カンボジア CYAラーニングセンター ボランティア(中村 2017)
経済学部 中村雅輝
留学先
CYAラーニングセンター(カンボジア)教育ボランティア
期間
2017年4月初旬~7月中旬
動機
海外ボランティアに興味があった
現地の生活(発展途上国)を実際に味わいたかった
ボランティア内である程度自由な活動(自己裁量が)をしたかった
お金
仲介費(研修等込み) 5,9万円
渡航費(往復) 5万円(往復)
登録料(現地) 月3.7万円(住居・食費込み)
生活費 月1~3万円
一週間のスケジュール
月曜 AM 授業準備
カンボジア語講習PM 授業 火曜 AM 授業準備
学校訪問PM 授業 水曜 AM 授業準備
学校訪問PM 授業 木曜 AM 授業準備
会議PM 授業 金曜 AM 授業準備
学校訪問PM 授業 土曜 旅行や遊び、特別ボランティア活動 日曜
はじめに
私は今回、数ある留学手段の中でも海外ボランティアを選び参加した。交換留学にも興味もあったが、大学生1年からボランティア団体に所属していた経緯もあり、発展途上国で日本人が誰もいないところで実際に生活しながら中長期的に教育関係のボランティアを通して、自己成長とボランティア活動をやり期待という思いから参加した。実際に参加してみて、日本人が誰もいなくて、周りのボランティアスタッフも私よりも一回りも年上で欧米圏の人達だらけで困惑することも多かった。その中で議論しあうのも大変であり、さらに教師としての授業も初めてだらけで本当に苦労したが、その分日本でいただけでは決して経験できない多くのことを学べ、成長できた。
ボランティア参加への道のり
1. 仲介団体選択
私は国際ボランティア団体NICEを通して、海外ボランティアに参加した。国際ボランティアの参加の仕方として、仲介団体を通して参加するのが一般的であり、数ある仲介団体の中で一番自分に合うと思って参加した。大きく4つの理由がある。ボランティア先の豊富・柔軟さ、活動実績、仲介団体自体の正確さ、値段のお手頃さからです。交換留学と違って、ほぼすべて自分で探して、手続きをしていく大変さはあるが逆にその過程で学ぶことも多くあり楽しかった。
2. 参加ボランティア
私は最終的にカンボジアでの教育ボランティア・CYAラーニングセンターのボランティアに参加した。ボランティア内容は主にカンボジアにある田舎町の無料の学習センターで教師として現地の小中高生(約80人)にクラス別に英語やPCの使い方、映画・図書館講習を教えるものであった。現地に大まかな教育方針はあったが、基本的に授業内容や詳細な進行は教師次第であった。その他にも自分たち次第で子供たちに特別授業や映画上映をしたりと、かなり活動の自由度が大きかった。
3. ボランティア選択
私が数あるボランティア活動の中でもカンボジアでの教育ボランティアを選んだのは大きく4つの理由からです。1つ目に発展途上国で実際に暮らしたかった。2つ目に大学時代に子供関係のボランティアをしておりその経験を活かせると思ったから。3つ目にボランティアスタッフにに裁量権が大きかったから。4つ目に、現地で様々なボランティア(自分が申し込んだもの以外の)に用意に参加できる環境だったから。
4. 書類提出・面接
ボランティア参加にあたり、CYAラーニングセンターを運営するNGO団体に面接とテストを行った。スカイプを通して現地のスタッフと面接を行った。面接前に英語で自己紹介、参加動機や何ができるか等、就活のESみたいなものを書いた。
5. 準備
5.1 ドル
カンボジアでは基本的にどこでもドル使用で、おつりや少額をカンボジアの通貨(リエル)を使用するが当たり前だった。ATMも実際にすべてドルで支払われていた。
1ドル=4200リエル(当時)
5.2 海外保険
海外保険はインタネットの一番安いのを使った。自分でいろいろと保険内容を組み合わせれるものであり、便利だった。
5.3 カンボジア語の勉強
自分の行く田舎町では英語を使える人が少ないという噂だったので、現地語の勉強をした。実際にカンボジア語を事前学習していたおかげで、値段交渉や友達作りにかなり役立った。文字は難しすぎるので、会話の勉強だけした。
5.4 予防接種
行くところが田舎町でどんな虫・犬がいたり、病気になるかわからなかったので予防接種はしっかり受けた。狂犬病のものも受けた。何回も犬に襲われたので、狂犬病の予防接種は受けていて正解だった。
5.5 ビザ
カンボジアは入国ビザが必要であり、長期滞在者は業務ビザが必須だったのでそれを取得した。旅行用ビザだと延長の制限があった。そして、現地でのビザ延長はボランティア先がその辺の管理が適当だったので自分で旅行代理店に頼み延長してもらった。カンボジアのビザ延長は基本は代理店頼みになる。自分でやるにはルールや複雑だったり、ビザ取得にかなりの時間がかかるからである。
5.6 交通機関
自分のいた片田舎は基本的に移動は徒歩か自転車、トゥクトゥクの移動だった。他の地域にも基本的に移動するときはバンや長距離バスを使った。市内だとトゥクトゥクの移動が基本。
ボランティア中
1. カンポット
カンボジアから南部の州であり、首都であるプノンペンから車で2時間である。すぐ近くにはビーチで有名なケップがある。また、塩で有名な場所でもある。特に私がいた場所は、カンポットでも特に田舎の村であった。
2. ボランティア活動
2.1 到着
プノンペン空港から迎えがあり、CYAの本部に行き手続きをした。そこからバス停に案内されて、バスに乗り、降りるところで現地スタッフがいて、そこで合流して現地を案内してもらった。そして、ボランティア活動の詳細を教えてもらい、次の日からボランティアを開始した。
2.2 CYAラーニングセンター
生徒は所謂小学生から高校生までの幅広い年代で、全体で約80人いた。基本的に英語の授業を行っており、隔週でPCの授業や特別授業を行う。
☆英語授業
約80人が英語の授業だとレベル別に4段階で合計6クラスあった。初級クラスが1、中級クラス①と②が2クラスずつ、上級クラスの計6クラスである。時期によってボランティア数が変動するが、だいたい1クラスに教師が1~2人ずついる。一教師当たり、約2・3クラス受け持つ。クラスごとの担当教師が授業内容や詳細な授業進行決める。だから、教師によって、まったく授業の仕方が変わってくる。実際に国・スタッフごとにある程度、授業の仕方の特色があり、面白かった。
※基本的に教師はボランティアが受け持つ。NGOの駐在スタッフは1人のみで基本的に全体のまとめ役をしている。
☆PC・特別授業
PC授業は隔週であり、PC室で行う。約6台しか現地にPCがなかったので、教えるのが大変だった。特別授業はボランティアが自主的に行う授業で土日や通常の授業日に行ったりする。仲間と協力したり、自分だけでも行える。実際にほかのメンバーと一緒に映画を上映したり、衛生教育を行ったりした。
☆授業準備
基本的に授業の準備は毎日授業があったので、午前中か前日に行っていた。おおまか授業の進行は1ヵ月・2週間単位で事前に決めていた。初級・中級・上級クラス毎に生徒の年齢やレベルも大きく異なってくるので授業内容を考えるのは大変だった。
2.3 その他(ボランティア)
滞在先にCYAと提携をしている様々なボランティア団体が来て、彼らのボランティアや会議に参加した。特にworldexchangeの団体の移民をテーマにした活動はとても面白かった。
生活
実際に私が選んだボランティアはカンボジアの田舎町であり、ホームステイの形で高床式の家に雑魚寝でほかのボランティアスタッフと泊り、ご飯もホームステイ先の人と一緒に食べるものであった。よく停電したり、水がなくなったりとまさに私の望んだ生活であった。また、滞在中に他のボランティ目的のヨーロッパや香港、他の東南アジアからのボランティア達と交流して、ボランティに参加したりもできた。
1. 住居
他のボランティアメンバーと共同で高床式型ボランティアハウスにモスキートネットを使って一緒に雑魚寝で寝ていた。トイレとシャワーも共同で、ティッシュ等はなかった。洗濯などは手洗いで自分でしていた。
2. 食事
ホームステイ先で毎日三食出してもらえた。毎日、ホームステイ先のお母さんの手作りでカンボジア料理を食べていた。たまに虫料理が出たときは辛かった。嬉しかったのが現地にたくさんのマンゴーの木があり、毎日取り放題であり、熟したマンゴーを毎日食べれたのは幸せでした。あと、生徒たちの家にいくとよくスイカやランブタン等食べれて、取れたての熟した果物を毎日食べて幸せだった。食事はとてもおいしかった。本当にカンボジア料理は美味しいと思った!!一方でたまに生徒の家で出される料理で自分に合わない食事もあり、お腹も壊したりしたが、途中からはおなかが強くなり基本的に何を食べても壊さなくなった。(虫など)
3. インターネット
Wi-FiはCYAラーニングセンターのオフィスにあるが、頻繁に壊れるせいでほとんど使えない時期もあった。最高で1週間も使えない時期があり、インタネットの大事さを味わえた。一応滞在先から徒歩1時間でWi-Fiが使えるコンビニエンスストアはあった。
課外活動
1. 学校訪問
週3・4回で近くの生徒達の通う学校に私も通っていた。そこで、実際に幼児クラスで一緒に授業をうけてカンボジア語の勉強をしたり、一緒に遊んだりした。
2. カンボジア語講座
現地のスタッフが週1・2回でカンボジア講習開いてくれて、それに参加していた。現地では英語を話せない人が多かったのでかなり役立った。
3. キリングフィールド
ポルポト政権下に多くのカンボジア人が殺害された刑場が、現在のカンボジア各地で「キリング・フィールド」と呼ばれている場所であり、私が滞在していた場所にもそれがあり、実際に訪れた。また、当時の生き残りの人から話を聞くという、普通では考えられない体験もした。
休暇
土日は他のボランティア活動に参加したり、ボランティア仲間と海にいったりした。他にもケップやシアヌークビル、ロン島などにいった。
困ったこと
1.生活
住居に虫が大量発生したり、犬に追いかけられたりと、停電・水不足、オフィスのWi-Fiが頻繁に壊れて全くインタネットが使えなかったりと生活面に苦労したりしたが、終わってみると肉体的に成長できて楽しかった。サバイバル能力が低い人にはきついかもしれないと思った。
2.仲間
当初は日本人が誰もいなく、周りはほぼ全てカンボジア人で、ボランティア仲間も欧米の人達だらけで授業や会議等に苦労したが、我慢せずに素直に笑顔にいたら溶け込めて、本当に仲良くなれた。基本的にカンボジア人はめっちゃ優しいので素直にいけばすに仲良くなれる。同年代が現地にあんまりいなかったのでそこは寂しかった。20以上は都会にでて出稼ぎをしたり、働いているからです。だから、現地には基本的に50代以上と大学生以下の子供たちがほとんどだった。
最後に
本当に海外ボランティアはめっちゃ楽しかったです。ぜひ、個人的に留学の仕方の候補の一つにいれてくれたら嬉しいです。決まったプログラムがない分、その人のやりたいことを何でも達成できるし、裁量権もとても大きいのでお勧めです。また、海外ボランティアとしてではなく、留学の地としてもカンボジアはかなりお勧めです。いわゆる発展途上国だとカンボジアや東南アジアの国々のことをいう人が多いかもしれませんが、実際にカンボジアや多くの東南アジア諸国に行ってみて、個人的には全く違うと思います。想像以上に発展しており、ほぼ日本と変わらない国になるのが容易に想像できたからです。もちろん、田舎や一部はまだまだですが、行けば同じように考えていただけると思います。ぜひ、留学の手段を交換留学だけに絞らずにいろいろ選択肢をもっと見てほしいと思います。交換留学とはまた違ったものを学べると思いますので。