英国 アバディーン大学 交換留学(深瀬 新着2019)

ヨーロッパ

留学体験記(英・アバディーン大学)

経済学部経営学科4年 
深瀬 隆也

留学先

イギリス スコットランド アバディーン大学

留学期間

2019年1月~2019年5月(3年次後期、4年次前期)

二段階留学

アメリカ ハワイ大学ヒロ校 交換留学(2018年)

イギリス スコットランド アバディーン大学 交換留学 (2019年)

留学動機

・イギリスというアメリカ、ハワイ大学とは違う英語圏でのビジネスを学び、比較するため。
 (3年次後期に米・ハワイ大学に留学 2018年8月~2018年12月)

・ビジネススクールを持つ大学で学び、より先進的なビジネスを学ぶため。

・Brexitという歴史的、経済的に重要な局面を実際に現地で経験するため。

・より厳しい環境に身を置くことで、英語スキルはもちろんのこと、
ディスカッション能力や論理性を高めていくため。

費用

留学前

1 飛行機代:JAL(日本航空)で往復チケットを購入。ビザの関係で、入国前に往復分のチケットを買わなければいけなかったので、総額20万円で購入した。

※後日、実際に帰国予定日が決まった段階で帰りのチケットの日程を変更したため1万円程度掛かった。

2 ビザ(半年間のstudent visaだったため空港で入国時に入手 
書類審査のみだったので無料
3 保険 留学期間が一年間だったため、留学先は変わったが北大で斡旋された保険にそのまま加入し続けた。追加で保険にも入らなかったので、実質費用は掛からなかった。

留学中

生活費 月4万円(自炊することで比較的安く抑えられた。外食は月に4回程)

寮費 月額 8万円(寮のあるヒルヘッドという学生寮の集まりの中にある
ニューカーネギーコートという寮)

(アバディーンのとある路地)
(アバディーンのとある路地)

1週間のスケジュール

Business Strategy(BU4536):経営戦略の授業。各授業の理論を基にグループプレゼンやエッセイを作成し、経営戦略をどう作り出していくかを学ぶ。

Global Issue(SO2509):社会学の授業。今現在起きている様々な社会問題や歴史的な問題について、資料やディスカッションを基に社会問題の解決策や今後の課題について学ぶ。

※ 授業の形態は、一つの授業に対して講義とチュートリアルと呼ばれるグループディスカッションに分かれている。各授業15単位~30単位で、1学期で合計60単位取らなくてはならない。

留学前後のスケジュール

2年前期 
 5月 留学を決意
 7月 IELTSを受けるもオーバーオール5.0でどこにも行けないことを知る。
 11月 5.5に到達し、ハワイ大学ヒロ校に申し込む。
 12月 イギリスの大学への留学を決意。
 1月~5月 IELTSを勉強する合間に留学の手続きを並行して行う。
 (アメリカの留学手続きは特に大変でした。)
 同5月 オーバーオール6.0に到達し、英・アバディーン大学で申請。
 
3年次後期 
 8月~12月 ハワイ大学ヒロ校へ留学。留学先で、アバディーン大学への申請手続きを行う。
 ※申請書類や支払いは、留学前にあらかじめ確認して、準備し持っていくことが重要(後で大変な思いをするから)。
 12月 ハワイから帰国。滞在1週間で渡英。
 1月~5月 アバディーン大学へ留学。
 5月末 帰国。

詳細は、ハワイ大学留学体験記を参照してください。

(寮の前にある公園の風景、左が1月、右が4月撮影)
(寮の前にある公園の風景、左が1月、右が4月撮影)

留学前

英・アバディーン大学への留学を決意したのは、ハワイ大学ヒロ校への留学スコアを満たした直後だった。やっとの思いで留学にこぎつけてもちろんうれしい気持ちはあったが、同時に思ったのがどうせ留学するなら1年の留学。行けるなら1か国だけじゃなく、2か国行ってみたいという無謀な挑戦だった。しかも、少しハードルの高いイギリスへの留学。今振り返ってみると、当時の自分を考えれば無茶な挑戦だったなと思う。

しかし、留学をやり切りたい、自分が180度変わるくらいの経験がしてみたいと思えば、それくらいできないとこれからやっていけないと思い、挑戦してみた。

ハワイ大学への留学も締め切りギリギリでようやくスコアが取れた自分にとって、さらにIELTSのスコアを上げるというのは至難の業だった。冬休みも、春休みも図書館へ通い毎日のように机にかじりついてIELTS。

周りの留学志望者が次々と留学先が決定し、図書館から少しずついなくなっていく。留学をしない人たちもインターンや資格、部活などに明け暮れる日々を送っていく中で、自分は本当に行けるのかと弱気になったことも何回もあった。イギリスの出願締め切りが遅かったことが唯一の救いで、ぎりぎりまで粘ることができたものの中々思うような結果は出てくれない。

3月になって締め切りが少しずつ迫ってきたころ、ゼミの指導教員である高井先生のもとへ相談させていただいた。スコアは6.0だったがアバディーン大学へ行くにはライティングのスコアだけが足りない。6.0で行ける留学先は多くあり、もちろん素晴らしい大学ばかりだったがイギリスの大学へのこだわりは大きかった。なぜなら、アバディーン大学がビジネスの大学院教育があり、なにより自分にとって大きな壁だったからである。今行ける大学よりも、行きたい大学。その思いが強かった。結果、締め切りの最後までスコアはあきらめないで受け続けるという選択肢を取った。

ついに5月に入り、締め切りが迫る中、本当に最後の最後と思って受けたIELTSでようやく目標スコアが取れて、アバディーン大学に申請することができた。この時は、本当にうれしくて、授業前の教室で友人たちとスコア発表前に形態の画面にかぶりついていたのだが、時間になった瞬間に声を上げて喜んだのを覚えている。スコアが伸び悩み、中々上がらなかったときに相談に乗ってくださった先生方、友人たちも一緒になって喜んでくれて、大学受験に受かった時以来の感情になった。

この時思ったのは、留学の勉強は道のりが長くて、終わりが見えないからこそ、一人で勉強するのではなく、同じ留学を志す友人や家族、先生方に相談し、一緒になって頑張ってくれる人たちと頑張るべきであるということである。自分も何度も何度も心が折れそうになったが、その度に、励まし励まされることで最後のチャンスをものにすることができた。諦めることはすぐにでもできる。だからこそ、本当に行きたいところがあるなら最後の最後まであきらめないで頑張ってみることが大切なんだと改めて思わされた。今、留学で悩んでいる人がいるなら、そう思ってみて頑張ってほしい。

留学準備編

ビザ→半期の場合はstudent visa。
2セメスターの場合はTire4という10か月以上滞在するために必要なビザを使用。
(自分は6カ月以内の留学なのでShort term visaでした。)

保険→北大で斡旋された保険以外で特に入った保険はなし。

経済面→イギリスではカードとキャッシュのどちらも使えるが、カードの方が基本的に楽なのでカードしか使っていなかった。
自分は三菱UFJ銀行のビザデビットJALのマスターカードを持っていった。
三菱UFJのビザデビット(黒いカード)は、ハワイでもイギリスでも使えるし、イギリスに関して言えば町中にあるATMで自由にお金をキャッシュで卸すことができるので(預け入れは不可)とても便利だった。
(奨学金は月額8万円をいただいていた)

住居→アバディーン大学には学生寮が固まった通称“ヒルヘッド”と呼ばれる学生村みたいなものがあり、自分はそこのニューカーネギーコートというところに住んでいた。
ほかにも寮はあったが、月額8万円の5人でキッチンだけ共用、トイレやシャワーがついた個人部屋が一人ずつに与えられると所で一番住みやすそうなのでここを選んだ。
他の寮の詳細は申請後の手続きの中で確認できるのでそこで確認してほしい。
ニューカーネギーはお勧めである。

携帯・Wi-Fi環境→携帯に関しては他の国同様、SIMカードを買って使うことになる。
注意しなくてはいけないのが、空港で SIMカードを買おうとすると高くついてしまうし、場合によっては使いづらいものを買ってしまうケースもある(自分も空港で買って失敗した。)
一番確実なのは、ロンドン、もしくはアバディーン市街にある(Three、EE)という携帯会社のどちらかで「Pay as you go」というタイプの1か月で15ポンドほどのシムカードを購入するとすぐに使える。
まとめて買うこともできるので留学期間に応じて購入するのが望ましいと思われる。
また、Wi-Fi環境に関しては学校のWi-Fiを使用することになるのだが、パスワードが必要になったりするのでわからなくなった場合は、ヒルヘッドの中にあるセンターコートと呼ばれる寮のオフィス(ショップやレストランもある所)で聞いてみるのが一番はやい。

荷物→スーツケースはハワイへの留学の時同様に2つ持って行った。
2つ持っていくことによって一つずつのスーツケースの重さが分散し、かつ帰ってくるときの荷物の多さに対応できるからだ。
ちなみに自分が使ったJALは1つ23㎏までは無料で預かってくれるので荷物代は掛からなかった。
但し、イギリス国内を飛行機で移動する場合、荷物は1つ23㎏までだが、2つ目からは重さ関係なしに追加料金がエコノミーではかかるため注意が必要。
列車で移動する場合は、荷物代は掛からない。

留学前半

ハワイから帰国して数日が立ち、いよいよイギリスへ出発する日がやってきた。留学と留学の間の期間が短かったので、日本でやらなければいけない手続きや書類の申請などでドタバタだったが何とかそれも無事に終えて出国することができた。実際にセメスターが始まるのは1月の初旬だったためロンドンへ前乗りし、そのあとでスコットランド、アバディーンへと向かうことにした。成田からドイツを経由し、その後ロンドンへという工程だったのでまずはドイツへ向かった。

ドイツでは経由のため2時間ほどしか滞在できなかったが、せっかくドイツに来たのでビールとソーセージでも食べてから行こうと思い、空港内のレストランに入った。店員にレジで「カードは使えるか?」と確認したところ、「どこから来た?」といわれたため、「日本から来た。日本のカードだ」というと「日本のカードじゃだめだ」と言われてしまった。

「このご時世、日本のカードだから使えないということがあるのだろうか」と疑問に思ったが、それで店から突き返されるようにして出ていくのは癪だったので、なけなしの日本円をユーロに変え(ちなみにイギリスはポンドが通貨となっているため一銭もユーロは持っていなかった)、これならどうだと言わんばかりに店へまた入った。店員も「なんだこいつ」という顔をしていたが納得したようだったので、料理を頼んだ。

ビールとソーセージ。シンプルではあったがさすが有名になるだけあってどちらも美味しかった。その後、店に入ってきた日本人観光客が普通に日本のカードで支払っていたため、あの店員は何だったんだと多少の不満を残しながらもドイツを後にした。

成田からドイツまで約12時間、ドイツからロンドンまで約2時間の長旅を終え、やっとの思いでロンドン・ヒースロ空港にたどり着いた。しかし、本当に大変だったのはここからだった。

到着すると通されたのは入国審査エリアだった。ハワイの時の入国審査とは打って変わって日本人がほぼいないという入国審査だったため若干緊張しながら臨んだ(ハワイの入国審査は日本人しかいないという印象だったのであまり印象強くは覚えていない)。並んではみたものの長蛇の列。それもそのはず、年末の一番忙しいときに来てしまったので旅行客とビジネスマンでごった返していた。

これは待たされるなと覚悟はしていたものの列は一向に進まない。気が付けば3時間は列で待っていた。ようやく検査官の前で、入国審査をしたのだが、聞いていたほど厳しいものでなく、書類を見せてなんで来たのかと、どこに滞在するのかだけ聞かれてあっさりとパス。逆になんで他の人がそんなに時間かかってるのか不思議なくらいすぐに終わった。

入国審査が終わると、預入荷物を取りに行くのだが、如何せん3時間以上も到着から立っていたため荷物の行方が分からなくなってしまった。最初に聞いた何人かはわからないと言われてしまい、ちょっと腹が立ったが聞いていくと、「手荷物受取場でベルトコンベアをぐるぐると回っている」と言われ、ようやく荷物を受け取ることができた。すでにそれだけで1時間を費やしてしまった。

その時、同じ飛行機でロンドンに着いた日本人も「入国審査が長すぎて預入荷物がどこに行ったか分からなくなってしまった」と言っていたので一緒に探すことにした。無事その日本人の荷物も見つかり、何気なく話しているとお姉さんがロンドンの大学に行ってて遊びに来たらしい。「ちなみにどこですか」と聞くと「オックスフォードだ」という。ロンドンの大学と聞いて予想はしてたものの世界最高峰の一つと言われるオックスフォードに留学する日本人に実際にあったことなかったので「すごいな」 と感心しっぱなしだった。

その日本人とは別れ、今晩の宿まで移動するためにタクシーへ乗り込んだ。細かい場所まではきちんと把握せず、しかも思った以上に時間がかかってしまったため距離や料金のことも考えないで乗ってしまった。メーターがどんどん上がっていく。最終的に120ポンド(日本円で17,400円)も使ってしまった。今振り返ってみるとイギリスにきて一番の失敗はこれだったかもしれない。ホテルに着くと夜12時を過ぎていた。荷物を放り投げてベッドに倒れこんだ。

アバディーンに着くまでの一週間は、ロンドンの中心部で過ごした。年末ということもあり、人々でごった返しになっていたがそれよりもロンドンの古き良き町並みや、ヨーロッパ独特の空気感がとても気に入った。自分が泊まっていたホテルは、ロンドンの中心地の中でも観光名所が多く立ち並ぶエリアだったため最初の2,3日は一人でぶらぶらと歩きまわっていた。大英博物館、バッキンガム宮殿、ビッグベンなど一度は誰もが聞いたことがあるような名所ばかりをゆっくりと見て回れることができたのでとても満足することができた。

その後、ヨーロッパ各地に留学中の北大からの留学生の友達と合流して、一緒に年越しをした。日本はおろか、北海道以外で年越しをしたことはなかった自分にとっては初めての経験でどんな感じになるのか楽しみでならなかった。ちなみに、ロンドンの年越しは、テムズ川沿いにあるビッグベンの近くから花火が打ちあがることになっており、年越しの5時間前には人々が我先にと良い場所を確保していたため相当混雑していた。年末年始に自分がロンドンにいるなんて想像できなかったが、実際に現地で年越しをしてみると「海外での年越しも悪くないな」と感じるほどきれいな花火であった。

ロンドンでの滞在も終え、いよいよアバディーンに出発。行きは列車で8時間の長旅をすることになった。その方が安く抑えられるからだ。最初は余裕だと思っていた旅も、さすがに8時間はこたえた。ようやくアバディーンに到着すると辺りは真っ暗。ロンドンとはまた違ったイギリスの田舎町そのものだった。

アバディーンは一応スコットランドの三大都市に数えられ、エディンバラ、グラスゴーに続く第三番目の都市である。しかし、それほど目立ったものがあるというわけではなく、大きな産業といえば油田と漁業くらい。あまり特徴がないと言ってしまえばそれまでだが、生活する分には問題ないくらいの規模である。

タクシーに乗り込み、学生寮が集まるヒルヘッドに向かった。タクシーの運転手と他愛もない会話をしているとほんの10分ほどで到着(このタクシーの運転手は、親切で優しかったのだが、スコットランドの訛り英語の洗練も食らった)。

部屋へ入ると、ハワイの時よりもきれいで清潔感がある!というのが第一印象。ベッドも一人分にしては広く、トイレもシャワーも自分専用に一つずつ付いている。だがしかし、部屋が寒すぎるというのが欠点。それもそのはずである。スコットランドの北部に位置し、緯度的には北海道の北端よりさらに上。港町ということもあり、1月の気温は-3、4度ぐらい。北海道の方が寒いと思う方もいるかもしれないが、ヒーターがうまくつかない、窓が一枚(北海道は二重ガラス)ということを想像してみてほしい。部屋の中でも外とほとんど変わらないくらい寒かった。

掛布団はついていなかったので、掛布団を買いに行くまでの数日は、ダウンとヒートテック上下、セーターを二重できて寝ていた。それでも寒くて中々寝付けなかったので、今考えれば日本は素晴らしい国だなというのをしみじみと感じる瞬間でもあった。

アメリカ(ハワイ)とイギリスの違い

まず特徴的なのは、言葉である。ハワイからイギリスに来て一番最初に驚いたのが同じ英語でも聞き取れないということである。

ハワイはアメリカの中でも独特な「ピジン語」と呼ばれる英語訛りを持つ人が多く、日本語とハワイの言語と英語が入り混じったような訛りが特徴である。留学当初は、ハワイも含めて、アメリカの英語は早いので最初は何を言っているか分からなかったが、よくよく聞くときれいな英語をすごい早いスピードで言っているというのが分かった。

しかし、イギリスに来ると全く聞き取れない。速さには慣れていたつもりだったが、どうやらそれだけではないらしい。アメリカ人の友達に聞くと、アメリカ人ですらもよく分からないという。しかし、もっと厄介なことに、イギリスの中でもスコットランドというのはイギリス人ですらも何を言っているのかわからなくなる時があるという。(日本でいうと、標準語を話す人々が、古い東北弁を聞くような感じ?)自分もこれ以上の細かい違いは分からないが(そもそも聞き取るのもあまりできていなかったので分かるわけはないが)、こういう英語訛りでの違いが会話の中で多々ある。これが友達同士だけならまだしも、教授や実際に講義をする先生もスコットランド訛りなので、授業中はスライドを必死に追わないと内容が全く分からない。これには相当苦労した。しかし、これには慣れなければいけなかったので大変だった半面、とても興味深いなとも思った。

もう一つの決定的な違いは、考え方の違いである。大半のアメリカやイギリスは個人主義的な考え方が中心である。しかし、ハワイは日本や諸外国からの移民が多く住んでいる歴史を持つ背景から集団主義的な考え方になっている。この個人中心主義と集団中心主義の考え方が露骨に表れるのが、ディスカッションの時である。

実際にハワイで、授業中にディスカッションをしたとき他人の意見をどう受け取るかという観点からいくと、ハワイの人たちはそれらを柔軟に受け入れ、全員の意見をある程度加味したうえで議論を進めていく。もともとアメリカ人はディスカッションやプレゼンが上手く、論理もしっかりしているので、突飛な意見や独特な意見に対してもそれをどう処理すべきかについてよく知っているように思えた。一言でいえば多様性に重きを置いているのである。

一方で、イギリスは、個人主義的な考え方が強いのか、自分の意見やアイディアを押し通そうとする感じがした。ただ、ゴリ押しするのではなく、論理構成ができていっているので筋は通っている。しかし、それらを議論する場合に、誰もそれを批評的にみたり話し合いによって改善していこうとはしなかった。みんな、自分の意見について発表し、そのほかの人たちが「それいい」と言っておしまい。それ以上何かするということはしなかった。「まったくもって時間の無駄だな」と思った。何のために、時間を作って、場所を借りて議論しているのか。批評もしなければただの発表会だ。「正直頭が硬いな」と思ったこともある。しかし、当人たちの前では言えないし、自分にそれを説明して納得させるだけの語彙力はなかった。これも経験だと思って郷に従った。しかし、それくらい授業の中で考え方の違いが生まれるということである。

(左は、図書館を真上から撮影したもの。右は雪解けの公園)
(左は、図書館を真上から撮影したもの。右は雪解けの公園)

留学中盤と授業

授業は1月の初旬からいきなり始まった。

イギリスの授業スタイルは、レクチャーという講義形式のスタイルとチュートリアルという少人数で行われるグループディスカッションの二つに分かれている。まずレクチャーで知識や情報をインプットした上で、チュートリアルでその授業内容についてのディスカッションを行ったり、生徒同士でグループを作って、グループプレゼンテーションを行ったりする。ハワイで受けていた授業とは全く違った方式で行われていたので、多少の戸惑いはあったが何とか食らいついていこうと必死だった。

自分が取っていたクラスは、前述したとおりBusiness Strategyという専門の経営科目とGlobal Issueという社会科学系の二つの科目だった。社会科学系の科目に関して言えば、Brexitがホットな話題だったので政治だけではなく、社会科学というもう少し広い観点から歴史的な事象を分析すると共に、ビジネスをより広い観点から考察しより発想力豊かに柔軟に考えられるようにするという意味で受講した。もう一つの専門科目は、自分の中で多少の挑戦的な意味で受講したという経緯がある。4000番台という学部レベルでは一番難しい科目で、もちろん日本人は他に一人もおらず、グループディスカッション、プレゼン、エッセイ、テストと授業内容もてんこ盛りの科目であったし、イギリスの大学では特にそうだが、予習量が半端ない。毎週のリーディングを中心に、それについて毎週分析レポートを出さなければいけないというハードワークであった。しかし、今考えるとこれを乗り越えたことによって得られる自信や達成感、それに伴う知識や学びは非常に大きかった。ハワイでは経験できなかったことをここで経験できたのは本当に良かったと今振り返ると思う。しかし、きつかったことには間違いない。もう一回やれと言われたら絶対にやりたくない。

一つの授業でも忙しいのに、それが二つとなると余裕なんて微塵もなかった。最初の2カ月は提出物や予習をすることに忙殺され、正直に言って留学を楽しむ余裕はなかった。毎日毎日、起きて学校に行くか、授業のない日は部屋にこもって勉強。たまに外に出たと思ったら、帰ってきたらすぐに勉強。ご飯は、自炊しなければならなかったのでつかの間のリラックスタイム。しかし、その時間も1時間あるかないか程度。そんな繰り返しの毎日がとてつもなく嫌になった。

そこでジムに通うことにした。ソサイエティ(日本の大学でいうところの部活やサークルみたいなもの)もあって、留学生でも自由に入れるのだが、正直そこに入るほど時間に余裕はなかったのでソサイエティには入らず、週に2,3回ジムに通うことにした。現地のジムについて驚いたのが、アバディーンに限らずイギリスのジムは有料制であったことである。日本はもちろんのこと、ハワイでも生徒であれば無料で使えるというのが今までの常識であったためとても驚いた。こちらのジムは、大学のジムというよりは市民体育館のような感じで、現地の子供からお年寄りまでがその施設に来て運動することができる総合運動施設になっている。プールや陸上競技場、屋内には3面のサッカーコートやバスケット、バドミントンで使用できる大きな体育館が備わっているため、その規模は自分が今までみたどの運動施設よりも巨大であった。このジムに入ってから(料金は3カ月契約で1万円弱とまあまあな価格)、生活にもリズムが出てきたので何とか生活を立て直すことができた。

授業も中盤に入ってきて、ようやく慣れてきた。ディスカッションが何かと多いのがイギリスの特徴だったのでとにかく会話の中に加わって話し合いに参加するように努めた。社会学の方の授業は、会話の内容も一般社会における問題についての議論だったため入りやすかったのだが、ここで一番苦労したのは根拠であった。イギリスでは、議論をしたり、アイディアを発表するときに何を引用しただとか、どんな根拠があるから持論は正しいだとかということを聞かれることが度々ある。これがいつもそうなのかは分からなかったが、自分が取っていた授業ではよく聞かれていたことなのでとても苦労した部分であった。例えば、社会学の授業ではチュートリアルと呼ばれるグループディスカッションが毎週行われるのだが、基本的に生徒は手を上げない。こんなに消極的なのかというくらい全然手を上げないので、唯一のアジア人で(アバディーンは香港人の生徒が多数在籍)、日本人の自分が拙いながらも意見を言う。そうすると「君の意見は何を参考にしたの?」とか、「引用は何ですか?」と聞かれた。「自分の考えたことだ」というと不満そうな顔をされる。なにかこちらが損をしたような気持になる。他の生徒も、予習してきたことや事前に読んできたこと以外で意見を言ってくれと言われるので余計に誰も何も言わない。そんなことが多かった。しかし、その中でも「良い意見だね」とか、「面白いね」とたまに言われるとうれしくなるので頑張って手を上げ続けて「なんだ、あいつ」みたいな顔をされても発表し続ける根性が付いた。

一方で、専門の経営科目はというと、これも中々ハードだった。ハワイの方の大学では、毎週授業で1グループ4人のディスカッションをするということやっていたので、ディスカッションに参加すること自体はそれほどに苦ではなかったが、イギリスでの経営系の授業のディスカッションはひどかった。

グループプレゼンの際、4人一組でチームを組まされるのだが、アウェー感が否めなかった。一人はスペイン人の女性、残りの二人はスコットランド人だったのだが英語の訛りがすごかった。正直、何言ってるのかわからない。自分も曲がりなりにもハワイ、イギリスで数カ月を過ごし、ある程度の英語は聞き取れるようにはなっていたが、早口な上にスペイン調の巻き舌とスコットランドのもごもごとした英語には本当に参った。

しかし、本当に苦労したのはここからであった。チームの中で役割分担をして、自分の担当したところを調査してくるということだったので翌週までにやってきたのだが。しかし、調べてきたことに対してスルーされてしまった。その時に唖然としたのを今でも覚えている。「え、要らないの?」と思ったので、自分が調べてきたことを言うと「具体性がもっと欲しい」と言われた。悔しかったので、今度は自分が調べてくることに関してより具体的に調べてきた。そうすると自分の考えたものが採用されたのはいいものの、他のスコットランド人がさも自分の手柄のように横取りして使い始めたのだ。あっけにとられるとはまさにこのことだ。実際にプレゼンをやり始めると、自分が全く調べていないことに関して発表を任されるし、何より戦力外みたいな扱いをされたことがすごく悔しかった。実際にデータなどを扱う発表だったので、グラフなどを引用するのだが、彼らの使用するグラフはあからさまなデータばかり。よく言えば合理的だが、悪く言えば簡単なグラフや表を切り貼りしてるだけ。自分が何か言おうしても却下されることが多くて、日本語だったらもっとちゃんと言えるのにと何度も思って、自分の語彙力や発表する能力の低さを悔やんだ。振り返ってみると、彼らは自分たち一人ひとりの中で論を組み立てていたように思える。つまり自己完結してるのだ。だから、集まって議論するときもさほど何かを議論するというよりは、こんな論理でどうですか?という確認をしていたのだ。このチームには最早議論なんか最初からいらなかったのではないかと思えた。その反面、自分のプレゼン能力も英語の語彙力も、説得力もこの程度なんだなと知ることができて本当に良かったと思う。良い意味で挫折し、自分に足りないものを知るいい経験となった。これからに生きる経験になったと思う。

フラットメート

そんなこんなで精神的には相当参っていた。やることなすこと全てチャレンジしかなかったが、上手くいったのはほんの僅かで、ほとんどが失敗の連続。でもだからこそ得れたものが多いというのが日常だった。しかし、人間そんなに強くない。折れそうになった時は何度もあった。そんな時、いろいろ相談に乗ってくれたのがフラットメートのブラッドだった。彼は、ルーマニア出身の1年生で歳は18歳だったが、親身になって世話をしてくれた。来た当初、右も左もわからないような時にやさしく教えてくれたり、生活にしろ勉強のことにしろ、大学のことについて色々教えてくれた。

授業が始まって、生活に徐々に慣れ始めてきてからは、時事問題や彼が興味を持った日本のことについてよく話した。彼と話すときは決まって自分が晩御飯を作るときだったのでそれほど時間ではなかったが、彼と話している時はいつもリラックスしていて、数少ない心の拠り所だった。彼のおかげで留学生活が安心できるものになったと言っても過言ではない。本当に感謝している。

(左はビジネスのクラスでの一枚。右はフラットメートとの写真。彼らには本当に感謝している。)

終わりに

一口に留学すると言ってもただ勉強すれば良いだけではない。自分は、ハワイとイギリスを通して約1年間海外で生活し思ったことがたくさんある。勉強すること以外にも、実際に一人で生活しなければならないこと。一人暮らしが初めての人には少々きついかもしれない。洗濯機は部屋の中にはないし、トイレも共用で赤の他人と一緒に使わないといけない。キッチンを使って自炊をしなければいけない人は、ルームシェアの人たちのキッチンの使い方が気にくわないこともあるだろう。(自分のルームメートは1ヶ月以上皿やスプーン、フォークなどを洗わない人たちで、いざ食べようとなったときに、食器がないということがざらだった)。生活すること以外にも、人間関係の変化や安全のことについて考えなければならないこともある。しかし、それも含めて留学なんだということを今回の経験を通じて学んだ。

大変なことや辛いことがあるのは当たり前で、もちろんその分楽しいことやうれしいこともある。自分がこの海外での経験で培ってきたもの全てが留学だったんだと思うと本当に感慨深いものがある。今でもふと、留学のために頑張ってスコアの勉強をし、面接や申請に奔走していた時のことを思い出す。あの時、自分が目指していた留学が終わって、自分が目指していたことが達成できていたか、理想の自分になれただろうか、今は分からない。ただ留学を終えて、1年間曲がりなりにも留学生活をやり切って、悔いはない。自分なりの次の目標も一年間過ごす中で見つけることができた。今思うのは、それだけである。とにかくやりきることが大事ではないだろうか。何ができたとか失敗したとか、その全て含めて留学の中でやり切ったと思えれば留学は大成功であると思う。せっかく留学をしたのだから、酸いも甘いも経験して後悔なく帰ってこれるように頑張ってほしい。



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