国立東華大学/アムステルダム自由大学 交換留学体験記  経済学部経済学科4年 徳原瑛人

アジア, ヨーロッパ

国立東華大学 交換留学体験記


1.留学先

台湾 国立東華大学 人文社会科学学部 経済学系(台湾 花蓮縣)

2024/9~2025/1


2.留学の動機

・台湾の文化や近年の経済発展に以前から関心があり、旅行では感じることの出来ない側面を実際に感じるため。

・第二外国語で履修した中国語を実用的に使ってみたかったが、中国への留学には抵抗があり、人柄が良く親日割合の高い台湾を選択した。


3. 費用

・渡航費 10万円弱(往復航空券)

現地での生活

・家賃 10万円(月2万円)

・生活費 24万円(月4万円)

・交際費 24万円(月4万円)

合計:約70万円


4.留学スケジュール

2023年11月 TOEIC受験、交換留学申請

2024年初旬 北海道大学内の審査通過

2024年4月 東華大学からの承認

2024年8月 在留許可取得

2024年8月末 台湾渡航

2024年9月初め 授業開始

2025年1月中旬 授業修了、帰国


5.ビザの手続きについて

札幌駅の目の前のビルに、台北駐日経済文化代表処 札幌分処(以下、大使館と表記する。いわゆる台湾大使館だが、日本は台湾を正式国家と認めていないため大使館は厳密には存在しない)があり、そこで停留ビザを申請することが出来る。事前予約が必要だが、予約枠が限られており、オンライン上では1週間以上先まで予約できない状況だった。しかし、私は渡航まで時間が無かったため、大使館に直接電話をかけたところ、3日後の日程を提示してくれたので、時間がない人は電話して交渉してみることをお勧めする。必要書類とパスポートを持って大使館を訪問し、いくつか記入しパスポートを預けた。通常の手続きでは、ビザの発行に1週間ほどの時間を要するため、早めの申請をするべきである。私はとにかく時間がなかったため、追加料金3000円程度を支払ってスピード発行を依頼し、申請の2日後にはビザが貼られたパスポートを受け取ることが出来た。

ビザに関して、半年の交換留学であれば、90日間の停留ビザが発給される。そして台湾滞在中に一度だけビザの期間延長(90日)ができ、結果として最長180日間の滞在が可能となっている。そのため、9月出発の私は、11月末頃に延長手続きが必要となり、東華大学の在学証明書を持って移民省花蓮支部に足を運び、延長の手続きを行った。

日本国籍であれば、ビザなしでも台湾に90日間滞在することが出来るが、その後の延長手続きが出来ない。そのため、停留ビザを発行しなかった場合は、一度台湾を出国し、その後再入国して新たに90日間の滞在期間を得る必要がある。これを利用して、一度香港や中国に旅行をした後、台湾に入国し直し、滞在期間を延ばしている交換留学生もいた。(それが正式に許されるのかは謎であるが)

総じて基本的には、停留ビザを申請するべきだと言えるだろう。


6.台湾 花蓮縣について

台湾の花蓮縣は、台湾の東海岸に位置し、台湾東部の拠点都市となっている。台湾は島中央を南北に貫く中央山脈で東西に分けられる。台湾西部は工業が進んでいるため、台北、桃園、台中、台南、高雄などの大都市圏が形成されており、人口の70%以上が西部に住んでいる。

一方台湾東部は自然が豊かで、農業や漁業が盛んにおこなわれている。東部の都市には宜蘭、花蓮、台東があるが西部に比べると小規模であり、基本的には農村部が多い。また、花蓮から台東にかけては台湾の米どころとして稲作が盛んで、池上米というブランド米を生産している。

また、地震や台風などの影響も大きく、揺れを感じる地震は月に数回はあり、台風による休校や停電も経験した。

花蓮にも空港はあるが、台北と台中、高雄への国内線(香港へのチャーター便も一部あり)しか就航していないため、基本的には台北からの入国となる。

台北から花蓮へは、台湾国鉄の特急である新自強号を使って約4時間で到着する。距離的には遠くないのだが、西部のような台湾新幹線も通っておらず、路線も山脈と海岸線沿いを縫うように通されているため、かなりの時間を要する。

また、花蓮を含む台湾東部には今も原住民が多く居住しており、女性が社会の中心となるアミ族や、トビウオを神聖なものとして扱うトビウオ暦を継承するタオ族など、様々な原住民部落(集落の名前を台湾では○○部落と言い、日本の部落問題のような差別的表現ではない。)が今も残っている。


7.国立東華大学について

東華大学は台湾東部最大級の総合大学であり、1994に創立された比較的新しい大学である。学生は約1万人程度在籍している。また、原住民民族学部は台湾最大級の原住民研究機関として研究が進められている。

キャンパスは251ヘクタールと北大札幌キャンパスよりも広大であり、構内は北大に似た雰囲気を纏っていた。キャンパスは円形になっており、その内周を囲うように通っている環状道路は一周4kmという広大っぷりである。

キャンパス内には寮も併設されており、ほとんどの学生がこの寮か、大学周辺のアパートに住んでいる。花蓮市街地から路線バスで40分とアクセスが悪く、バスに乗っていると農村部に巨大なキャンパスが突然現れるような印象を受ける。

校舎は、2024年4月に発生した台湾東部沖の地震の影響で被害を受けたものが散見された。なかでもひどかったのは理工学院の校舎で、地震によって発生した大規模火災によって校舎及び設備が全焼し、留学した当時も校舎が真っ黒のまま残されていて、衝撃を受けた。

また、キャンパス内にはファミリーマートが3店舗あり、そのうち寮に隣接するものは24時間営業だったため、不便に感じることはあまりなかった。


8.なぜ東華大学を選んだか

私は台湾には過去に十数回旅行で訪れており、元々台湾の国民性や文化が大好きでいつか留学したいと思っていた。しかし、台北はアジア有数の観光都市となっており、観光客含め日本人が多く、私の求める異国感が少ないことを懸念していた。そのため、私は台北以外に位置する大学を留学先として探していた。

正直なところ、その中で私は、台南にある国立成功大学に留学したかった。しかし、成功大学への留学には中国語能力の証明が必要だったが、私はそれを持っていなかったため、第二志望の東華大学に派遣されることとなった。

第二希望であったわけだが、東華大学を志望した理由としては、その立地の特異性にあった。私は、多くの人が留学する場所に行き、先人の道をなぞるような留学をしたくはなかった。そのため、前例が少なく、現地の人(台湾人)との交流が活発であることを期待して東華大学を選んだ。


9.授業

人的資源管理(HRM):人材管理、組織マネジメントに関する授業。効率的な人材採用の手法や人材育成のメソッドをテキストベースで進んでいく。机は給食を食べた時のような四人机になっており、議論がしやすい形になっていた。テキストの該当部分を予習していき、授業ではスライドの空欄を埋めながら進んでいく。その時に空欄の答えを挙手制で解答し、正解すると0.5点換算のステッカーがもらえるという仕組みがあった。その後、1時間ほどをかけ、その時々のテーマで議論をしたり、クイズをしたりと、積極性の求められる授業であった。

電子商務:Eコマースのマーケティング戦略や、昨今のネットビジネスの動向について実際の企業HPを見ながら分析する授業。消費者の購買意識や行動メカニズムに基づくウェブページのデザインなど、心理的な側面からのアプローチもあり面白かった。ただ、議論等は全くなく全て教授の講義を聞く形式だったので退屈に感じる時もあった。成績評価は最終プレゼンが大きな割合を占めるのが特徴的であった。最終プレゼンには自身が選んだ2企業をEコマースの視点から分析し、アンケート調査を必ず行う、というものだった。

管理会計:基本的に授業はテキストベースで行われた。財務会計とは異なり、企業内部の組織マネジメントや経営管理のための会計処理について学んだ。実際に会計帳簿への記入が試験の内容となり、試験範囲は広かった。授業は双方向ではないため、少し退屈であり、また会計学が苦手な私にとっては、テスト前の詰め込みが一番きつかった科目でもある。

日常華語Ⅱ:台湾の中国語(繁体中国語)の会話を学んだ。一年生の時に第二外国語で学んだ知識があったため、Ⅱを取った。ほどよく知っていることと知らないことが混じっていてレベル感としては良かったと思う。中国語を英語で学ぶ、という点では、一番頭を使う授業だったかもしれない。

日語:この授業では、日本語を学びたい台湾人と出会えることを期待して履修した。結果としてTAをやらせてもらったことにより、私自身が、友人というよりも、教師側の人になってしまい、学生と関わりにくくなってしまったのが若干の失敗である。それでも日本人や台湾人何人かとは仲良くなるきっかけとなったため、履修してよかったと思う。

授業は上記の科目がそれぞれ週二回あり、授業一回は3時間と長時間だった。ただ、課題については、テスト前以外はそこまで多くなかったため、放課後には十分な自由時間が取れた。

生成AIの利用について

電子商務の授業の中で、Copilotの使い方のレクチャーがあった。その他資料の作成時や、英語の会話表現をとっさに調べたい時に私はChat-GPTを活用していた。英語表現を調べたい時には、一気に複数の表現を知ることができ、それぞれのわずかなニュアンスの違いも言語化してくれるため、大変重宝した。一度調べたことは二度と調べないつもりで暗記するようにすることで、AIを使うことへの罪悪感を軽減させていた。


10.一週間のスケジュール例


11.住居

前述したとおり、東華大学の学生のほとんどは大学内の寮か、キャンパスの裏門付近の学生街にあるアパートに住んでいる。台湾人に聞けば、学部1,2年生はまず寮に入り、3年次に進級する時に大学外のアパートに引っ越すことが多いようである。

大学内には寮がキャンパスの東西に分かれて立っており、1号棟から6号棟まで用意されている。番号が大きくなるにつれ築浅の寮となり、私を含め交換留学生の多くは4,5,6号棟のいずれかに収容されていた。(4号棟は男女混合、5号棟は女子寮、6号棟は男子寮)

私は6号棟にあたる迎曦荘の1階に割り当てられた。この寮は一部屋あたり4人でのシェアタイプであった。部屋には、ベッドの下に自分のデスクがはまり込んでいるタイプの二段ベッドが4台、クローゼットが1人1つに、洗面台とトイレとシャワーが一体となったシャワールームがあるだけの部屋だった。バルコニーもあったが、1階の我々の部屋のバルコニーにはカタツムリが大量発生しすぎて使い物にならなかった。

キッチンは各部屋には無く、各階に一つ共有スペースとしてあった。しかし、台湾は外食文化であるため、設備は電子レンジと電気釜、冷蔵庫しかなかった。冷蔵庫も常に誰かが何かを腐らせており、悪臭を放っていた。

洗濯機と乾燥機は共有スペースに数十台設置されており、湿気の多い台湾でも乾燥まで完結できたのは助かった。(一回あたり20NTD、約100円)

この寮のメリットとデメリットを振り返ってみる。

まずメリットとしては、賃料が安かったことだろう。月2万円程度で住むことが出来たのはお財布に優しかったと思う。また、4人とルームシェア状態なので、必ず毎日誰かと会話する必要があった。そのため最初は辛かったが、慣れてしまえば、成長できる環境だと気づくことが出来た。基本的に交換留学生は同じ交換留学生と同部屋になることが多いようだった。私の場合は、オランダ人、チェコ人、インドネシア人の交換留学生と同部屋となった。オランダ人は国民性も相まって、とにかく社交的な性格で一番仲良くなった友人であると思う。

デメリットとしてはプライベートな空間が無く、部屋の消灯や起床時間も違うため、互いに譲り合う必要があり、気の休まらないことが多かった。また、部屋の掃除などについても価値観の違いで衝突することがしばしばあった。さらに、盗難被害にも遭ったため、シェアルームの場合は貴重品の管理は徹底した方が良い。


12.食事

台湾は外食文化のため、裏門から最寄り駅までの一本道に沿った学生街(志学通り)のレストランで昼夜食を済ませることが多かった。

志学通りには台湾料理の食堂から、鶏排、うどん、ラーメン、ピザ、火鍋など数十のレストランが軒を連ねている。しかし、多くのレストランが20時には閉店しているため、授業が終わったらすぐに夕食を食べに行かないと食べ損ねることになった。

私のお気に入りは翻滾吧炒飯という炒飯屋だった。店主のおばさんが顔を覚えてくれてとてもよくしてくれた。ここの炒飯は本当にパラパラで量も多く満足できたため、困ったときはここの炒飯を食べていた。

しかし、私は留学生活が1カ月を超えたあたりから毎日の外食生活に疲れてしまい、自炊がしたくなったため、自分でカセットコンロを買い、部屋で料理をしていた(恐らく部屋は火気厳禁で怒られる気がするため、推奨はしない)。米を炊いてルームメイトに振舞ったこともあった。


13.交友関係

東華大学への交換留学生は40人程度であったため、その中で遊ぶことが多かった。フランスやドイツ、ポーランドなどの欧州からの学生も多かった。

また、東華大学の立地的に友人がいないと暇を持て余すため、なんとかして友人を作って誰かと過ごそうというモチベーションになっていた。特にルームメイトのオランダ人とはヒッチハイクで花蓮から高雄まで二人で旅に出たこともあり、一番仲良くしていた。また、フランス人の友人二人とは、私が後にオランダへ交換留学をした際に、彼らのいる南仏のトゥールーズまで足を運び、再会することができた。私以外の日本人交換留学生は一人で、手続き関係の相談は彼女にすることが多く、お互いに助け合った。また、交換留学生ではない正規留学生の日本人にも何人か出会うことができた。その繋がりで、原住民の方の村での食事会にも招待してもらい、貴重な経験となった。


14.盗難事件

10の項目で盗難被害について書いたが、実際に私が受けた被害の詳細をここに記しておこうと思う。

私が盗難の被害に気づいたのは、入寮して1週間ほど経った9月上旬だった。私は銀行から現金を引き出したばかりで、財布には10000NTD(約5万円)が入っていた。その翌日、特に使った覚えがないのに、財布の中から2000NTD無くなっていることに気づいた。しかし、なくなったのが現金だったため証拠はもちろんなく、泣き寝入りするしかなかった。私のルームメイトは、お金に無頓着で終始陽気なオランダ人、ネットゲームが大好きで基本的に部屋にこもっているチェコ人、敬虔なムスリムのインドネシア人だった。犯人はきっとこのルームメイトの3人のうちの誰かだろうと考えられたが、ルームメイトを疑いたくないという気持ちもあった。

そして事態が大きく動いたのは9月の最後だった。私がルームメイトのオランダ人とヒッチハイクで高雄に来ている最中だった。その時、オランダ人が自身のクローゼットの中に置いてきたクレジットカードが大学構内のコンビニで使用され、その利用通知が彼のスマホに届いたのだ。もちろん彼は私の隣にいて、使えるはずもない。

そこで、私は犯人がオランダ人ではなかったことを確信し、自分の受けた被害も明かした。彼は、被害額は少額だし、見ないふりをするというスタンスを取った。しかし被害の大きな私は、証拠が見つかりそうな今、このことを看過することは出来なかった。そして、大学に戻った後、私は大学のコンビニの監視カメラを見せてもらいに一人で向かった。すると、映っていたのはインドネシア人のルームメイトだった。信用していた分、ショックは大きかった。

そして、このことを他のルームメイト2人に伝え、大学に報告することを提案した。オランダ人は最後まで嫌がったが、私とチェコ人は報告に前向きだったため、報告することにした。その時に、日本人のTAの方が大学側との仲介役を引き受けてくれ、スムーズに事が進んだ。

その後、生徒指導が入っての事情聴取が行われ、事実としてオランダ人から約7000NTD、チェコ人から1000NTD、私から3000NTD、合計約11000NTD(約6万円)盗んだことを告白した。私も自身が気づいていた以上の金額を盗られており、チェコ人に関してもまさかの被害者であったため、ルームメイト全員が被害に遭った。結局私たちは、全額返金を条件に警察への通報はしないとし、大学からの生徒指導を希望した。基本的にこのような事態になった場合、加害者は交換留学が即時中止され、強制帰国させられるはずだが、うやむやにされたまま、彼は最後まで学期を東華大学で過ごしていた。何度も生徒指導をするよう要請したが、大事にしたくないようで、曖昧にした東華大学には問題があると考えている。

以上が盗難事件の全貌である。このようにシェアルーム形式の寮では、考えたくはないがこのような盗難被害の可能性もあるため、特に注意が必要である。

ロッカーを短時間でも必ず施錠したり、現金は最小限しか持たないようにしたりすることをお勧めする。


15.まとめ

私はこの留学で随分と強くなったと思う。留学の初めは、自分の伝えたいことが英語で伝えられないもどかしさや、誰も仲間がいない地での孤独感、この日々があと5か月も続くという絶望感など、ネガティブな感情に支配されていた。しかし、その視点を一歩引いて自分の置かれている状況を捉えなおすと、自信を取り戻すことが出来ると思う。見知らぬ土地で孤独感を感じるのは当然であり、言語の違う国で生活していくだけでもすごいことだと思い直せば、自分の悩みが消えた気がした。そして帰国前になった頃には、台湾を離れることや出会った友人たちと別れることが寂しくなっていた。留学中の毎日はストレスもあったが、そのおかげで、自分の恥を捨て、なんでもやってみる精神が身についたと思う。留学は、自分の弱さと向き合い、乗り越えることで、人としてひとまわり大きく成長できる機会だと思う。




アムステルダム自由大学 交換留学体験記


1.留学先

オランダ アムステルダム自由大学(Vrije Universiteit Amsterdam、略称VU)

経済学部

2025/1~2025/7


2.留学の動機

・一段階目にアジアの台湾に留学したため、二段階目には欧州への留学を希望していたため。

・人の流動性の高いEU圏に留学することで、人種や国籍が入り混じった環境で暮らしてみたかった。その点で、オランダは移民が多く、また経済レベルも非常に高い国である。また、欧州の国の中で英語力が最も高い国として知られており、とても魅力的だったため。

・オランダはフィールドホッケーの強豪国として知られており、ホッケーが国民的スポーツとなっている。私自身、フィールドホッケー部に所属しており、強豪国のオランダでホッケーをプレーしてみたいという想いがあったため。


3.費用

・渡航費 約25万円(往復航空券)

現地での生活

・家賃 45万円(月約7万円)

・生活費 60万円(月約10万円)

・交際費 45万円(月約8万円)

合計:約150万円

4.留学スケジュール

2024年6月 交換留学申請

2024年9月 北海道大学内の審査通過

2024年10月 VUからの承認、寮の申し込み

2024年11月 ビザ取得

2024年12月 履修登録

2025年1月上旬 台湾から日本に一時帰国

2025年1月下旬 オランダ渡航

2025年2月上旬 term4授業開始

2025年3月下旬 term4終了

2025年4月上旬 term5授業開始

2025年5月下旬 term5終了

2025年6月上旬 term6(予備ターム)授業開始

2025年7月上旬 term6終了 2025年7月中旬 日本帰国


5.ビザの手続きについて

VUへの交換留学でおそらく全ての人が躓くのがビザの申請だと思う。オランダでの滞在に必要な学生ビザは、大学が代行して申請をしてくれた。そのため、必要書類や銀行の残高証明を大学の該当部署に送った。しかし、残高証明がとにかく厳しい。残高には9800€以上の残高がある口座の証明を送る必要があった。私はそれ以上に残高のある三井住友銀行の残高証明を提出したが、普通預金口座の残高証明では、その残高を自由に引き出せる証明になっていないため不可、とされた。そのため、私は、VUに9800€を送金し、それを残高証明とした。その9800€はオランダ到着後、オランダの現地銀行口座を開設した後、大学に連絡すると全額返金されたが、返金には1カ月ほど要したため、注意が必要である。VUにいた他の日本人も同様の方法を取っていたため、日本からの残高証明は難しいのかもしれない。

それらの申請が通れば、オランダ到着後、大学からの案内に沿ってアムステルダムの移民省に足を運び、生体認証や顔写真を撮影した後、カードが発行された。

6.VUについて

アムステルダムは中北部と南部で街並みが全く異なる。中北部は運河が張り巡らされ、昔からの建物が犇めくいわゆるオランダらしい風景が見られる一方、南部は近代的なビル群があり、オフィス街となっている。VUはアムステルダム南部のオフィス街の一角に位置する私立総合大学である。基本的に授業は全て英語で開講されている。校舎は比較的新しく、デザイン性も高いものが多く、大学に行きたいと思えた。また、自習スペースが豊富にあり、夜遅くまで大学に籠ることが出来た。個人的には格安のコーヒーマシンがあらゆるところにあったことが、テスト前に助かった。


7.授業

Consumer behavior:消費者の購買行動について学んだ授業。どのようなパッケージやマーケティング戦略が心理的に有効な手段なのかを理論立てた。また、授業の中ではアンケート調査や簡単な実験を行い、購買衝動の疑似体験をすることで面白く学ぶことが出来た。チュートリアルでは、講義で学んだ理論を実際に活かした戦略を考えるワークなどを行った。

Managing People~ Global Perspective~:国際的にビジネスを展開する企業が増えた昨今において、より良い人材を獲得し、その人材を企業の中で活躍させるために必要なメソッドを学んだ。採用から育成、報酬など、雇用に関わる諸問題を複数の視点から捉えた。チュートリアルでは、実際の企業の人事に関わる人とそこで雇用されている労働者にインタビューをし、発表することが必要だった。もちろん、英語話せて、人事に関わる人の知り合いなどいない私は、このグループでは終始まとめ役になっていた。他のヨーロッパからの学生はそうした知り合いが当然のようにいて、驚いた。

Economics and Management of Organizations:この授業では、組織運営において、雇用されている人材や資源などの内部要因と周囲の外部要因とをどのように管理し、関わっていくことが効率的なのかを学んだ。マネージャーの立場がどのような視点を持ち、業務を行う必要があるのか、といった精神的な面も学んだ。チュートリアルでは、企業へのインタビューを行い、その企業の問題点を探すというなかなか厚かましい内容ではあったが、グループ単位でインタビューの内容をまとめ、プレゼンを用意した。プレゼンにはなぜか2分程度の動画を差し込む必要があった。その動画はTiktokっぽく編集していたり、疑似会議を開いていたりとシュールな内容だった。

International business law:EU圏内を中心とした商法を学んだ。EUの法律の適用範囲や効力など、日本のものとは制度もルールも違ったため面白かった。ただ、授業は専門用語が多く、ついていくのが大変であった。特にチュートリアルではそうした専門単語を使って話す必要があったため苦労した。

Religions, Media and Popular Culture:音楽、映画、マンガ、祭りなどの大衆文化がどのように社会に溶け込み、宗教と関わってきたかを文化的側面、経済的側面、地理的側面など複数の側面から分析していく授業。宗教から生まれた文化だけでなく、大衆の文化が熱狂的なファンによってある種の宗教のように扱われていくという逆転現象についても言及された。欧州が故、キリスト教に関する内容が多かった。その分、期末レポートで日本神道に関して書くと、教授は興味を持ってくれたのが良かった。


8.1週間のスケジュール

授業は午後まである日は18時に終了した。授業後には、帰り道の途中にあるスーパーで買い物をして帰ることが多かった。スーパーは22時までやっているところが多かったため非常に便利だった。夏至に近づくにつれ、日が長くなり、6月になると22時を過ぎても明るかった。そのため、夕食を食べてからホッケーの練習に行くこともしばしばあった。週末はホッケーのリーグ戦があり、それに出ていた。他には家でのんびりしたり近場に散歩に行ったりと充実していた。

9.住居

VUへの留学でビザの次に難関となるのが、この住居の確保である。VUは寮を提供してくれており、数種類の部屋のタイプから選ぶことが出来る。しかし、寮の全員が入居できるかは分からない、という恐ろしい補足がついている。つまり、VUが用意してくれている寮が埋まれば、自分で賃貸なりを探さなければならない。しかし、アムステルダムは慢性的な住居不足となっており、自分自身で賃貸を探すのは本当に困難であると言われている。事前に寮の申し込み開始日時が何度もリマインドされ、それと同時に多くの学生がサイトにアクセスし、飛ぶように物件が埋まっていき、開始5分で全て完売していた。なので、部屋の申し込みはネットワークの良い環境で事前に申し込む物件を決めたうえで臨むべきである。私も本当は部屋にシャワーとトイレがある物件を狙っていたが、争奪戦に負け、シャワートイレが共有の物件になってしまった。

私の寮は大学からトラムに乗って二駅、自転車で10分のところにあるUilenstadeという寮キャンパスに位置していた。ちょうどAmsterdamとAmsterveenの境界線に位置するため、住所登録的にはAmsterveenの市民となっていた。

私の部屋には、ベッド、クローゼット、棚、デスク、一人掛けソファ、冷蔵庫が備え付けられていた。特に自分の部屋に冷蔵庫があると冷えたビールをいつでも飲むことができ、便利だった。また、部屋は西向きの7階だったため、景色もとてもよく、晴れた日にはスキポール空港に沈みゆく夕日を眺めることができた。

シャワーとトイレはそれぞれ二つずつあり、フロアルールとして男女を分けて使っていた。(私のフロアは男子4人、女子8人だった)洗濯機と乾燥機は一つずつだったが、使うタイミングが被ることはあまりなかった。キッチンとリビングもシェアだったがみんなそこそこ綺麗に使ってくれてはいたので不満は少なかった。


10.食事

外食は日本の倍ほどの値段がかかる(なのに別にそんなに美味しくない)ため、基本的には自炊していた。スーパーは寮から自転車で5分くらいのところにあり、22時まで空いているので便利だった。また、近くに日本食スーパーやアジアンスーパーも何件かあり、たいていのものはそこで手に入ったため、日本食に飢えることはなかった。米も鍋で炊くことで、自炊は日本の時とそこまで変わらないメニューを作ることが出来た。自炊をしても日本の時の2倍近くの食費がかかることを考えると、改めて物価の高さに気づかされた。一方でパンと牛乳、ビールは日本に比べて安かった。それでもチーズやハム、ビールの種類が豊富な現地のスーパーは楽しかった。野菜や生鮮食品を買うならAlbert Heijnが新鮮、その他ならJumboの方が安いことが多い。JumboのFranse kwarkは本当にクリーミーでトロトロなヨーグルトなのでぜひ食べて欲しい。今でも恋しい一品である。

最後に、欧州留学の人が納得してくれそうな一言を添えておく。「困ったら辛ラーメン」


11.交友関係

オリエンテーションで同じグループになったチェコ人と仲良くなった。彼とは一緒にランニングに行ったり、春には桜の花見をしに行ったりといろいろなところに出かけた。私の寮のボイラーが壊れて冷水しか出なくなったときには彼の部屋のシャワーも借りた。しかし、3泊4日のバルセロナ旅行で、金銭感覚や旅行観の違いから喧嘩をしてしまい、それ以来、あまり遊ぶことは無くなってしまった。それまでの日帰りの旅行などでは気づかなかった価値観の違いが、その時露呈してしまったのである。

他には寮の同じフロアの人たちとクラブに行ったりパーティーを開いたりした。プレーしていたホッケーチームのチームメイトとはホッケーの練習を一緒にすることがあった。数人の日本人にも出会ったが、台湾の時とは違い、友達にはならなかった。

ただ、台湾の時と比較すると、深い友人は少ないように感じる。友人を広く浅く作ってしまったため、今後会いに行こうと思えるほどの友人は出来なかった。それが唯一の後悔点でもある。


12.フィールドホッケー

私がオランダを留学先に選んだ理由の大きな一つがフィールドホッケーをするためであった。オランダはホッケーの強豪国であると知っていたため、そこで現地のチームの練習に参加してみたいと思っていた。しかし、オランダには大学部活という枠組みが少なく、スポーツはクラブチームで行うのが主流であった。そして、そうしたクラブチームの新シーズンは9月から始まるため、私の留学した2月はちょうどシーズンの折り返しとなる時期で新たに加入するのは厳しい時期でもあった。そのため、なかなか受け入れてくれるクラブチームが見つからず、アムステルダムにあるあらゆるクラブチームにメールを送ったり、直接訪問したりして、加入させて欲しい旨を伝えた。そうして7個目にしてようやくTHC Hurleyというチームが受け入れてくれることとなり、私は20-25歳の1stチームに加入することが出来た。そして週2回の練習と週末の春リーグ戦をともに戦った。リーグ戦の序盤では勝利が出来なかったが、後半になると勝つこともでき、みんなと喜びを分かち合うことができた。また、個人的にキャプテンと仲良くなり、個別練習をマンツーマンで付き合ってもらったことも何度かあり、とても効果的な練習法も教えてもらうことが出来た。

オランダでは、ホッケーの後にクラブハウスでビールを酌み交わす文化があり(もちろんハイネケン)、そのおかげでチームメイトとすぐ打ち解けることができたとも思う。


13.まとめ

オランダへの留学は2段階目ということもあり、いい意味でも悪い意味でも海外生活というものに慣れてしまっていた。慣れていたからこそ序盤から積極的にイベントに参加することが出来たし、緊張する場面も少なかった。逆に言えば、友達を作らなくとも上手く生活することが出来たため、友達作りを怠ってしまったとも感じている。

また、オランダの留学では本当に様々な国の人と出会い、文化の違いも感じた。特にオランダ生活で良いと感じたのは街の設計が優れていることである。街がゆとりを持って作られており、緑を多く残す設計になっている。また、電線が地中にあるため日本よりも空を広く感じることができる。こうした街の中で育つからなのか、オランダ人にはgezelligという大切な言葉がある。

gezelligとは、暖かい雰囲気や居心地の良さを重要視するという考え方で、このgezelligの精神から、夜や休日は家族や友人と楽しもうとする。そのため、週末には外でピクニックをしていたり、散歩をしていたりと、日本では忘れがちな心の豊かさを満たす時間の使い方をしていて素敵だと感じた。

また、オランダ人はとにかく社交的で他の欧州諸国と比べても圧倒的に優しく明るい人が多かった。不親切な人を探す方が難しいと思う。移民が多いという地理的要因もあるのか、アジア人などに対する差別もほとんど感じず、みんなフレンドリーに話を聞いてくれ、逆にお婆さんから道を聞かれることもあるくらいだった。1度話した人は友達、のようなマインドがあると思う。ただ、そのことを知らずにオランダ人と接すると、距離感が近く土足で踏み込まれる印象を抱いてしまうかもしれないが、これが彼らの国民性と知っておけばきっと仲良くなれると思う。

総じて、オランダでの留学は満足度が高く、またオランダという国も好きになるきっかけとなった。


14.二段階留学を終えて

二段階留学をした身として感じたメリット・デメリットを書いておこうと思う。

メリットとしては、まず第一に経験値が2倍得られることだ。特に私はアジア圏とヨーロッパ圏から選んだため、生活習慣から歴史的背景、国民性などすべてが異なっている環境だった。1カ国のみの留学では気づけなかった違いや互いの良さを比較し、気づくことが出来た。

第二に、1カ国目の留学での反省を2カ国目で活かせることである。海外経験が少ない人が留学に挑戦した場合、誰しも失敗することや反省することがあると考えている。特に人間関係などでは初めに失敗すると途中での軌道修正が難しいが、二段階にすると、2カ国目に行く際にリセットして心機一転挑むことが出来る。

一方デメリットとしては、人間関係が希薄に終わってしまうことだと思う。もとより、私は交友関係を広げるのが得意なタイプではないため、相手との関係を深めるのに時間がかかってしまう。そのため、半年間の留学では、仲良くなってきたころに別れがやってきてしまうように感じた。リセットできるというメリットがありつつも、長く一緒にいられないというのはデメリットだと感じた。

また、航空券や申請費などの諸経費も多くかかってしまうこともデメリットと言えるだろう。

以上のことを踏まえても、私は二段階留学を勧める。交換留学という制度を上手く利用することでより多くの人と出会い、様々な環境で過ごすことが出来ると思う。

最後に、この留学を完遂出来たのは、ここまでの多額の費用を負担してくれた両親、申請にあたり多くの助言とサポートをしてくださった高井先生、そして辛い時に寄り添ってくれた日本の友人たち、留学生活を彩ってくれた留学生の友人たちの存在があったからこそだと思う。

改めて感謝を述べて、この体験記の締めくくりとする。

ありがとうございました。