紹介。LEWIS寮で開かれ、各国の留学生が自国にまつわるポスターや飾り、衣装などを準備。それを部屋中にデコレーションし、発表。またステージ企画として、高校時代にやっていた応援演舞(Japanese Cheerleading)の披露、剣玉、駒の実演、音楽発表など。そもそも、担当教官が適当すぎて、学生任せなので正直不安全開であったが、何とかなるものだ。全く先日まで面影もなかった祭りの雰囲気が、当日になり、少し活性化。そして本番を迎える直前には色とりどりのお国紹介グッズが登場し、大成功につながった。

《気になるお酒事情》~これなしにアメリカは語れない~

お酒は21歳から!特別な21歳の誕生日
これはあまり知られざる事実であるが、アメリカの多くの州では21歳になれないとお酒を飲めない。そう、飲酒年齢は21なのだ。お酒を買うのにも、もちろんバーに入るのにも、ほぼ100パーセントでID(身分証明証)を見せなければいけない。お店によっては確か32歳までIDチェックをするという。それくらい厳粛であった。そんなこともあってか、何故か意地になって、10月の誕生日になるまで、お酒を断っていた。20歳になってからまた、法律によって禁酒しなければいけないなど、誰が想像していただろうか?かなり正直面食らった。しかし、意地で約1ヵ月半、禁酒宣言をし、寮内の飲み会でもアルコールを口にすることはなかった。
そんな自分が晴れて21歳になった。2003年10月の5日のことだった。今でも鮮明に覚えている。12時前後に部屋にいると、開いたドアにノックが!いきなりプリングルス(ポテト チップス)を差し出され、「中を開けてみて!」との掛け声。開けてみるとなんと、Budweiser(アメリカで有名なビール)が入っていた。おお、しかも2本!
そして時間になって寮内のみならず寮外からも誕生日を祝いに来てくれた友だちも!21歳になったぞ!とのアピールでIDをカメラに向けて乾杯!Happy Birthdayという声と共に、イッキすることに!正直久々に飲んだのと、久々のイッキだったので、のどがヒリヒリ、頭キンキン、思わず顔全体がしびれた。それでも、飲み干す。歓声があがる。そしてまたもう一本!お腹にタプタプと音を鳴らしてのどや胃の中に流れこむビール。この爽快感はたまらなかった。そしてみんなからプレゼントをもらい、そして今度は向かいの部屋でBirthday Shot会(一気飲み)。ウォッカをジュースで薄めてみんなで乾杯。Birthday Boyということで、みんなより多めにそして頻繁にもらう。どうやら楽しくなってきたようだ。酒が回る、回る。目が回る。地球も回る、回る。
さあて盛り上がってきたところでバーへと繰り出す。学内に唯一あるバーへ向かう。もうすでに千鳥足…。でも、バーへ行ってIDを使いたい!そんなハイテンションでバーへ。さあ、みんなで乾杯だ!と思いきや、ここでアクシデント発生!…というのも、バーが土曜日ということで閉まっていた。どうやら土曜日の夜は10時で閉まってしまうらしい。なんで、土曜日に!!!バッコーンとバーにフラれる。が、もう酒が回ってわっしょい!夜風に当たりながら、バーを見つめていた。寮に帰りもまだ身体はフラフラ。しまいに何故か嬉しそうにバナナを加える始末…。 久々に「大酒食らって逆噴射~☆これぞお、オトコの生きる道~☆」などと唱えていた。…そこにてその日の記憶は終了(笑)。
さあいよいよクラーク氏の記念碑を訪れる日が来た。UMASS での目標だった。ただ挨拶するだけではもったいない。仲間の想いを連れてこよう!ということで、北大のみんなからもらったもの全てを、記念碑まで持っていった。メッセージ付北大北大扇子、北大扇子、色紙、北大Tシャツ、メッセージ付学ラン、写真たて、アルバム、手紙、ポストカードなどなど。そして、その話をしながら、UMASSで見つけた新たな仲間もその場に呼んだ。ジャマイカ人のハワード、インド人のハーマン、関西人のアキであった。そしてその四人で肩を組み、北大伝統のストーム、「都ぞ弥生」「永久の幸」を歌った。もちろん、彼らは歌詞など分からない。しかし、一緒に肩を揺らし、メロディーを一緒に口ずさんでくれた。響く声、そして炸裂する笑顔。まさにこれは自分が今までもらった最高の誕生日プレゼント、思い出であったと思う。こうして、親友たちと一緒に自分の誕生日を分かち合えたことは一生の誇りであると共に、思い出である。

酒乱!?のアメリカ
アメリカは酒乱の国で有名?かなりそれは偏見かもしれないが、アメリカ人はおかしいくらいにのみに飲みまくる。いかにビールを胃袋に注げるか、肝臓にどれだけアルコールを溜められるか、どれだけビールっ腹であるかが自慢の対象になる(最後はさすがに、ウソつけ!)。飲み会も、アホみたにアルコールをあおり、記憶を飛ば し、トランスすることが面白いらしい。日本みたいにまったりと語るという文化はあまりなかった気がする。まあ付き合っていた寮生が若かったということもあるかもしれないが(ほとんどが一、二年生だった)、「ドリンキングゲーム、イエェーイ!」という乗りだった。アメリカならではの、ドリンキングゲームやバツゲームがあり、いつも興味津々であった。酒を煽れば煽るほど、声がデカくなり、大胆になっていく。
特に田舎大学であったUMASSはドリンキングパーティの激しさでは、かなり地元やボストンでは有名であり、UMASSならぬ「ZOO」MASSと呼ばれていた。つまり、動物園の動物みたいに騒ぎ、本能的にパーティで大盛り上がりをしているという話が出たくらいだった。

《アメリカでしみじみ感じたこと》~葛藤の中から見えてきたもの~
自己主張の重要性
「自己主張」と聞いて今まではいいイメージを持っていなかった。我がまま、ジコチュー(自己中心的などというネガティブな印象をどうしても受けがちだからであろう。しかし、アメリカに行って思ったことは、自己主張してナンボ、自己主張ができないとはじまらない!ということであった。権利は主張して取るものであり、ただ指をくわえながら与えられるのを待っているものではないということを実感した。
例えば、大学時代の成績は大学院進学、就職などに強く響くので、学生は日本とは比べ物にならないくらい成績に関してみんなシビアである。成績の評価が思ったより低いと思われたときは間違いなく教官に抗議しにいく。また、学期の終わりに近づくと、成績を少しでも上げるために先生と交渉し、特別にレポートを出すなどの努力を、平常点に加えてもらおうと目論む学生が大量発生する。学期も終盤を迎えると授業後には必ずと言っていいほど長蛇の列ができるのだ。
人間関係においても自己主張は重要である。よくアジア人は、意思表示をあまりはっきりしないと非難されることがある。しっかりと「YES」「NO」が言えないのだ。アジア人の女性、特に日本人の女性は大いに向こうの男性にモテる。その時に重要になってくるのが、この意思表示、自己主張である。日本と違ってアメリカでは、「つきあってください!」「はい、よろしくお願いします」という竹を割ったようなスパっという告白の仕方、習慣はない。故に、ムードや相手の仕草から、恋愛関係に発展することが少なくないという。それ故、もし興味がない男性に近寄られた時に、しっかりと意思表示をすることは、非常に大切になってくる。西洋では「NOではない」=「YES」という風に解釈されてしまうからである。それ故、危険な目に逢ってしまったという話も実際に何個か聞いたことがあるので、女性人は要注意である。
自分の身は自分で守り、自分の権利は自分で勝ち取るのが西洋式。最初はかなり気が引けてし まうが、一旦慣れてしまうと、意外とたやすくできることである。まあもちろん、お互いに自己 主張をするだけではなく、歩み寄ることも大切なことの一つであるのではあるが。

個人主義―一匹狼だった―
アメリカは「個人主義」であるとは有名な話であるが、まさにその通りであったと思う。これほど、自己中心的な生活スタイルを貫くことができたのも初めてだし、それが普通にうまく結果を出せば評価に直接つながるのであった。まあ、すべてにおいてそれが当てはまるわけではないかもしれないが、自分にとってはかなりその色があったし、それを実感することができた。
まず、興味深かったのが、空手部における練習に対する熱の入れ方であった。もちろんこれはクラブによって風潮も違うが、驚いたことであった。徹底した個人主義だった。日本の常識、習慣によると、何かきっちりとした組織、部活や委員会に入った時は、その個人はその団体のしきたりに適応することが求められ、練習や部会への出席がほぼ必修になることが多い。しかし、空手部は、テスト、勉強、課題、遊びなどの用件で、練習を休むことが許されていたのである。もちろんこれは、個人個人の所属意識、取り組む姿勢が大きく関わってくるとは思うが、かなり顕著であった。「個」が「全体」よりも尊ばれ、尊重される。無論、アメリカの大学生の方が日本の学生よりも勉強に対する姿勢が真剣であったということも強く関係していると思うのではあるが。
アメリカでは特に個人行動が好まれるという印象を受けた。これも人、グループによって違うのであるが、日中は、友だちと一緒に勉強したり、時間を特別に作って話す以外はかなり個人行動を取っていた。結構一匹狼的な要素は多かったと思う。もちろん、課題が山積みになり、空手とヨガに多くの時間を割いていたということも大きくそれに関わっていたので一概には言えないが。特にスケジュールが詰まっている人ほど、単体行動の率が高かったと思う。究極的にいろんな分野にやりたいことを追求すると、「個人主義」を取る方が、一番効率がいいのかも知れない。本当に、そういう意味では、周りにあまり気を使いすぎることなく、時間を自分に投資することができた9ヶ月間であったと思う。

10月病~極度なホーム・北大シック~
ここまで読んできたみなさんも気になっていたことであろう、スランプ。この男・牛山にスランプは果たしてあったのだろうか?あまりここまで触れてこなかったが、間違いなくあった。今となっては風化しつつあるが、苦しかったあの瞬間。押しつぶされそうで、でもどうにもできなくて、心苦しかった。呼吸をしているはずなのに、胸に何かが詰まっている感覚。頭がスッキリしない。ちょうど北大で新学期が始まり、連絡を取っていた友だちからのメールの返信がとたんに悪くなった。浮かない顔をしながら、PCの前で何度も何度もメールチェックをする自分がそこにいた。何度北大の夢を見ただろうか。どんより頭が重かった。
とにかく一生懸命に新しい環境に馴染もうと突っ走り、エネルギー切れで、沈みに沈んでいたのが、10月の半ば。軽いうつ状態になり、まさに何に対しても無気力な5月病のような症状であった。名づけて10月病!食欲がなく、動くのが面倒。とにかく現実逃避したくなる状況。そして同時に体調も崩す。さらに積み重なる課題の山。逃げ出したい。やらなければいけないけど、やる気が起きない。久々に精神的にも肉体的にもやられて大いに乱れた。ずっとメールはしつつも、絶っていた家族へ電話しているうちに涙がこみあげているくらい、内心やられていた。
やっぱり短期集中型の性格が左右してか、エネルギーが切れた。短期爆発型であった。つもりに積もったものがドロドロと内面から出てきたのであろう。情緒不安定になった。焦ってばっかり。そして食生活も乱れていった。トンネルは長かった。
しかし思えば懐かしき思い出。友だち、家族に支えられた。運良くその時に父親がアメリカ出張にあわせて、励ましに来てくれた。久しぶりに家族の看板の顔を見た安心感と、極度に日本語文字シックになっていた自分のために、母親が選んでくれた「プラス思考」になれる本の数々のおかげで、今までの緊張が解けた。

世界へ出ること=日本を代表すること
この留学を通じて改めて自分が日本人であると感じた。他の国々の人に、日本古来から伝わる文化の代表である、折り紙、漢字、料理などを紹介できた時、そしてそれを快く受け入れてもらったときには、心から自分は日本人であってよかったと思った。日本人であることに誇りを持った。日本にいたときはさほどありがたみを思わなかったのが不思議なくらい!「またそれぞれの国の人が自分の国・文化、伝統に誇りを持てることは素晴らしいと心から思った。日本で「愛国心」というと、つい「お国のため」、「日の丸」「君が代」などと結びつけ負のイメージがつきまといがちだが、そんなことを抜きにして、アメリカでは「愛国心」「愛郷心」というものを噛み締めた。
また同時に、自分の国のことを正しく知り伝えることは非常に重要であると実感した。授業でも授業外でも、よく「日本ではどうなっているか?」との質問を受けた。ここで気をつけなければならないことは、まさに自分が答えたこと、「自分」の常識が、「日本」の常識になってしまうことだ。まさに言動一つ一つが、相手にとっては、その国の代表そのものになるのである。何度それでヒヤヒヤしたことか。そしていかに自分が無知であるかも知った。自分の国を代表するという自覚が足りなかった。みなさんが海外へ出る時、外国の人と話す際にはしっかりとこのことを肝に銘じてほしい。日頃から身のまわりのことを考えることの大切さを再認識した。

《留学を終えて》~未来の自分への応援歌~
この留学を通じて、前よりも恥をかくことに抵抗を感じなくなった(図太くなった?)。むしろその恥を、失敗を、経験を次に活かしていこうとドーンと構えられるようになった。「すべてはOpportunity!」尻込みしているなら恥をかいてアタックする方がいい!妙にそんな自信がついた。空手やヨガ、鬼のような課題量を乗り越えることで、「己の限界」というものを破るコツを少し掴んだのかもしれない。もちろん、波はある。しかし、こうして「必死」に、「死に物狂い」に過ごしてきた10ヶ月間は決してムダにしたくはない。集中力が切れたり、自己限界をつくってしまったりすることも正直最近少なくない。しかし、そこからが本当の見せ所だ。そこでどれだけもがいて頑張れるかが運命の分かれ道だと思う。泣いてもいい、失敗してもいい。そこから何かを学び、身に付け、先に進むエネルギーを蓄え、前を見続けることさえできるのならば。人間は何かに情熱を燃やし、昔の自分から脱皮しようとしている時に一番輝くことができる。
夢は諦めたらそこで終了。人間はどこかで、バリアを作り、口実を作り、屁理屈、理由をつけたがる生き物である。それは否定しないし、できないと思う。完全なスーパーヒーローは、この世の中にはいないと思う。しかし、それを分かった上で、一瞬であってもそのヒーロー、自分の理想の姿になりたいと人間は奮起し、努力をするのだと思う。憧れの姿、なりたい自分、夢を叶えたいから人間は頑張る。どうも根性論、精神論、夢想論になりがちであるが、そこをいかに言葉だけでなく、行動までつなげていけるかが、本当に分かれ道なのであろう。
栄光の過去にしがみつきたいと逃げ腰、自己満足に陥ることも時折ある。しかし、過去は過去。今は今。未来は未来なのだ。理想的な一時間を過ごすことができれば、それは理想的な一日に。そして満足のいく一日を過ごすことができれば、充実した一週間に結びつく。これが積もりに積もって理想的な一年、十年、やがては誇りに思えるような人生につながるのではないだろうか。
人生はドラマである。悲劇のヒーローになるのも、喜劇のヒロインになるのもあなた次第。いかに自分を奮起させ、目的意識を持ち、密度の濃い時間を過ごすことができるか。好奇心のアンテナをどこまで広げ、その情報を活かすことができるか。一人でできなくてもいい。自分を励ましてくれるような、自分を刺激してくれそうな仲間を見つけ、そして大切にしていくことができれば、ふと、頑張っている、頑張れている自分がいるのかもしれない。

思ってみれば、この10ヶ月の留学期間は新幹線に乗っているような感覚だった。「UMASSの9ヶ月は特急列車のようなスピードで去っていく!」その言葉をくれたのは、自分の一年先に留学された、神川大毅先輩。「今からUMASSに行けるうっしーがうらやましくて仕方がないよ!」気づいてみたらもう一年が過ぎ去り、次の代に同じように授けている自分がいる。
UMASSでの生活は心地よいスピードでスタートしながら、気づかぬ間にトップスピードにギアチェンジし、日に日に加速し、無常にも過ぎ去っていった。毎日課題に追われ、授業が早く終わってほしい衝動と、まだまだ課題をやりたい欲望が見事に交錯していた「あの瞬間」が懐かしい。ホームシック(むしろ北大シック?)に陥り、本場の日本食に憧れたあの晩。「あと少しで北大に帰れる。めざせ、大腕振っての凱旋!」と心の中で唱えまくったのが、まるで昨日のように浮き上がってくる。またそれと同時に、まだまだこちらでやりたいことがある! もっと自分を高めたい! いつもそんな葛藤が心の中にうごめいていた。
今、日本に帰ってきてから1ヶ月半、もうそろそろ2ヶ月が経とうとしている。北海道の涼しい夏の到来である。北大で残された時間はあと半年。大学生活の8分の7がもう疾風のごとく消え去っていってしまったのだ。しかし、野望は尽きない。大志は大きくなる一方だ。北大をさらに元気に、さらに活気ある大学にしていきたい!これからも我を忘れるほど、北大中をかけめぐりいろんな人に出会い、影響を与え合っていきたい。
「志と情熱があれば何でも出来る!」自分との約束。自分との誓い。そうそう簡単に破るわけにはいかない!これから自分にも、みなさんにも大きな、見たこともないような、目に見えないような大きな壁が立ちはだかることもあるはず。でも、そういう時にこそ、勇気を持って立ち向かいたい。「大変」なのは「大きく変わっている」最中だから。夜明け前が一番暗い。そんな時には、自分の希望、自分の夢という自家発電ライトで己の足元を照らしていこう。「夢は叶えるもの、志は貫くもの!」この言葉を胸に、これからも全力疾走で突っ走っていきたいと心から思う!!!

《最後に》~やっぱり北大命!~
やっぱり自分は北大が大好きだ。そう留学して改めて実感した。何度北大の夢を見たことであろう(笑)。何度北大Tシャツを着て、キャンパス、アメリカ中、世界中を駆け巡ったことであろう。ずっと心は北大生。北大魂を常に胸に秘め、いろんなことにチャレンジすることができた! 正直、なんで自分がここまで北大に溺愛し、没頭し、引き寄せられるのだろうか? よく周りから聞かれて、返答に困ったりする。言葉では表せられない。しかし、何よりも事実であるのは、自分は北大という、デッカイものを背中に背負えた時、一気に内に秘めた情熱が炸裂する。エネルギーが爆裂する。やる気が爆発する。
この体験談も、一人でも多くの北大生、北大関係者の目に止まり、活きた情報として将来に伝え、残したいと思いここまで綴ってきた。北大のさらなる発展に貢献したい!その気持ちがあったからこそ、途中で投げ出さず、こうして筆を置くことができるのだから!
この留学体験が可能になったのもここであげきれないほどの多くの方の応援、ご支援、ご理解があったからである。まさにそれがなければこの波乱万丈物語は始まらなかっただろうし、終わりもしなかったのである。本当にありがとうございました!!!

~留学アンケート~

① その国に持っていってよかったもの。
→学ラン、じんべえ、北大手ぬぐい、北大Tシャツ=日本(北大?)の文化を伝える時に役立った。特に学ランを着ての高校時代にやっていた応援団の演舞は、Japanese traditional cheerleading として大いにウケた!日本らしい特技があるととても便利!
→日本のことについて書いてある本。日本のことを聞かれた時に調べられたから。自分の発言が、もはや「日本の常識」となってしまう。日本にまつわる知識をもっと持っておきたかった。
① -2 持って行かなくて後悔したもの。
→廉価なブックスタンドがない!かなり不便。日本の100円ショップのありがたさが分かった。
→炊飯器(向こうのはしょぼい)。中には炊飯器ではなく、電子レンジでご飯を炊くツワモノも!
→快適な目覚まし時計(向こうのはとにかく音がうるさい。隣人迷惑に!)
② 現地人が喜ぶ日本のものは何?
→駄菓子、おかし。特にせんべいなど。あとチョコレート?向こうのは甘すぎる。
→伝統的な日本のもの。折り紙、和紙、人形、絵葉書など。想像以上に親日家は多かった!
③ どんな病気にかかったか。その対処方法は?
→10月病ホームシック(北大シック!?)にちょっとなった(汗)。日本語の文庫に救われた。 やっぱり本はいい。また風邪など引いて弱気な時は、友だちからの手紙、メールに救われた。
④ 一番おいしかった現地の料理は?
→ピザとハンバーガー。毎日食べたら飽きるけれど、たまに食べたくなる魔力がそこに!あ のトロトロ感、ボリュームはたまらない!!!今も恋しくなる・・・。
⑤ 現地ならではの趣味やスポーツをしたか?それは何?
→母校のスポーツ観戦。特に大学スポーツがさかん。ホッケーやバスケはいつも満員!「愛校心」 がとても高く、大学グッズを身につけての応援はとても見ごたえがあった。
⑥ 現地で自分が買いたい衣服はあったか?どんなものを買ったか?
→量販店での衣服類はとにかく安かった。Tシャツが鬼のように安くて、買いあさった。(ファッションとは程遠い人間だが)日本で「オシャレ」と呼ばれそうな服は少なかった気がする。やはりアメリカに行ってアジア系、特に日本人はおしゃれだと感じた!服装でかなり見分けられる。
⑦ ネット、音楽、書籍、テレビなど情報環境はどうだったか?
→ネットは必需品。大学内のあらゆるところで、光ケーブルが!寮にも、一人ひとつケーブルがあった!これなしにはもはや生きられない。先生やクラスとメールでやりとりすることも頻繁。
→CDがとにかく安かった。破格である。ビートルズなどの名作を買って聴いていた。
→書籍、特に教科書は高かった。(平均一冊50~60ドル。一教科70~80ドル)
⑧ 留学中の気分転換方法は?
→15分睡眠。メール。空手、ヨガ、腕立て伏せ。=体を動かすことで、発散させた。
⑨ 盗難、差別などの事故にあったり、逆に特別に親切にされたことはあるか?
→「交換留学生」の特権を使いまくった。交渉により、レポート締め切り延ばしてもらう、質問 攻めするなど。「権利」は主張して取ってこそ「権利」。
周りは「日本」に対してみんな好意的でなんとなく得をした気がする。
⑩ 親しかった友達の国籍は?
→ジャマイカ人、インド人、関西人、イスラエル人。国際寮だったので、留学生と仲良くなるこ とが多かった。またアメリカ人ともヨガ、空手を通じて仲良くなった。
⑪現地で一番面白かったテレビ・映画・CD・漫画は?
→ラスト・サムライ。この映画をきっかけに剣道部の部員が4倍に増えたらしい!アメリカで日
本の風を感じることができて嬉しかった。


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